ジェームズ・グレイス「統一運動における性と結婚」日本語訳04


第1章(2)

10.聖書。旧約聖書と新約聖書は、神の人類に対する漸進的な啓示の記録である。聖書の目的は我々をキリストへと導くことにあり、神の心情を明らかにすることにある。真理は唯一、永遠、不変であり、したがって神からの新しいメッセージはすべて聖書と一致しているであろうし、それをより深く理解させるであろう。しかし、終末である今日においては、人類がいまだ成し遂げていないことを成就できるように、新しい真理が神からもたらされなければならない。

11.完全な復帰。神学の正しい理解は、人間の神との(縦的)関係と、人間の隣人との(横的)関係に、同時に集中する。人間の罪はこれら両方の関係を破壊したのであり、この世界のあらゆる問題はそれに起因している。これらの問題はキリストを通して人間が神に復帰されることによって、また正しい道徳的規準と実践を開始すること、真の家庭の形成、すべての民族と人種(東洋、西洋、黒人)の統一、科学と宗教の葛藤の解決、経済的・人種的・政治的・教育的不正の是正、そして共産主義のような神を否定するイデオロギーの克服――などの手段によって解決されるであろう。

12.再臨と終末論。キリストの再臨は我々の時代に起こり、現代は初臨のときと非常によく似た時代である。キリストは以前と同じように、肉体を持った人間として来られ、肉体を持った女性である花嫁と結婚することによって家庭を築き、彼らは全人類の真の父母となるであろう。我々が真の父母(再臨のキリスト)を受け入れ、彼らに従順に従うことにより、我々の原罪は取り除かれ、我々は最終的に完成するであろう。神の理想を実現する真の家庭が始まり、神の国が地上と天上の両方に実現されるであろう。いまやその日はすぐ近くまで来ている。(注4)

統一運動の組織構造は、ほとんどのメンバーによって第一に共同体的性格を持つものと理解されている。これは、彼らがそれを自分の「ファミリー」と呼んだり、お互いに兄弟姉妹と呼び合っていることからも明らかである。この家族的次元は、このグループと共に時を過ごしたものにとっては、誰にでも明らかである。ジェームズ・A・ベックフォードが正しく観察したように、「『横的な』関係は・・・顕著であり、(西洋の修道院生活と同様に)個人の能力の完全な発揮は、個人が告白共同体に完全にどっぷり漬かっているときにのみ起こるものであると信じられている。(注5)自発的組織である統一運動を理解する上で共同体的次元が重要であることは確かだが、同様に重要なのが縦的指向性をもつ権力と権威のヒエラルキーである。多くのメンバーはこの骨格的構造にあまり気付いておらず、リーダーたちはその重要性を最小限に評価する傾向にあるが、それは統一運動の目標設定において、その多数で多様な活動を導く上で、そしてメンバーを指導者の位置に任命する上において、重要な役割を果たしている。この運動のアメリカ支部の「公式的な」ヒエラルキーは、地方のセンターのリーダーから始まって、州や地域の指導者へと上昇し、最終的には全国の会長職に至る。地方のセンターは原則として少なからぬ自立性を持ってはいるが、彼らの強力なリーダーたちは通常、統一運動への献身に基づいて選ばれており、したがって実際にはセンターはより高いレベルで決定された政策を支持する傾向にある。

公式的なヒエラルキーは、非公式の霊的な指導者の集団(ほとんどが東洋人からなる一種の「長老会議」)に対して、そして最終的には文師に対して説明する責任があるようだ。たとえば、アメリカにおける統一運動の「会長」は、会員によって選ばれるのではない。むしろ、彼は霊的な指導者たちによって選ばれ、文師の意のままに仕えているように見える。その平等主義的な家族主義にもかかわらず、統一運動は公式及び非公式のヒエラルキー構造によって特徴づけられる。このグループの性と結婚を理解する上での、霊的な基礎を持つヒエラルキーの重要性については、この研究の後の部分で議論されるであろう。

