書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』28


櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第28回目である。

「第Ⅰ部 統一教会の宣教戦略 第3章 統一教会の教団形成と宣教戦略」の続き

先回まで本章の「二 統一教会の宣教戦略の展開」(p.88~102)の内容を扱ってきたが、今回から「三 民俗宗教を併合する新宗教」(p.103~p.126)の内容を扱う。この部分は天地正教について扱っており、23ページに及ぶ詳細な記述であるが、これは櫻井氏が1998年に発表した「新宗教教団の形成と地域社会との葛藤――天地正教を事例に――」(『宗教研究』317号、p.75-99)のリライトであり、テキストの大部分を再利用したうえで、一部情報をアップデートしたり、記述を削除または変更したものである。

天地正教については、このブログの「霊感商法とは何だったのか?」のシリーズで三回にわたって扱っており、筆者はその際に櫻井氏のこの論文を「天地正教に関する宗教学者による客観的な研究」として紹介している。その内容も、「全国霊感商法被害対策弁護士連合会による天地正教の批判を踏まえながらも、川瀬カヨの生涯を資料に基づいて丁寧に追いながら、天地正教の成立過程を分析している」と肯定的な評価をしている。櫻井氏の論文の概要と、「霊感商法」と天地正教の関係に関心のある方は以下のURLを開いて読んでいただきたい。したがって、ここでは天地正教に関する詳細な説明は繰り返さない。
http://suotani.com/archives/1558
http://suotani.com/archives/1566
http://suotani.com/archives/1578

天地正教の誕生は1988年であり、約10年活動した後に、1999年に統一教会によって事実上吸収合併された。その間、筆者は継続して統一教会のメンバーであったので、天地正教について見聞きしたことはあり、近くの道場を訪問したこともあったが、直接かかわる機会は少なかった。櫻井氏の1998年の論文は地道な調査を行って書いたものと思われ、事実関係に関して筆者はこれに反論するだけの情報を持たない。とりわけ北海道で起こったことに関しては、直接知っていることはほとんどないと言ってい良い。したがって、天地正教に関する記述の事実関係に関して逐一反証することはできないので、少し違った角度から本章の「三 民俗宗教を併合する新宗教」の内容について分析を試みることにする。

それは、1998年に発表された「新宗教教団の形成と地域社会との葛藤」と2010年に出版されたそのリライト版である「三 民俗宗教を併合する新宗教」のテキストを比較することを通して、その間に櫻井氏の捉え方や考え方がどのように変化したのかを明らかにするという方法である。以降、1998年に発表された初出の論文を「甲」と表記し、2010年に出版されたリライト版を「乙」として、比較検証を行うことにする。

櫻井氏は乙の冒頭で、「統一教会が教勢拡大のために日本の民俗宗教を擬装するという宣教戦略のもとに形成された教団が天地正教である」(p.103)と断言しているが、こうした表現は甲の中には存在しない。「擬装」とは人の目を欺くために外見をまぎらわしくすることを意味し、断罪の意味を込めたかなり強い言葉である。天地正教に対するこうした位置づけの変化は、1998年と2010年の間に起きた櫻井氏の統一教会に対する心境の変化を表していると思われる。すなわち、敵対心が増大したということだ。

川瀬カヨに対する櫻井氏の評価は、日本における典型的な女性のシャーマン的霊能者であるという点では一貫している。その体験は、苦難の半生と更年期の神憑り体験、教団の遍歴による宗教観と儀礼の確立、修行による霊威の強化という点では、中山みきや出口なおと共通するものがある。しかし、カヨはシャーマン的霊能者のレベルに留まっていたのであり、教祖として一派を立ち上げるほどのカリスマは持ち合わせていなかったという。そうした中で、1973年に「霊感商法」と出会うのである。この出会いに関して、甲の論文においては以下のような記述がなされている。
「カヨは初期の霊感商法に出会い、積極的に関わるようになった。しかしながら、カヨを将来への不安、家族問題、病気等をつかれた悪徳商法の被害者とみるのは妥当ではないだろう。この時期は霊能者としての名声を得、経済的にも一応の安定を得ていた。霊感商法のレトリックに落ちたというよりも、カヨ自身が壺や壺売りの口上(家系図、先祖の祟り・供養、霊界の知らせ等)、その後の統一原理による説明に魅力を感じ、自身の宗教を包含するものとして受け取ったのであろう。ここでは、カヨ自身の子も同時期に統一教会と関わりを持ったこと、彼女固有の家族問題等も含めて、統一教会へのコミットを理解していく必要がある。」(甲、p.83)

