滝本弁護士の「カルト」の定義と「カルト度」


2010年11月27日、東京国際大学の早稲田キャンパスで、『日本脱カルト協会公開講座2010』というものがありました。テーマは「大学におけるカルト問題の今 -現場・理論・対策-」でした。実は、私もこの公開講座に参加しました。基調講演を行ったのは、オウム真理教被害対策弁護団に所属している滝本太郎という、非常に有名な弁護士です。滝本弁護士は、「国立大学と私立大学でかなり事情が異なります。なぜかと言いますと、国の宗教活動の禁止は反宗教活動の禁止も意味する」と語っていました。憲法第20条3項に、「国およびその機関は宗教教育その他いかなる宗教活動もしてはならない」と書いてありますが、これは「宗教活動をしてはならない」と同時に、「宗教に反対する活動も禁止である」ということになるのです。すなわち、憲法の精神では「宗教に関して国は中立を守らなければならない」ので、「国立大学は反宗教的活動をすると憲法違反」になるのです。これは滝本弁護士がそう言って下さっているのです。国立大学の場合、大学当局が行ったことは、そのまま「国」が行ったとみなされます。「国が反宗教活動をしたら憲法違反である」ので、学生たちは信教の自由が保障されるのです。

しかし、滝本弁護士は「国立大学の反宗教活動は憲法違反だ。しかし、これはカルト問題の防止・是正の禁止を意味しない」とも強弁しています。つまり、宗教かが問題ではなく、カルト度が問題であると述べているのです。そこで彼は、「宗教」「宗教性」という軸と「カルト度」という2つの軸を設け、その二次元の枠の中でカルト性が強いかどうかを吟味しようとしています。しかし、そうなると今度は「カルト」と「宗教」を区別できるのか、といった疑問が生じてきます。そこで、滝本弁護士は『破壊的カルトの定義』として、このようなことを述べていました。「教祖または特定の主義主張に絶対的服従をさせるべく、メンバーないしメンバー候補者の思考能力ないし思考意欲を著しく減退ないし喪失させ、目的のためには違法行為も繰り返して行う集団、これを『カルト』と呼ぶのだ。これは別に宗教団体に限らない。だから信教の自由には抵触しないカルトの定義なのだ」と。つまり、「ある団体はカルトだが、ある団体はカルトでない」というように、「白か黒か」もしくは「0か100か」といった問題ではなく、「カルト度」という指標があり、そのカルト度を問題にする。「カルト」と「宗教」は一つの線引きができないものなので、カルト度100の団体、カルト度50の団体、カルト度30の団体といったように、グラデーションがあると主張していました。しかし、これも非常に疑問が残る主張です。そもそも「絶対的に服従させる」ことがカルトの定義としているにもかかわらず、「0か100」ではなく程度の問題としているのがおかしな話です。絶対的に服従させる団体とは、100%絶対的に服従させて初めて「カルト」になります。「いや、私は30%絶対的に服従しています」とか「50%絶対的に服従しています」といったこと自体が成り立たないのです。また、滝本弁護士の主張の大部分は「マインド・コントロール理論」に基づいています。そのため、滝本弁護士は「メンバーの思考能力ないし思考意欲が通常より減退ないし喪失しているのがカルトの特徴」と語っていますが、では、「ある集団においてそのようなことが起こっていると、どのように測定し、どのようにして証明するのですか」と問いますと、実は中身は何もありません。根拠がないことを言っているに過ぎないのです。最も根拠があるのは、「違法行為を行なう団体を『カルト』」とまとめた部分です。これはある程度社会的に認定できます。しかし、それでは違法行為を行なった団体はすべて「カルト」なのでしょうか。何回以上違法行為を行えば「カルト」になるのでしょうか。あるいは、民事、刑事、そして行政法と言いますけれども、民事訴訟で敗訴すれば、即座に「カルト」になるのでしょうか。民事訴訟で敗訴した宗教団体はたくさんあります。一度でも民事訴訟で敗訴すれば、それだけで「カルト」のレッテルを貼られてしまうのでしょうか。「繰り返し」とは何回を越えたら認定されるのでしょうか? 実は、違法行為に関する主張においても、こういった部分が極めて曖昧になるのです。特定集団の「カルト度」なるものを測定する客観的な基準があるかといいますと、実際には存在しないのです。

カテゴリー: 「カルト」および「マインド・コントロール」に関する批判的考察 パーマリンク