シリーズ「霊感商法とは何だったのか?」26


天地正教(2)

2.天地正教の組織と教え
天地正教は、天運教時代には帯広に本部を持つ十勝管内の一宗教団体に過ぎなかった。それが、わずか一年で、宗教法人化、名称変更を経て、全国規模の教団になったのであるから、これが自然発生的に起こることはありえない。霊石愛好会の支部道場が天地正教の支部道場に変わった経緯からしても、統一教会の信者の組織が、主導権を握って教団を再編成したことは明らかである。

また、川瀬カヨの天運教時代の教えと天地正教の教義との間には明らかに飛躍があり、川瀬自身が弥勒信仰を創出したとは考えにくい。したがって、そこにはメシヤ信仰の仏教的表現である「弥勒信仰」によって、統一原理の日本への土着化を図ろうとする戦略的思考が最初にあり、それを川瀬カヨが受容して、自らの言葉として語ったと分析することができる。これは「霊感商法」が自粛に追い込まれたことによって頓挫していた、日本の中高年層へアプローチを、新たな形で展開したものと言える。すなわち、これまで「商売」として展開していたものを仏教系の「宗教団体」として展開することにより、キリスト教的アプローチでは引き付けられない層をフォローしようとしたのである。

天地正教の祭壇は、天を奉じて祭祀を行う壇であり、三殿四聖を祀り、天によって祝別された壇であるとされる。これは川瀬カヨが天の啓示に基づいて1980年代初期に作ったものとされており、天とは大宇宙の根元者であり、神仏や神様と呼ばれる。天の性格としては、①慈愛の心情をもつ人格の神、②男女・陰陽の中和的存在であり父母なる神、③創造の神であり、人間と万物は披造物、④法則の神であり、秩序と調和、真善美の実現、が挙げられている。

三殿とは、祭壇の段数であり、天の基本数、天地界の縦軸(上中下、過去・現在・未来等)であるとされる。四聖とは、祭祀の対象物であり、天地界の横軸(東西南北等)である。四聖とは具体的には①弥勒慈尊像、②釈迦塔、③多宝塔、④聖石を指す。①は救世主の象徴であり、②と③は人格完成した聖なる人間を表し、釈迦塔は男性、多宝塔は女性を表す。これによって弥勒慈尊像を中心とした理想の夫婦、父母の徳を象徴しているとされる。④は天的人格を完成させた天の心情を体得した人間の象徴である。

ここには、メシヤを弥勒仏として仏教的に表現しながらも、統一原理の神学を可視的に表現しようとした形跡がうかがわれ、なおかつ「霊感商法」の商品をその中に含めることにより、顧客としてつながっていた人々を「天地正教」につなげようとする現実的な工夫も読み取ることができる。

天地正教において家庭で行う朝夕のおつとめは、以下のようなものであった。

①合掌、挨拶
②四拝礼
③正心瞑想
④読経(霊妙慈経)
⑤唱尊 南無父母弥勒尊
⑥祈祷
⑦合掌、挨拶

ここで、弥勒尊が父母となっているのは、真の父母という統一教会の崇拝対象と近似している。天地正教において最も頻繁に唱えられるお経は、「霊妙慈経」と呼ばれるものであったが、その内容は、末法の時代、弥勒を迎え、悪因縁を切り、孝・志・貞を守り、救世救国のために尽くす、というものであった。これは統一原理の終末論を仏教的に表現したお経であると解釈することができる。

霊妙慈経

また、祈祷の文言は、以下のようなものである。これは、夜の祈りの模範的な祈祷文としてテキストに載っていたものである。

「天の父母なる神様。今日一目、あなたの導きの中に、多くの恵みを与えられて過ごせましたことを心から感謝いたします。あなたの慈愛の中に生かされながら、どれだけ御意に応えうる歩みであったかと振り返れば、ただ申し訳ないばかりです。どうか今日一日犯した過ちを許し、再び繰り返すことのないように種々の悪と罪に打ち勝つ力を与えて下さい。そして、明日は今日以上にあなたに喜びをお返しできるように努めますから、私を覚え、導いて下さることを切にお願い申しあげます。この折りを尊き弥勒慈尊の御名を拝してお祈りいたします。南無慈尊」