この表現は、川瀬カヨを「霊感商法」の受動的な被害者としてではなく、むしろ積極的な回心者としてとらえており、彼女自身が統一原理というより包括的な宗教理念に魅力を感じていた点をきちんと押さえている。しかし、甲にあったこの文章は、乙においてはバッサリ削除されているのである。それは、川瀬カヨの一家を統一教会の被害者として描きたいという櫻井氏の乙におけるシナリオにおいては、都合が悪いからである。

さて、甲においては1983年に天地正教の前身である「富士会」の会長に川瀬カヨの三女・静江が「神の天啓」で決まったことが報告されたと、客観的記述がなされているが、乙においてはわざわざ「この部分は天地正教による創作の要素が大と思われる」という注釈がつけられている。これは、天地正教誕生の経緯が川瀬カヨ一家の意思とは関係のない、統一教会の「やらせ」であると言いたいがためである。

川瀬カヨのファンサークルのようなものであった「富士会」が天運教、天地正教へと再編成されていく過程において、もともといた信者たちが多数離脱したことは事実のようである。教祖自身の回心によってもたらされた教団の変化に、保守的な信徒がついて行けなくなったというのはいかにもありそうなことだが、櫻井氏はここでも「カヨはこのようにして大理石壺販売優秀者となったが、信者を失う代償を払っている。その代りに統一教会から統一教会信者を送りこまれたわけだ」(乙、p.114)と、彼女を被害者として描くことを忘れない。

天地正教の教義に関して、甲においては「カヨ自身が現在の教義である弥勒信仰を創出したとは考えにくい」としつつも、「カヨ自身にも受容の契機があったと思われる」としてその主体性は認め、「弘法大師の奇跡信仰、入定から弥勒としての下生信仰の内容が、部分的にでもカヨの知識にあったのではないか。それが、統一教会の明瞭なビジョン化(原理講論のメシヤ信仰、韓国ツアーによる弥勒信仰遺跡巡り等)によって、カヨ自身が持っていた一切の救済・解決願望と親和的に結びついたと思われる」(甲、p.86)としている。要するに、カヨ自身の中で従来の信仰と統一原理が結びつき、より高次の教えである統一原理によって包摂されたという理解である。

しかし、この部分も乙においてはバッサリと削除され、「要するに、統一教会の教説を弥勒信仰に擬装しているのだが、あまりにも露骨である」(乙、p.116)という断罪調の表現に改変されている。天地正教として全国展開し、「下生した弥勒が文鮮明夫妻である」という神示が公表されるプロセスに関しても、「要するに、天地正教の川瀬一家の動きとは別に、統一教会側の方で全てセッティングを行い、各地の道場長も教団の方針を周知していたということなのだろう。天地正教の教団運営を担当していた統一教会信者と天地正教の各道場長達は、教祖や教祖一家の意向とは関係なく、統一教会による霊石販売活動を天地正教という仏教系新宗教を擬装して行っていたのである」(乙、p.117)と加筆するなど、攻撃の手を緩めることはない。結論は「カヨは死後も統一教会に利用されたのである」(乙、p.117)というものだが、この記述も甲にはないものである。

櫻井氏は天地正教の行事に参与観察をした際に、年輩信者から「統一教会の教えは難解で一般向けではない。天地正教は仏教的だから、年輩の人に受け入れられやすい」という発言を聞いているが、これに対する評価も、甲においては「統一教会の活動戦略と、天地正教の教団アイデンティティーを見るのは不当であろうか」(甲、p.90)という控えめな表現をしているのに対して、乙では「統一教会の活動戦略と、天地正教という擬装が窺える」(乙、p.119)というより断定的で断罪調の表現に改められている。

このように、2010年に出版された乙においては、北海道の小さな民俗宗教に過ぎなかった川瀬カヨの「富士会」を被害者の立場で描き、それを乗っ取ってダミー教団化した統一教会を加害者であり悪者の立場で描くというストーリー構成が徹底して貫かれていることが分かるであろう。その極め付けが、「いずれにしても、北海道の小さな民俗宗教に傷を残したことに違いはなく、彼女達は統一教会の力の前にねじ伏せられた」という結び言葉である。こうした論調の変化が生じた原因は、櫻井氏の統一教会に対する敵対心が増大したという感情的な要因と共に、『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』という書物の目的が、客観的で価値中立的な宗教研究というよりは、統一教会を批判・攻撃することにあるという、目的論的な要因も作用していると思われる。このような変化に関して櫻井氏自身は以下のように説明している。
「基本的な知見・資料に関しては、書籍全体の構想にあわせて資料提示や論調も変えており、資料の補充も行った上での分析・考察をなしている。」(p.579)

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