書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』20


櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第20回目である。今回より、第Ⅰ部の中の新しい章に入る。

「第Ⅰ部 統一教会の宣教戦略 第3章 統一教会の教団形成と宣教戦略」
この章で櫻井氏は特に日本における統一教会の歴史をひもときながら、その宗教社会学的な意味を分析しようと試みている。初めに櫻井氏は、統一教会を「土着化に成功した宗教運動」として肯定的に評価する。

「統一教会は日本において最も宣教が成功した稀有な韓国出自の新宗教である。」「統一教会は日本社会に完全に地盤を築き、数万人の日本人信者を擁している。統一教会は日本への土着化に成功した。」(p.81)

このあたりの記述は正当な評価であり、全く異論はない。しかし、この評価から派生する必然的な疑問、すなわち通常であれば日本での宣教に困難が予想されるであろう韓国出自の新宗教がなぜ日本で成功したのかという問いに対する答えの部分では、櫻井氏と筆者は見解を異にしている。それについてはこれから一つひとつ解説することにする。

既にこのブログで述べたように、櫻井氏の統一教会に対する理解には、キリスト教的で普遍宗教的な要素とシャーマニズム的で韓国民族主義的な要素という本来相反するものが混在しているという認識があり、どちらかというと後者の方が統一教会のより本質的な部分であるととらえているふしがある。それは以下のような記述の中に表れている。

「確かに、文鮮明が骨子を説き、劉孝元が彼の科学観や世界観を加えた『原理講論』には、統一教会がキリスト教の伝統に連なり、それどころか再臨主を迎える摂理を担う唯一の教団であることが説かれている。しかし、『原理講論』に記された教説は、韓国の宗教文化や家族制度、政治状況の文脈においてのみ正しく認識できる」(p.81-82)

統一教会はある意味で韓国に土着化したキリスト教であるととらえることができ、別の表現をすれば、韓国の文化伝統とキリスト教が融合することによって誕生した新宗教であるということもできる。その意味では、キリスト教信仰と韓国の文化の両方の栄養素を吸い上げて統一教会の教説が誕生したと言える。しかし、そのどちらが本質であるかということは、櫻井氏のようにあっさりと片付けてしまえるような問題ではない。櫻井氏の基本的な思考の枠組みには、「キリスト教=普遍宗教=ハイカルチャー」対「シャーマニズム=民族宗教=土着の宗教文化」という対比構造があり、基本的に前者の方が高尚で価値あるものと理解されているようだ。そうすると、前者の特徴を統一教会の本質的属性として認めたくないという心理が働くのである。彼が統一教会の本質を後者の方に見いだそうとする動機はその辺にありそうだ。したがって、櫻井氏にとって統一教会のキリスト教的で普遍宗教的な部分はあくまで「装い」に過ぎず、本質ではないことになる。

彼は宣教の戦略論について以下のような仮説を提示している。
「① ローカルな(民俗文化や民族主義が濃厚な)宗教運動が他の地域に伝播する場合は、グローバルな(歴史文明や普遍主義を加味した)宗教運動を装って宣教を行う。
② ローカルな宗教運動が他の地域に伝播する場合は、当該地域のローカルな宗教文化を装って宣教を行う。

①のケースは歴史宗教の世界的伝播過程を見れば明らかだ。元来は特定地域の民族宗教が宗教的イノベーションを行う人物を得て普遍宗教への道を歩んでいる。ユダヤ教からキリスト教、アラブの宗教からイスラーム教、古代インドの宗教から仏教が生まれた。そうしていったん普遍宗教や歴史宗教としての地位を固めると辺境の地に宣教活動がなされ、当該地域では文明やハイカルチャーな文化と一体のものとして特定の宗教文化を受け入れる。日本の古代・中世においては仏教、近世では儒教、近代ではキリスト教が高尚な文化として受容された。信仰の有無にかかわらず、宗教文化それ自体の価値が社会的に保証されたのである」(p.82-83)