1970年代に、主としてより多くの若いアメリカ人を回心者として引き付ける努力が次第に成功を収めるようになった結果として、統一運動は主要な三つの論争に巻き込まれるようになり、それらはすべてマスメディアにおけるネガティブなイメージを獲得する要因となった。国際クリシュナ意識協会、神の子供たち、およびその他いくつかの「新宗教」と共に、この運動の急速な成長は高度な「洗脳」テクニックの使用によるものだと反対者たちによって指摘されるようになった。そのテクニックは、会員候補者たちの自由意思を奪って、グループの全く異なるライフスタイルに献身するよう強制したのだというわけだ。メンバーは洗脳されているのだという告発は、彼らの両親およびその他の懸念を持つ部外者たちによる拉致とディプログラミングを正当化する主な理由として用いられるようになった。

二つ目の論争は、政治における統一運動の役割に関するものであり、もともとは韓国のロビイストが違法な手段によって米国の外交政策に影響を与えようとしたという報告に対する議会の調査の結果として生じたものである。(注6)ドナルド・フレーザー下院議員が議長を務める下院国際機関小委員会は、統一運動がこの違法な陰謀に関わっていると主張し、そのような嫌疑を立証することはできなかったものの、この告発ならびにその他のメディア報道は多くのアメリカ人をして、文師とその弟子たちは究極的には政府の乗っ取りを謀っていたのであると確信せしめることとなった。(注7)統一運動が巻き込まれたもっとも最近の論争は、国家の経済生活への参加に関わるものである。世界の救済者としての目標に対する十分な財政基盤を提供するため、路上での募金勧誘よりも信頼できる手段として、グループはさまざまな企業を設立しようとしている。それは既に水産と健康食品の産業に浸透しており、その他の市場にも入り込む計画を持っている。これらの冒険的企てによって引き起こされた葛藤は通常、地域経済のコントロールを失うのではないかと恐れる住民たちを抱える小さな地域社会を中心としている。(注8)

これら三つの論争は重要であり、さらなる学問的探究を必要とすることは確かだが、統一教会信徒の生き方には、「ムーニーたち」自身にとって極めて重要であり、社会学的機能主義(注9)の視点から、統一教会の信徒であることの意味について重要な洞察を提供する可能性のある、もう一つの側面がある。グループの会員獲得や、政治的・経済的な試みのように公衆の注目を受けてはいないが、統一運動の性と結婚に関連する信仰と実践は、アメリカの宗教史においてユニークであるだけでなく、全般に敵対的なアメリカ社会に直面しながらも、そのようなグループがいかにしてメンバーの献身を維持し築くことができるのかをも示唆しているのである。

(注4)フレデリック・ソンターク「文鮮明と統一教会」(ナッシュビレ:エイビントン、1977年)pp.102-105.
(注5)ジェームズ・A・ベックフォード「セクト的組織の二つの対照的タイプ」、ロイ・ワリス(編)『セクト主義:宗教的および非宗教的組織の分析』(ニューヨーク:ジョン・ウィレイ・アンド・サンズ、1975年)に掲載、p.77
(注6)合衆国政府「韓米関係の調査:米国下院外交委員会・国際機関小委員会報告書」(ワシントンDC、米国政府印刷所、1978年)
(注7)言論報道は全般に、文師がフレーザー小委員会の前での証言を拒否したことを強調している。これが、リチャード・ニクソンのウォーターゲートにおける役割を弁護したことと共に、アメリカの政治における統一運動のネガティブなイメージを作り出した。この現象に関する文献としては、デビッド・G・ブロムリーとアンソン・D・シュウプJr『アメリカのムーニー:カルト、教会、および十字軍』(ビバリーヒルズ、カリフォルニア:セージ出版、1979年)、p.160-164を参照のこと。
(注8)最も報道されたケースはマサチューセッツ州グロスターのものである。ここでは統一運動はかつてローマカトリック教会が所有していた水産加工工場、地域のレストラン、および別荘を購入したことを住民から批判されてきた。
(注9)機能主義の立場から宗教を扱う古典的研究としては、J・ミルトン・インガー「宗教、社会、個人:宗教社会学概論」(ニューヨーク:マクミラン・カンパニー、1957年)を参照のこと。

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