書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』29


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第29回目である。

「第Ⅰ部 統一教会の宣教戦略 第3章 統一教会の教団形成と宣教戦略」の続き

 先回は本章の「三 民俗宗教を併合する新宗教」(p.103~p.126)と、その初出論文である1998年の「新宗教教団の形成と地域社会との葛藤――天地正教を事例に――」(『宗教研究』317号、p.75-99)のテキストを比較することにより、その間に櫻井氏の捉え方や考え方がどのように変化したのかを明らかにしようと試みた。その結果、天地正教に対する櫻井氏の理解は1998年と2010年の間に変化しており、それは彼の統一教会に対する敵対心が増大したことを反映していることがわかった。最大の違いは、1998年の時点では天地正教の教祖である川瀬カヨの側にも自身の既存の信仰と統一原理を積極的に結び付けていった主体性を認めていたのに対して、2010年の時点ではそうした記述を削除し、北海道の小さな民俗宗教に過ぎなかった川瀬カヨの「富士会」を被害者の立場で描き、それを乗っ取ってダミー教団化した統一教会を加害者であり悪者の立場で描くというストーリー構成が徹底して貫かれていることである。

 本章で櫻井氏が新しく主張しているテーゼは、「統一教会が教勢拡大のために日本の民俗宗教を擬装するという宣教戦略のもとに形成された教団が天地正教である」(p.103)というものである。しかし、筆者の理解では天地正教は、統一教会が富士会を「乗っ取った」とか「ダミー化した」というよりも、富士会の教祖であった川瀬カヨが統一教会に回心することにより、自らの教団を積極的に真の父母に捧げた、あるいは統一教会が富士会を教団まるごと「復帰した」と表現するのが妥当であるように思われる。教祖の回心の過程において、教団の教えが統一原理の影響を受けて変化するのは自然なことである。そして、統一教会から天地正教に多くの人材と資源が投入されたことは、「擬装」というよりは「土着化戦略」の一環としてとらえることができると思われる。

 今回は、上記の櫻井氏のテーゼ、すなわち「天地正教は擬装であった」という主張が正しいかどうかを考察してみたい。擬装とはすなわち欺くことである。天地正教は本当に宗教的本質を隠して信徒を欺こうとしていたのだろうか? 日本統一教会が天地正教の創設に積極的に関わったことは事実だが、果たしてそれは、統一教会の教えである統一原理の本質に反するような逸脱行為だったのだろうか? そのことを判断するためには、統一原理がそもそも仏教や弥勒信仰をどのようにとらえているのかを知らなければならない。

 もし統一教会が、キリスト教の福音派や根本主義者のように、聖書のみが唯一の真理の源泉であり、他の宗教は迷信か悪霊の業であるというような排他的な聖書主義の立場に立つ宗教であれば、仏教系の新宗教の創設に関わること自体が自己矛盾であり、まさしく宗教的本質を逸脱した「擬装」行為となる。しかし、原理講論は釈迦牟尼の説いた仏教をメシヤ降臨のための準備であったと積極的に評価しているのである。
「また、異邦人たちに対しては、これとほとんど同時代に、インドの釈迦牟尼(前五六五~四八五)によって印度教を発展せしめ、仏道の新しい土台を開拓するように道を運ばれたし、ギリシャでは、ソクラテス(前四七〇~三九九)の手でギリシャ文化時代を開拓せしめ、また、東洋においては、孔子(前五五二~四七九)によって儒教をもって人倫道徳を立てるようにされるなど、各々、その地方とその民族に適応する文化と宗教を立てられ、将来来られるメシヤを迎えるために必要な、心霊的準備をするように摂理されたのである。それゆえに、イエスはこのように準備された基台の上に来られ、キリスト教を中心としてユダヤ教(Hebraism)を整理し、ギリシャ文化(Hellenism)、および、仏教(Buddhism)と儒教(Confucianism)などの宗教を包摂することによって、その宗教と文化の全域を、一つのキリスト教文化圏内に統合しようとされたのである。」(原理講論、p.484)

 さらに、弥勒仏という言葉は原理講論に3回登場し、キリスト教のメシヤに対する仏教的な呼び名であると説明されている。このことは、復活論の「再臨復活による他のすべての宗教の統一」において詳しく説明されている。
「キリスト教はキリスト教だけのための宗教ではなく、過去歴史上に現れたすべての宗教の目的までも、共に成就しなければならない最終的な使命をもって現れた宗教である。それゆえに、キリスト教の中心として来られる再臨主は、結局、仏教で再臨すると信じられている弥勒仏にもなるし、儒教で顕現するといって待ち望んでいる真人にもなる。そして彼はまた、それ以外のすべての宗教で、各々彼らの前に顕現するだろうと信じられている、その中心存在ともなるのである。

