書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』59


櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第59回目である。

「第Ⅱ部 入信・回心・脱会 第六章 統一教会信者の入信・回心・脱会」の続き

櫻井氏は本章の「4 イベントの時間的経緯」の中で、統一教会信者の信仰に関わる主要な出来事を、①伝道を受けてから入信し、回心へ至るまでの過程、②信仰を強化して祝福を受けるまでの過程、③祝福後の信仰生活――に三分して分析している。この分類自体は妥当なものであり、この部分は客観的な事実やデータの記述が多いのではあるが、ところどころに櫻井氏自身の主観的コメントが書き加えられているので、不適切な部分に関しては指摘したいと思う。

図6-5 櫻井氏は調査対象となった信者たちの「初めて伝道された年」を棒グラフにした図6-5を示し、「裁判資料にある元信者は伝道を受けた年が一九八〇年代、筆者の聞き取り調査を受けた元信者は一九九〇年代が主である。一九八七年から九一年までに伝道され、入信した元信者が多い」(p.209)と分析し、1980年代末と1990年代初頭が統一教会で伝道が進んだピークだったと認識している。脱会者と現役信者の伝道された年が分布的に一致するかどうかは疑わしいが、既にこのブログ(第25回)でも検証したように、統一教会の伝道のピークがほぼこの時代であったことは事実のようである。図6-5に示された「初めて伝道された年」は、1979年から1997年まで18年間にまたがっており、筆者から見れば先輩と後輩の両方がいることになるが、ピークの部分は筆者よりもすこし後輩にあたる。

櫻井氏はここで、統一教会との邂逅に関する次のような興味深い逸話を披瀝している。
「ちなみに筆者の教え子が札幌郊外の支笏湖の施設でツーデーズに参加し、直後に筆者にどうしたらよいかという手紙を書いてよこしたのが一九九二年だった。」(p.209)
宗教学者である櫻井氏が、それまで統一教会について全く知らなかったということはないであろう。事実、櫻井氏は著書の中で大学のキャンパス内で活動する原理研究会のメンバーを目撃したと書いている。しかし、自分の教え子が伝道されるという最初の具体的な出会いが、櫻井氏の統一教会理解に大きな影響を与えたことは想像に難くない。客観的な研究対象としての統一教会ではなく、「教え子をカルトから救い出さなければならない」というより具体的な問題解決の対象としての統一教会に最初に出会ったということである。このことに関して、櫻井氏は別の著作である『大学のカルト対策』(2012年、北海道大学出版会 )の中で以下のように述べている。
「私がカルト問題に取り組むきっかけとなったのは、北星学園の短大で学生に教えていて、その短大を離れた後に、教え子が統一教会に入ったという連絡があり、どうしたらよいだろうという相談を受けたことです。私は社会学や倫理学という授業科目において宗教関連のことを教えていましたし、学生は必修科目としてキリスト教学を履修し、出席を取る礼拝や講話においてキリスト教の素養を持っていたはずなのですが、こうした学生がなぜ統一教会に入っていったのかと非常に気にかかったことがあります。・・・公立大学よりもミッション系の大学でカルトに入る学生は少なくないですね」(「大学のカルト対策」p.218-219)。

1992年は3万双の国際合同結婚式があり、マスメディアを通して統一教会が非常に有名になった年である。その年に教え子が統一教会に伝道されるという経験を櫻井氏はしている。その翌年には3万双で祝福を受けた山崎浩子さんが統一教会を脱会し、記者会見で「私はマインド・コントロールされていました」と発言した。こうした身の回りに起きたさまざまな出来事が重なって、櫻井氏は研究者として統一教会に対する関心を高めていったと思われる。櫻井氏は1996年9月に國學院大学で行われた日本宗教学会の「第55回学術大会」において、「変貌する新宗教集団と地域社会ー天地正教を事例として」と題する発表を行っており、同じテーマの論文を「新宗教教団の形成と地域社会との葛藤――天地正教を事例に――」と題して1998年に学術誌『宗教研究』317号に掲載している。テーマが「天地正教」とはいえ、統一教会について詳しく知っていなければ書けない内容である。1992年に教え子が伝道されるという事件をきっかけに、櫻井氏が統一教会問題に本格的に取り組むようなった流れが理解できるであろう。

