ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳33


第5章 祝福:準備とマッチング(2)

 最終的にはすべてのメンバーが、神への完全な復帰と地上天国実現のための絶対的な必要条件としての祝福のより深い意味に気づくようになる。前に引用した文師の発言はこの文脈において再現される必要がある:「祝福において最も重要なことは、皆さんが夫や妻を得ることではありません。皆さんは神様と天宙を得るのです。」(注7)個人は自分自身のために結婚するのではなく、より偉大でより価値ある目標、すなわち世界の復帰のために結婚するのである。この高貴な見解は、統一運動に入会する典型的な人物が極端に理想主義的な結婚の概念を抱いている可能性と実に好都合に合致するのである。(注8)

 上記の考察を前提とすれば、グループは祝福に対する抵抗をメンバーから受けることなど一切ないと予想するかもしれない。しかし、運動内部の少なくとも5つの異なるサブ・グループから抵抗があることが明らかになっている。

1.統一教会の信者になった「多くの」同性愛者の中には、異性との関係に対する準備ができるほど十分に変わることができた者がいるであろう。この変遷がうまくできなかった者たちは、運動のおける生活の特定の側面に対する本物の献身と、結婚することに対するさまざまな種類の(神学的な、リーダからの、同僚からの)圧力との間の葛藤を疑いなく経験するであろう。この圧力は、少なくとも一部にはグループの結束を維持することに対する組織の強力なニーズに由来するものである。神が彼らに与えた異性愛的性質に復帰されない同性愛者をどう扱うかということは、結婚が救いのための絶対的な必要条件である社会運動にとっては大きな問題である。

2.入教する以前に主にローマ・カトリック教会において司祭や修道女として独身生活を送ってきたメンバーが何名かいる。これらの人々は一般的に祝福を受けるのを避けようとはしないが、結婚生活に入ることは彼らにとって簡単な変化ではなかったと、彼らははっきりと明言した。彼らの中には、この祝福が以前の宗教生活を「本当に」離れる機会であったと見る者もいた。

3.さらに、結婚に対するすべての「外的な」(注9)必要条件を満たしているにもかかわらず、より高いレベルの霊的な成熟に達するまでは祝福を受けないと決意しているメンバーもいた。

4.また、年配の女性たち(ほとんどが未亡人で韓国人が多い)の中には、年齢や、亡くなった夫に対してなした誓いの故に、祝福を受けないと決意している者たちがいる。こうした女性たちの中には、類まれな霊的力を持った女預言者か霊媒であるとみなされている者たちがいる。

5.そして最後に、「オークランド・ファミリー」は主流の統一教会の結婚に対するアプローチから逸脱しているという報告がある。「我々がベイエリアのセンターを訪問して受けた印象は、オークランド・ファミリーは永続的な共同体生活に専心しており、メンバーたちの中には、彼らの共同体的独身生活が伝統的な異性愛関係に取って代わられるだろうという差し迫った期待はなかった。」(注10)ブロムリーとシュウプによるオークランドの状況に関する記事は、筆者のインタビューを受けた運動の指導者たちからは承認されなかった。しかし、ベイエリアで入教したメンバーたちの中には、グループの結束が非常に強かったので、1975年の時点で資格のあったメンバーの多くがその時は辞退し、しかし最終的には後日祝福されたとと示唆する者がいた。

 この5つの区分の中で、彼らの背景の故に(2)、彼らの宗教共同体に対する献身の故に(5)、あるいはもっと成熟しなければらないと感じるがゆえに(3)、結婚することに抵抗するかもしれない者たちの問題は、年長のメンバーのカウンセリングを受け、信仰において成長する時間をもっと与えることによって、一般的には解決される。しかし、性的志向性(1)や生活状況(4)が現世において結婚する可能性を排除してしまうような者たちの問題は残されたままだ。同性愛者たちのジレンマは、運動のリーダーたちによってほとんど無視されてきたように見える。一方で、年配の女性たちはみな死ぬまで未婚のままでいることが許され、彼女たちが霊界に行ったときに文師による祝福を受けるであろう。(注11)「死後の」祝福がなされるということは、運動の中で未婚のままで(そしてもちろん、禁欲生活をして)いる同性愛者のメンバーたちに対して、神学的に正当な先例を提供するかもしれないが、指導者たちがそのようなポリシーの採用を検討している兆候はまだ見られない。このことは、永続的に独身の人々が一つの集団として存在することはグループの結束を弱めることになるので、理解可能である。さらに、運動は外の世界に対して肯定的なイメージを投影することに腐心しているようであり、同性愛者が未婚のままでいる権利を承認するだけでは、既に敵意を持っているマスメディアによって否定的に解釈されるかもしれないからである。

 グループ全体のメンバーからすれば、祝福を受けることに対する抵抗は、グループにとって比較的マイナーな問題である。(注12)圧倒的大多数の統一教会信者は、単に結婚を望んでいるだけではなく、この記念碑的な信仰のイベントに参加する資格が得られるように自分自身を準備するため、休むことなく熱心に働くのである。この準備活動の性格は、結婚の資格を得るためにメンバーは特定の基本的な必要条件を満たさなければならないという事実によって説明することができる。

(注7)文鮮明「祝福」p. 17.
(注8)アイリーン・バーカー「統一原理を生きる」p. 81。バーカーは、結婚に対する理想主義的な見解を持っているのは統一運動のメンバーである間に社会化された結果であるかもしれないという、同様にもっともらしい説明については扱っていない。
(注9)これらの必要条件はこの章の後半で論じられるであろう。
(注10)ブロムリーとシュウプ『アメリカにおけるムーニー』p. 140.
(注11)文鮮明「祝福と伝道について」『マスター・スピークス』 (MS-2, 1965)、pp. 7-8。霊界にいる者たちの結婚の縁組における興味深い側面は、以下のように語る元メンバーによって言及された。「・・・文はイエスを韓国人女性と結婚させた」(エルキンズ『天的詐欺』 p. 120)。アメリカにおける統一運動の元会長はこのことを認めたと報告されている:「・・・キリストはいま韓国に住んでいる若い女性と既にマッチングを受けている」(ジョン・マウスト「ムーニーがカルトを監視する批評家たちと知恵比べをする」『クリスチャニティ・トゥデイ』1979年7月20日、p.38)。私がインタビューしたあるメンバーによると、この結婚はキリスト教と統一運動の一致を象徴するがゆえに、非常に特別なものであったという。象徴的な意味が何であれ、死後の結婚は(イエスの結婚であっても)救いのためには極めて重要であると理解されるべきである。それは「単なる象徴」ではないのである。
(注12)この観察者が驚いたのは、結婚が彼らの指導者によって縁組されたという理由でそれに抵抗した者はほとんどいなかったということである。

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