では、「大学によるカルトの認定」はどうなのでしょうか。大学当局は、「信教の自由がありますので宗教団体、宗教そのものを問題にしてはいません」と、主張しています。
基本的に、「学内で宗教活動を行ってはいけない」といった法律は存在しません。ですから、もし「学内で宗教活動を行ってはいけない」と問われることがあっとしましても、「どうして駄目なのですか。どのような法的根拠があるのですか」と、逆に問うていただきたい。特に、国立大学の場合は背後に国家がありますので、宗教団体の活動を禁止してしまえば憲法違反になります。
ですから、大学が「『宗教』は良いが『カルト』は駄目だ。これは規制の対象である」と主張してくるとしましても、「宗教」と「カルト」はどこで線引きをするのですかが問題になるのです。しかし、「宗教」と「カルト」は厳密に言うと分けられません。フランスのように、国家が特定の宗教を「カルト」と認定してしまうと大論争が起こります。そのことがあるので、滝本弁護士は「『宗教』と『カルト』は『0か100か』のように線引きできるものではなく、カルト度がある。そして、このカルト度はグラデーションになっている」と主張しているのです。それでも、「カルト度」の測定方法やその基準は何か、そしてカルト度が何%までだったら大丈夫なのかなどの線引きについてなど、非常に多くの疑問が残る稚拙な論理です。そういったことを理解した上で、「カルトの認定はできません」と主張しなくてはいけません。
また、大学側もこういったことを知らないわけではありませんので、先ほどの太刀掛准教授の主張のように、「『カルト』のラベルによって判断を下すことが重要なのではなく、社会的なルールである情報公開が不十分であることを注意する必要がある」として、信仰内容そのものでなく勧誘の方法を問題とする、というように議論をシフトさせなければならないのです。
また、櫻井義秀・北海道大学教授の『統一教会』という本には、「大学としては宗教活動それ自体や、特定の教説が問題だというのではない。学生の信教の自由より、学習の権利を侵害するような勧誘・教化手段は許されないと考える」(p.v)と書いてあります。つまり、「あくまで伝道、勧誘の方法が問題である」というところに議論をシフトしているのです。宗教そのものは問題にできないので、「方法が問題である」ことを強調しているのです。では、もし方法が問題であるならば、最初から名乗って勧誘活動を行えばいいのです。それは、社会的なルールを守っていることになりますので、「大学はルールを守りさえすれば、学内における活動を公認するのですね。本当にそうであったら公認していただけますよね」と主張できるのです。相手が何を問題にしているのかを正確に理解し、しっかりと対応すれば問題ないのです。