 このように、キリスト教で待ち望んでいる再臨のイエスは、他のすべての宗教で再臨すると信じられているその中心人物でもあるので、他の宗教を信じて他界した霊人たちも、彼がもっている霊的な位置に従って、それに適応する時機は各々異なるが、再臨復活の恵沢を受けるために、楽園にいる霊人たちと同じく再臨しなければならない。そして、各自が地上にいたとき信じていた宗教と同じ宗教をもつ地上の信徒たちを、再臨されたイエスの前に導いて、彼を信じ侍らせることによって、み旨を完成するように、協助せざるを得なくなるのである。したがって、すべての宗教は結局、キリスト教を中心として統一されるようになるのである。」(原理講論、p.234)

 このように、統一原理においては仏教徒が再臨のメシヤを「弥勒仏」として受け入れることを必然的なこととしてとらえ、キリスト教のメシヤと仏教の弥勒仏が同一人物であることにより、最終的には宗教統一がなされていくという神学が存在するのである。したがって、天地正教の創設には神学的根拠があり、「擬装」ではない。そして天地正教の教えは表現が仏教的であるだけで、救い主を文鮮明師夫妻と宣言しているのであるから、信仰の本質はかなりストレートに表現されており、天地正教の信徒たちに人を騙しているという意識はなかったであろう。そもそも文鮮明師は「世界平和宗教連合」を創設して宗教の和合統一を目指したり、「世界経典」の編纂と発行を提唱したりするなど、宗派の違いを超えた普遍的真理を追究する教えを説いているため、統一教会の信徒はキリスト教と仏教の教えが根本的に異なるものだとは思っていないのである。

 弥勒仏は原語のサンスクリットでは「マイトレーヤ」といい、釈迦牟尼仏の次に現われる未来仏であるとされた。弥勒仏は、釈迦入滅後56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済するとされ、それまでは兜率天で修行しているとされる。弥勒信仰には大きく分けて、弥勒菩薩の兜率天に往生しようと願う信仰(上生信仰)と、弥勒仏がこの世に出現するという信仰(下生信仰)があり、下生信仰には一種の終末論的な期待が込められている。

上記の原理講論の引用の後半部分は霊人の再臨協助に関する内容だが、天地正教においてこの役割を果たしているのは弘法大師である。川瀬カヨが神憑りになったきっかけは真言密教の行者との問答の最中であり、祭神には弘法大師をいただいていた。弘法大師は高野山で入定する際に、兜率天へ往生することを願い、弥勒下生の時には共に来臨すると遺言したと言われている。そして川瀬カヨが1992年に高野山奥の院に参拝した際に、弘法大師から「下生した弥勒は文鮮明夫妻である」という神示があったという。このことから、もともと川瀬カヨの中にあった弥勒仏と弘法大師に対する信仰が、統一原理に触れる中で、弘法大師の再臨協助を受けて一つに結びついたと理解することができるのである。これは復活論で説かれている内容と一致している。

 川瀬カヨは、小さいながらも一つの教団を率いる教祖のような立場にいた。その彼女が文鮮明師を弥勒仏またはメシヤとして受け入れたのであれば、彼女の教団を丸ごとメシヤに捧げることは当然であり、それが彼女の使命であった。これはある意味で洗礼ヨハネと同じタイプの使命であった。洗礼ヨハネはイエスをメシヤとして証したのちには、彼の前に一人の弟子の立場で彼に従い、仕えなければならなかった。それは同時にヨハネの弟子たちもイエスの弟子になることを意味する。しかしヨハネはその後、イエスと別行動をとるようになり、運命を共にしなかった。そればかりか、イエスの弟子とヨハネの弟子とが、どちらの先生の方が洗礼を多く授けると言い争ったこともあった。結局、洗礼ヨハネは自分の教団をイエスに捧げることができずに失敗し、悲惨な最期を遂げたのである。しかし、川瀬カヨは文鮮明師をメシヤとして受け入れ、小さいながらも自分の教団をメシヤに捧げたのである。

文鮮明師と川瀬カヨ教祖

 ここに一枚の写真がある。1993年に川瀬カヨ教主が文鮮明師と面会したときの写真である。下生した弥勒仏、再臨のメシヤと出会った川瀬教主の嬉しそうな顔が印象的である。彼女の生涯は、櫻井氏の言うような統一教会に利用された悲惨な人生であったのではなく、自らの信じる道に従って歩んだ幸福な人生であったと私は思う。

 統一教会の側から見れば、天地正教は「統一原理の仏教的展開による日本への土着化」という目的の下に出現したと理解でき、それは一定の成功を収める可能性を秘めていた。天地正教の出現自体は擬態でも擬装でもなく、摂理的な意義を持っていたと思われる。しかし、結果的に天地正教は統一教会に合併吸収される形となり、事実上消滅してしまった。その原因は、宗教的なものというよりは人間的なものであったと推察され、個人的には残念な結果であったと思っている。

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