書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』60


櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第60回目である。

「第Ⅱ部 入信・回心・脱会 第六章 統一教会信者の入信・回心・脱会」の続き

図6-6 櫻井氏は本章の「4 イベントの時間的経緯」の中で、調査対象となった信者たちの「入信時の年齢」を棒グラフにした図6-6を示し、入信時の年齢が20代に集中していることを根拠に、「こうしてみると統一教会の信仰というのは若い世代特有のものだということがわかる。壮婦の事例は統一教会系列会社の商品を購入した人が信者になるとい副次的なコースであり、統一教会はあくまでも祝福に連なる若い人達を求めていた。しかし、これは近年変化し、伝道と資金調達を一挙に行うために中高年主婦を対象とした姓名判断・・家系図鑑定の伝道方法にかなり力がそそがれるようになった。」(p.211)という分析を行っている。前回は、櫻井氏の情報源となった母集団自体が、青年層にある程度限定される本質的特徴を持っており、統一教会全体のデータから見れば偏ったものであることを指摘したが、今回はそこから敷衍した彼の分析、すなわち統一教会の青年信者と壮年壮婦の間に価値的な序列をつけ、壮年壮婦は価値がない副次的な存在であるかのような結論に対して反論することにする。これは統一教会の歴史を紐解くことによって分かる。

文鮮明師に従った韓国の初期の弟子たちの中には、既成教会で重要な枠割を果たしていた中年の婦人たちやお婆さんも多く含まれており、草創期の韓国統一教会は全体として若者ばかりの宗教というわけではなかった。梨花女子大の若い学生たちが多く入教したときでさえ、当時大学の教授をしていた年配の女性たちも同時に入教したのである。

統一教会草創期に韓国で行われた祝福式には既婚の壮年壮婦が「既成家庭」として参加していたし、日本統一教会の最も古い祝福双にも既成家庭がいるように、もともと統一教会は若者だけを対象にした宗教ではなかったし、祝福を受けるのも若者だけではなかったのである。したがって、教義神学の面から言って、統一教会の伝道対象者は未婚の若者だけではない。年配の既婚者も祝福を受けることは最初から可能だったのである。

しかしながら、教義信条の面において万人に対して救いの道が開かれているということと、事実として一つの教団に若者が多く集まっているということは全く別の問題である。前者は神学的な問題で、後者はより現実的な集団の特性の問題である。とりわけ西洋と日本においては、初期の統一教会信者となった人々は多くが若者たちであったということもまた事実である。櫻井氏の誤りは、現実的な集団の特性を教義信条の問題にまで拡大解釈して信仰の本質を歪めているところにある。

図6-6は、入信するときの年齢層が10代後半から20代前半に集中していることを示しているが、これはアイリーン・バーカー博士の研究した初期のイギリス統一教会と似たような状況である。バーカー博士が研究していた当時、イギリスの統一教会に入教するメンバーの平均年齢は23歳であった。そして1978年における英国と米国のフルタイムのムーニーの平均年齢は26歳であり、1982年の初めの英国の会員の平均年齢は28歳だったということなので、イギリスの統一教会はまさに「若者の宗教」だったわけである。日本でも「親泣かせ原理運動」と叩かれた時代には大学生が多く伝道されたし、1980年代にも多くの若者が入教した。これは統一教会が宗教として若者たちを惹きつける魅力を持っていたということであろう。バーカー博士は、西洋の若者たちが統一教会のような宗教に魅かれていく理由を以下のように説明している。
「青春は理想主義と、反抗と、実験の時代である。たまたま恵まれた中産階級の出身であれば、理想を追求しながら、自分自身に対して贅沢を禁止するという贅沢をするだけの余裕がある。青年期の健康を享受し、差し迫った責任からも解放されていれば、物質的な利益を放棄することができる。それは少なくとも、その人がばかげた幻想を捨てるぐらいまで『成熟』し、落ちついて、伝統的な社会の営みや価値観を受け入れ、そして恐らくそれらを支持するまでの間であるが。」(「ムーニーの成り立ち」第十章「結論」より)

バーカー博士は、理想主義的な若者がムーニーになる動機をやや批判的に突き放してとらえているが、これは西洋における初期の統一教会がちょうど青年のような「若い宗教」であり、エネルギーにあふれてはいたが、まだまだ組織としては未熟であったためである。実際には、理想主義的な青年たちが成熟してくれば、「ばかげた幻想」を捨ててしまうのではなく、信仰の核心部分は維持しつつ、教会全体も社会との関係において成熟していき、個々の信徒たちも大人になっていくのである。