図6-6 櫻井氏は調査対象となった信者たちの「入信時の年齢」を棒グラフにした図6-6を示し、「入信時の年齢は高校生からが一名いるほかは、大学の初年度か短期大学の学生時代であり、その後は社会人になった後の二〇代が多い。二〇代後半から三〇代には子育て時期の主婦が壮婦として入信した事例がある。男性は二〇代前後で入信しなければその後あまり入信する機会はない。社会人になると仕事で多忙になるからだ。」(p.210-11)と分析している。ここまではほぼ客観的なデータの分析といえるが、これはあくまで櫻井氏の調査対象となった元信者に関して言えることであり、「こうしてみると統一教会の信仰というのは若い世代特有のものだということがわかる」(p.211)というような、統一教会全体の分析として一般化できるかどうかは疑問である。

なぜなら、櫻井氏の調査対象者においては、横浜、札幌、新潟、東京、奈良、福岡などで「青春を返せ」裁判を起こした原告が66名中53名を占めているからである。しかも、そのうち89%が成年信者であり、11%が壮婦である。これが統一教会全体の人口構成と一致しているのか、もしずれているとすればその原因はなぜなのかを分析しない限りは、社会学的にはこのデータを母集団として統一教会全体の年齢分布についての結論を下すことはできないはずである。しかし櫻井氏はそれを全くせず、脱会した元信者のデータをもとにして統一教会全体についての分析を行っているのである。それでは櫻井氏の調査対象者の何が問題なのだろうか?
「青春を返せ」裁判というのは広報のためのニックネームであり、裁判上は「損害賠償請求訴訟」であるから、法的には年配者であってもこうした訴訟を起こすことは可能である。しかし、「青春を返せ」という裁判を年配になってから統一教会に入信した人が起こすのは、ネーミングからすればはばかられるであろう。若い時期に伝道されたからこそ、「青春を返せ」という訴えができるのである。しかも、裁判の原告のほとんどは親から反対を受けて脱会を決意した人々である。宗教の問題に親が干渉してやめさせるような年代層というのは、やはり20代くらいまでの若い世代となるのではないだろうか。すなわち、櫻井氏の情報源となった母集団自体が、青年層にある程度限定される本質的特徴を持っているのであり、統一教会全体のデータから見れば「はずれ値」である可能性が極めて高いのである。こうした偏ったデータをもとに、「統一教会の信仰というのは若い世代特有のものだ」というような結論を出すのは、社会学者としてはデータの分析の仕方が甘いとしか言いようがない。

彼はこうした偏ったデータをもとに、さらに敷衍した分析を行っている。櫻井氏は、通常は信仰には加齢効果が認められ、日本の既成宗教や新宗教においては青年期よりも中高年期に信仰を持ち始めるのが一般的であるにもかかわらず、統一教会の信仰は若い世代特有のものである点を強調する。それを根拠に、「壮婦の事例は統一教会系列会社の商品を購入した人が信者になるとい副次的なコースであり、統一教会はあくまでも祝福に連なる若い人達を求めていた。しかし、これは近年変化し、伝道と資金調達を一挙に行うために中高年主婦を対象とした姓名判断・家系図鑑定の伝道方法にかなり力がそそがれるようになった。」(p.211)と論理を展開するのである。

ここでも櫻井氏は、統一教会の青年信者と壮年壮婦の間に価値的な序列をつけ、壮年壮婦には価値がない副次的なものであるかのように論じているが、これは事実に反する。このことに関しては、次回詳しく論じることにする。

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