櫻井氏のこの論法によれば、キリスト教もイスラーム教も仏教もその本質は民族宗教に過ぎないのであり、普遍宗教的な部分は「装い」に過ぎないことになってしまう。はたして本当にそうだろうか。私はそうは思わない。キリスト教もイスラーム教も仏教も、その出自が民族宗教的なものであったことは事実だが、それこそ宗教的イノベーションを行う創始者(イエス、ムハンマド、釈迦)によって、民族的な教えから普遍的な教えに脱皮を果たしたことによって、普遍宗教に成長していったとみるべきである。それは「装い」などという表層的で非本質的なものではなく、宗教の核心部分が民族レベルから世界レベルに脱皮したのである。

同様に、統一教会も出自としての韓国文化を内包しつつも、創設者である文鮮明師の宗教的イノベーションによって民族宗教のレベルを超える普遍宗教のレベルに到達したからこそ、世界中に宣教基盤を築くことに成功したのである。それは「装い」などという言葉では到底片付けることのできない、教えの本質部分である。もし統一教会の本質が民族宗教的なものであったとすれば、それが北米、南米、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、中東、オセアニアなど、世界中のあらゆる国と地域に基盤を築いたという事実を説明することができない。統一教会の教えは本質的に普遍宗教であったが故に、文化の差異を超えて世界的に広がったのである。

櫻井氏は日本における初期の統一教会の宣教に関して以下のような分析をしている。
「統一教会に話を戻すと、統一教会は韓国の新宗教としてではなく、キリスト教の新しい宗教運動として日本に受容されたのである。初期の布教者はハイカルチャーな文化を装って教説を伝え、日本に適応した宗教運動を展開した。」(p.83)

ここにも、「韓国の新宗教」が統一教会の本質であり、「キリスト教の新しい宗教運動」が装いに過ぎないという櫻井氏独特の解釈が適用されている。この解釈によれば、本質的には韓国の新宗教に過ぎない統一教会が、キリスト教というハイカルチャーを装うことによって、日本人を騙して宣教基盤を確立したことになる。そこには日本人が統一教会の本質を理解して回心したという事実を認めたくないために、ある種の欺罔によって宣教に成功したことにしたいという、櫻井氏の心理が作用しているとみてよいだろう。

しかしこの解釈は、前段落において論じている普遍宗教の辺境の地への宣教の事例と比較するとかなり苦しい解釈であることが分かる。日本に仏教が伝来したときに、それが大陸から来たハイカルチャーとして受け止められたことは明らかである。当時の中国や朝鮮は日本よりも文明の進んだ先進国であり、日本はそこから律令制をはじめとする多くの文明を学んだ。そうした優れた文明と一緒に入ってきたのが仏教であり、日本人は仏像の美しさやきらびやかな仏教文化に魅了されてこれを受け入れたと理解することができる。日本にキリスト教が伝来したときも、それはハイカルチャーとして受け止められた。キリスト教の宣教師は西洋諸国の貿易船に乗ってやってきたのであり、ヨーロッパの優れた文化文物とセットになってキリスト教は伝えられたのである。有力なキリシタン大名が宣教を支援・保護したのも、南蛮貿易の利益が彼らにとって魅力的だったからである。これらの事例が櫻井氏のいう、「信仰の有無にかかわらず、宗教文化それ自体の価値が社会的に保障されたのである」という意味である。

しかし、統一教会が日本に伝えられたときには、そのようなハイカルチャーとして見せるべきものは何もなかった。日本における統一教会の宣教を最初に成功させたのは西川勝氏(韓国名:崔奉春または崔翔翊)であるが、彼は無一文の一宣教師に過ぎず、強力な国家権力を背景としてやってきたわけでもなく、きらびやかな文化文物と一緒に登場したわけでもなかった。外面的にみれば、かつて日本の植民地であった国からやってきたみすぼらしい密入国者に過ぎなかったのである。そのような状況下で、統一教会をハイカルチャーという装いをもって宣教することは不可能である。

事実、彼の頼りになったのは「教え」そのものであり、それだけが唯一の武器であった。したがって、日本統一教会の草創期に入教した人々は、純粋に「み言」に感動した人々であった。彼らにはそれ以外に、目に見える形での信ずべきものは何もなかったのである。何の基盤もない時代に統一教会に来た人々は、目に見えないものを信じる宗教的な人々であった。彼らは信仰の有無にかかわらず社会的に保障された宗教文化を受け入れたのではなく、まさに宗教そのもの、信仰そのものを動機として統一教会に回心したのである。

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