西田公昭氏の「カルト」の定義


 西田公昭という人物がいますが、彼は日本で最も本格的にマインド・コントロールを研究している学者です。彼のカルトの定義では「強固な信念を共有して熱狂的に実践し、表面的には合法的で社会正義を振りかざす。しかし、実質的には自らの利益追求のために手段を選ばない集団のことを『カルト』と呼ぶ」となっています。さらに、「宗教、政治、教育、企業などのさまざまな分野に存在し、人権侵害を行う。また、強力なカリスマ的リーダーを拝する場合が多く、組織管理のために心理操作、マインド・コントロールを行なってメンバーを騙す場合が多い」としています。これは西田氏独自の定義ですが、やはり疑問を呈することができます。まず、「『強固な信念を共有して熱狂的に実践する』としていますが、その何が悪いのか」ということです。一般的に活発な宗教団体、政治思想団体、営利団体などは熱狂的に活動していますし、そのこと自体は批判されることではありません。さらに西田氏は「裏と表がある。社会的正義を謳いながらも実質的には利益の拡大、組織の拡大を目指しているのが『カルト』だ」と言います。しかし、ほとんどの宗教団体や政治思想団は、「救い」や「社会正義」などを謳いながら組織を拡大していきます。「組織の拡大=自己利益」であれば、すべての集団が西田氏の定義に当てはまることになります。また、「手段を選ばない」という部分も意味が不明です。これは犯罪を指すのか、あるいは違法行為を指しているのかがよく分からないのです。

 先ほど紹介した『大学と学生』の9月号に掲載されている太刀掛准教授の論文には次のように書いてあります。「日本脱カルト協会によれば、ある集団をカルトと呼ぶ基準は、その集団の教義や儀礼が奇異に見えるかどうかであってはならない。あくまでその集団が個人の自由と尊厳を侵害し、社会的に重大な弊害をもたらしているかどうかであるべきである」と。なぜ、彼らはこのようなことを主張しているかと言いますと、実は、「カルト批判は、特定の宗教に対する攻撃や信教の自由の否定ではないのか」といった懸念を払拭したいのです。しかし、「では、『その集団が個人の自由と尊厳をどの程度侵害しているか』についてしっかりと調査しましたか」と問いますと、実はしていないのです。現役信者への聞き取り調査などに基づいて測定した客観的データはありません。ですから、いくら言葉でこのようなことを言ったとしましても、ある集団において個人の自由と尊厳がどの程度侵害されているかということは、現時点では測りようがありません。ですから、この主張自体に実証的な意味はないのです。さらに、西田公昭氏の研究では、集団の健康度を検討する視点から『過度な集団アイデンティティ』『個人生活の剥奪』『内外集団からの批判封鎖』『絶対服従』といった構成要素の程度によって、集団が特徴付けられるとしています。つまり「こういった要素が多ければ集団としての健康度が低くなる。それが『カルト』である」と、心理学的な視点から主張したいのです。では、これらの要素をどのようにして測るのでしょうか。実は、これについても現役信者への聞き取り調査などに基づいた、客観的データが一切ありません。さらに、仮にこの要素を測ることができたとしても、「この4つの要素を満たせば健康度が低い」という内容にも疑問が残ります。例えば、この要素を基準にしますと、カトリックの修道院などは、集団の健康度が極めて低い団体という結論になってしまいます。ですので、これ自体が極めて「偏った反宗教的な尺度」であると言わざるをえないのです。

 ちなみに、有名なスティーブン・ハッサンによる「カルト」の定義は、「破壊的カルトとは、非倫理的なマインド・コントロールのテクニックを悪用し、そのメンバーの諸権利を犯し、傷つけるグループのことである。破壊的カルトはメンバーを集団に留めておくために説得し、その他の有害な影響力を用いるという点で、正常な社会集団や宗教団体とは異なる」です。簡単に言えば、「破壊的カルトはマインド・コントロールによって定義される」ということです。つまり、「マインド・コントロール理論」が否定されれば、同時に彼の破壊的カルトの定義も崩壊するということになります。「マインド・コントロール」については、また後ほどご説明します。

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