日本統一教会においても、初期は若者たちが多かったものの、1980年代以降に壮年壮婦と呼ばれる層が増えてきたのは、統一教会が教団として成長し、成熟した大人さえも魅了し包容することのできる団体になったことを示しているのであり、決して櫻井氏の言うような資金調達を目的とした副次的なコースなどではない。それでも、まだまだ統一教会は勢いのある若い宗教である。そのエネルギーが若者たちを魅了し続ける限り、これからも10代後半から20代前半の若者たちが伝道され続けるであろう。すべての世代の人々にとって魅力的であることが教団としての理想の姿である。

櫻井氏は「信仰には加齢効果が認められ、若い人よりは中高年期に信仰を持ち始めるのが一般的である。・・・肉体的に頑健で自分の力と自分の将来を信じられる若い世代は、願うよりは実践する。近現代において理想主義的な若者は宗教運動よりもイデオロギー運動に身を投じたものだ。」(p.211)というが、理想主義的な若者たちを魅了する宗教運動も存在し、宗教運動に魅力を感じるようなタイプの若者たちもまた存在するのだという事実を彼は見落としている。日本の伝統宗教や新宗教に加齢効果が見られるからと言って、それをすべての新宗教に当てはめることはできないし、若者が多いことを統一教会に特有の現象であると断ずることもできない。事実、西洋では若者たちがなぜ新宗教に魅力を感じて入信するのかに関するさまざまな議論がなされてきたのである。その代表的な研究が、バーカー博士の「ムーニーの成り立ち」であった。

図6-7 櫻井氏は、調査対象となった信者たちの「伝道から入信までの期間」を棒グラフにした図6-7を示し、「勧誘されてから統一教会の信者となることを決意するまでの期間は人様々だが、四ヶ月間が突出して多い」とし、「これは、統一教会が教団名をライフトレーニングにおいて被勧誘者に初めて明かし、将来献身することを誓わせるフォーデーズセミナーまでの期間である。学生の場合は卒業までに時間がかかることもあり、決意表明を短期間に迫られることはないが、独身の社会人の場合は短期間に決意させることを目標にしたプログラムが組まれる」(p.211)と説明している。

図6-8 櫻井氏は、調査対象となった信者たちの「入信から献身までの期間」を棒グラフにした図6-8を示し、「入信から献身を決意するまでの期間を見ると、これは数ヶ月から1年間、複数年まで散らばりがある」としている。

どうやら櫻井氏は、統一教会への伝道・入信・献身までの期間が極めて短いことを理由に、信仰の獲得が本人の主体的な意思ではなく、プログラムや説得による受動的なものであると言いたいようである。これは統一教会への回心が「洗脳」や「マインド・コントロール」という非難を浴びてきた理由とほぼ同じである。すなわち、外部の世界との接触や情報が制限された環境の中で、極めて短期間のうちに入会していることから、大事な決断をさせるのに十分な時間と情報を与えていないのではないかということだ。

実際には、入会に至るまでの時間の長さは地域によって大きく異なる。バーカー博士によれば、「オークランド・ファミリー」と呼ばれるカリフォルニアの運動では、大部分のメンバーが運動に出会って、2~3週間以内に入会しており、しかもその間は修練会にどっぷりと浸かっていたという。それに比べれば4ヶ月という日本の最短コースは十分に長いとも言えるし、社会人であれば職場に通いながらのトレーニングであるため、外部の世界との接触が完全に分断されているわけではないという意味では「ゆるい」とさえ言えるではないだろうか?

櫻井氏は「献身することを誓わせる」「決意表明を短期間に迫られる」「短期間に決意させる」といった表現を多用することによって、あたかも伝道する側の思い通りに相手をコントロールできるかのような印象を与えようとしているが、結果としての入信までの期間や献身までの期間に大きなばらつきがあることは、それほど思い通りにコントロールできわけではなく、最終的には本人次第なのだということを物語っている。

1983年に原理研究会で伝道された筆者の場合、霊の親に出会ったのが5月で、しばらく週一回のペースでビデオを聴講し、7月に7日修、8月に新人研、9月には入教というCARPの新入生伝道を絵に描いたような「最短コース」をたどり、4カ月で下宿を引き払ってホームに移り住む入教生活を始めた。だからといって、私は何かを決意させられたとか、迫られたとは感じなかった。入信までの期間が短い人は、それだけ本人が納得していたということであり、長い時間がかかった人は、納得するのに時間がかかったというだけのことである。

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