書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』48


櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第48回目である。

「第Ⅰ部 統一教会の宣教戦略 第5章 日本と韓国における統一教会報道」の続き

この章は日本の朝日新聞と韓国の朝鮮日報における統一教会関連の記事を検索することを通して、統一教会が両国のマスメディアによってどのように報道されてきたかを分析することを目的としている。先回までは、1980年代後半に朝日新聞で頻繁に取り上げられるようになった「霊感商法」問題の背後にあった政治的攻防を解説したが、今回は第4期と区分される「1990年代」を扱う。櫻井氏はこの時代を「教勢の停滞・カルト問題化」と特徴づけている。

1990年代前半の朝鮮日報の記事は、文鮮明師の古希記念式(1990年2月1日)、モスクワでの世界言論人会議とゴルバチョフ大統領との会談(1990年4月11日)、文鮮明師の北朝鮮入りと金日成主席との会談(1991年12月6日)のニュース、さらには金日成主席が死去した際に朴普煕・韓国世界日報社長が弔問のために北朝鮮入り(1994年7月13日)したことなどを取り上げている。教会員の立場からは、摂理史の一幕を一般の新聞が報道しているといった感じだ。

文鮮明師とゴルバチョフ大統領の会談は、実は韓国のマスコミでは高く評価されていた。韓国の時事問題専門週刊誌「時事ジャーナル」は4月29日号でこの会談について、「ソ連の最高指導者が韓ソ修好や韓半島の安全保障に関して、このように明確にその政策を明らかにしたのは前例がない」と絶賛した。同誌は、文鮮明師の世界言論人会議を通してのソ連へのアプローチは、金永三氏(後の大統領)、朴哲彦氏(ハンガリーなどの東欧諸国との外交樹立に尽力した外交密使)よりも一次元高い成果を上げたと評価した。ゴルバチョフ大統領が直接、韓ソ修好の意向を表明したのはこの時が初めてだったからである。(朴普煕『証言』下巻、p.260)その後まもなく、1990年9月30日に、ソ連と韓国の国交が樹立されたのは周知の通りである。

文鮮明師と金日成主席との会談は、さらに韓国社会の関心が高かったと思われる。朝日新聞では、文鮮明師の北朝鮮入りを扱った記事は5件に過ぎなかったようだが、朝鮮日報では北朝鮮訪問の事実だけではなく、それをめぐる韓国社会の反応を連日にわたって報じたことによって、記事が一気に増えたとされている。やはり韓国人にとって文鮮明師の北朝鮮訪問という事件は、自国民が敵対関係にある同一民族の国を訪問したという性質上、日本人よりもはるかに関心のある出来事であったのだろう。

一方、この時代の朝日新聞は、元信者らが統一教会を相手取って起こした裁判の記事や、文鮮明師が日本に入国できたのは金丸信氏が法務省に圧力をかけたからではないかという一連の記事が見られる。この新聞記事は、1992年3月26日から4月1日にかけて、文鮮明師が約13年半ぶりに来日したことに関連している。それ以前の来日は1978年9月であり、その後も聖和されるまで来日は実現しなかったので、結果的にこれが最後の来日となった。文鮮明師はアメリカで禁固刑1年6カ月の有罪判決(ダンベリー刑務所に服役)を受けていたため、入管法の規定により、通常は日本に入国できないことになっていた。このときの来日は、「北東アジアの平和を考える国会議員の会」の招聘があり、北朝鮮を訪問した文師と日本の国会議員が北東アジアの平和について話し合うことは公益性があると法務省が認めたので入国が許可されたということであって、日本の法的手続きをきちんと踏んでいるため、違法行為でも超法規的措置でもない。それを反対派が騒ぎ立て、朝日新聞が報道したというだけのことである。文師が入国目的の通りに、実際に国会議員と懇談したことは『日本統一運動史』(光言社)の中に以下のように記録されていることからも明らかである。

「1992年3月31日、真の御父様は、閣僚経験者を含む31人の国会議員が参加して行われた『北東アジアの平和を考える国会議員の会』主催の歓迎晩餐会に招かれ、約1時間の講演をされました。講演内容は、『共産主義崩壊の一方で民主主義世界でも問題が山積し、収拾のつかない状況になっている。この問題を解決するには神の存在をはっきり知らなければならない』と強調され、『世界平和のためには統一が必要であり、統一は神を中心とした真の愛によって成し遂げられる』と語られました。」(『日本統一運動史』p.457)