この祈祷文は、弥勒慈尊、南無慈尊を除けば、キリスト教の「主の祈り」に実によく似ている。したがって、天地正教の儀礼と教えの中には、本来はキリスト教を基盤とする統一原理の内容を、仏教的な装いで表現しようとした意図が容易に読み取れるのである。

天地正教初期のテキストである『円和講教本』では、仏教の流れを組む信仰、先祖祭祀が強調されていたが、時が経つにしたがって、その教えは終末史観、メシヤ信仰の色が強まっていく。そして、最終的には「末法の世において下生された弥勒仏は文鮮明夫妻である」という結論に至るのである。その間の出来事を時系列的に辿っていくと以下のようになる:

1994年1月1日 教主が1992年5月10日、高野山奥の院にて弘法大師の霊から弥勒は文鮮明師であるとの経綸を得た、と公表する。

1994年2月4日 川瀬カヨが83歳で亡くなり、三女・新谷静江が二代教主となる。

1995年2月3日 本山において文鮮明夫妻の写真を祭壇に掲げる儀式を行い、公式に弥勒慈尊が文鮮明夫妻であることを表明する。この出来事を天地正教では「本尊親受」と呼んでいる。

1996年5月12日 第2回弥勒まつり開催、下生された弥勒は文鮮明師夫妻であることを講話で明言。

川瀬カヨ昇天

教祖・川瀬カヨの昇天を知らせる「天地正教」の機関紙

これら一連の出来事の前には、内々に文鮮明師夫妻が弥勒であると教えたことはあったが、教団として文師夫妻の写真を拝することはなかった。しかし、「弥勒仏=文鮮明師夫妻」という教えが公表されたということは、先祖崇拝や仏教的信仰を入り口として、弥勒仏としての文鮮明師への信仰へと導くという、日本における統一原理の土着化路線が公式に採用されたということを意味する。

その教義的展開は以下のようになる。まず、弥勒慈尊とは、①神様の心情と慈愛を抱かれた真実の親であられるお方、②家庭浄土を自ら完成し、御身をもって人々を家庭浄土に導いて下さるお方、③不幸の原因となっている根本的悪因縁を清算してくれるお方、④世界平和の道を切り開き、弥勒浄土を実現される方、当来仏であり、再臨主でもあると位置づけられる。これらはあきらかに、①真の父母、②理想家庭の完成、③原罪の精算、④地上天国の実現――という統一原理におけるメシヤの使命を、仏教的に表現したものであると理解できる。

天地正教においては、もともと祭壇の中央に祀られていた弥勒像を、このときから「象徴本尊」と位置づけ、新たに祭壇に掲げられた「親尊影」(文鮮明師夫妻の写真)を「形象本尊」であると位置づけた上で、それらすべての目的は、「実体本尊である真の父母なる弥勒様(文鮮明師ご夫妻)に侍っていく」ことにあると宣言することを通して、「弥勒=メシヤ=文鮮明師ご夫妻」という教義が明確に示されたことになる。

そして、弥勒下生の宗教伝統を東アジア、とりわけ韓半島に求め、弥勒の出現を予言する。弥勒下生の時期は、末法の極みであり、これは共産主義革命、ソ連邦が成立した1917年以降である。その場所は、大乗仏教が流布した東アジアの中で弥勒信仰が盛んだった韓国であるとする。このように、仏教史的な観点から統一原理の終末論と再臨論の内容が展開され、「弥勒=文鮮明師夫妻」であるという結論へと導いていくのである。

※本稿の記述は、桜井義秀氏の論文「変貌する新宗教教団と地域社会−天地正教を事例として−」を基礎資料として要約している。

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