1992年という年は、マスコミによる統一教会報道という観点からすれば特筆すべき年であった。この年の8月に行われた3万双の合同結婚式に、新体操のオリンピック選手だった山崎浩子さんや女優の桜田淳子さんが参加することにより、統一教会の祝福式がいわゆる芸能人ネタとして大々的に報道されるようになったためである。週刊誌のスクープで火がついて、連日のようにテレビのワイドショーで統一教会の問題が扱われるようになった。これは新聞報道よりもテレビ報道がメインであったため、朝日新聞を検索しただけでは到底このころの過熱ぶりは理解できない。

これが結果的に統一教会の宣伝になることを危惧したのか、反対派はテレビを使って一気に巻き返しに入った。反対派は拉致監禁によって教会を離れた元教会員をテレビに登場させ、「自分は霊感商法をこんなふうにやってました」と証言させる反対キャンペーンが繰り広げられたのである。この1992年の3万双のころが、日本における反統一教会報道のピークであり、ワイドショーがほぼこの話題でジャックされて、日本中で統一教会を知らない人がいないというくらいに有名になった。この年に山崎浩子さんや桜田淳子さんの合同結婚式参加を巡ってマスコミから統一教会が大々的に打たれる前は、日本国民の中で「統一教会って知ってますか?」と言われて「知らない」と答える人は結構な割合で存在したはずである。しかしこのときには、統一教会について聞いたことがないという人は、テレビを見たことがない人ではないかというくらいに有名になった。まさに1992年はマスコミによる統一教会バッシングのピークだったといえる。そして1993年には、山崎浩子さんの脱会記者会見(4月21日)の様子も報じられている。朝日新聞は、そうした過熱報道ぶりを間接的に記事にしているのであって、実際に人々に与えたインパクトはテレビのワイドショーの方がはるかに大きかったと言えるであろう。

1990年代後半の記事は両国ともいささか断片的である。朝日新聞ではブッシュ元大統領が世界平和女性連合の行事に参加したこと(1995年9月14日、東京ドーム)に対する批判的な記事、日本ハムの上田監督の娘が統一教会に入ったことを理由に、同監督が退団したこと(1996年9月)、さらには統一教会を被告とする裁判の記事などが並んでいる。一方、朝鮮日報ではフィリピン移民局が合同結婚式に参加する女性の出国を禁止したことに対しての統一教会の抗議についての記事、リトルエンジェルスの平壌公演(1998年5月4日)などが報じられている。リトルエンジェルスの平壌公演は、文鮮明師の訪朝と同じく、南北関係に関わる問題だったので、韓国の国民の関心は高かったのではないかと思われる。こうして新聞報道の見出しを並べてみると、あたかも摂理史の出来事が走馬灯のように映し出されていくのを見るようで、ある種の感慨を禁じ得ない。

櫻井氏は、朝日新聞が統一教会を問題視する立場から扱っているのに対して、朝鮮日報を見る限りは、「韓国では統一教会が問題のある宗教団体として記事になっている様子はない」(p.187)と分析し、両国の認識の違いを強調している。こうした報道スタンスの差異の原因は、一言でいえば、両国のマスコミの関心のあり方が違うということに尽きる。これは統一教会問題に限ったことではなく、慰安婦問題、竹島問題、北朝鮮問題のどれをとっても日本と韓国では報道のあり方が異なることはよく知られている。統一教会は韓国にとっては「自国の宗教」であり、日本にとっては「他国の宗教」である。したがって、韓国の新聞がそれを客観的あるいはやや好意的に扱い、日本の新聞が批判的に扱うのはある意味で当然と言えよう。

さて、5つ目の時代区分である「2000以降」の記述も、基調は同じであって、記事の内容は断片的な内容が雑多に並んでいる感じを否めない。この時代は統一教会を被告とする民事訴訟の判決が多数出た時代なので、朝日新聞ではそうした判決についての報道が多いというのが特徴の一つであろう。

最後に櫻井氏は、朝日新聞と朝鮮日報における統一教会関連の記事を大まかに整理して分析を試みているが、これについては次回扱うことにする。

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