実況:キリスト教講座13


キリスト教と日本人(1)

 2コマ目は、「キリスト教と日本人」ということで、日本キリスト教史を概観してみたいと思います。日本のキリスト教史についてはいろんな本が出ておりますし、大学でも授業をやっておりますが、これは私なりの、「日本における摂理観」が若干取り入れられた日本キリスト教史だと思ってください。

 どうして「キリスト教と日本人」について学ぶかと言いますと、いま私たちは日本において神の御旨を担当しているということになりますが、それでは神の御旨は日本において、統一教会の宣教が始まったときから始まったのかというと、実はそうではないわけです。神の御旨はキリスト教と共にあったということでありますから、統一教会の教えが日本に来たのは戦後のことでありまして、第二次世界大戦前にも、そして遠くは戦国時代、切支丹時代にまでさかのぼって、キリスト教というものを日本に伝えようとした努力、すなわち日本に対するキリスト教宣教の努力はあったわけです。それは、キリスト教が神様の立てた中心宗教である以上は、日本に対する神様の摂理の一部であったはずなんです。そして、統一原理の教えが日本に宣べ伝えられるまでに、もしキリスト教的な準備がなされていれば、もっと連結がうまく行ったであろうということになるわけです。

 そういう意味で、私たちが活動しているいまこの瞬間にも、神様の御旨は行われていますが、それ以前にも歴史的に、日本に対してキリスト教の福音を宣べ伝えようという努力があって、その努力と私たちはまったく関係がないのかというと、そうではないわけです。そうした摂理の土台の上に、神の御旨を担当している私たちの立場があって、その間には必ず何らかの関係があるのです。どんな関係があるのかというと、やはりその人たちが立ててきた信仰の土台の上に、私たちが摂理を担当しているわけですし、もしその人たちが何か失敗した内容があったとしたら、それを蕩減復帰しなければならない、すなわち相続して精算しなければならない立場が、御旨を担当する私たちには必ずあるはずなんですね。

 ということは私たちが、過去において日本にキリスト教を宣べ伝えようとしてきた宣教師の努力とか、あるいは日本の切支丹たちの歴史、キリスト教徒の歴史を知らなくていいかというと、そうではなくて、それを知って初めて私たちの役割がはっきり分かってくるし、何を蕩減復帰しなければならないのかも明確になってくるわけです。そういう意味で、日本のキリスト教史というのはぜひ知っておいていただきたい内容であるわけです。この日本キリスト教史を勉強すればするほど、なぜ日本において統一教会がかくも激しい迫害を受けなければらないのかが、歴史的に分かってくるわけです。という意味において、歴史と私たちを連結する意味でも、是非しっかり学んでいただきたいと思います。

実況:キリスト教講座挿入PPT13-1

 

 最初に、日本人とキリスト教の関係についてでありますが、日本は東アジアの中では最も近代化され西洋化された国でありながら、いまだに「キリスト教国」と呼ぶにはほど遠い状況にあります。キリスト教は日本においては依然として少数派であり、「バタ臭い」という一般的な言い回しに表現されているように、外国の宗教とみなされています。日本のクリスチャン人口は1%以下である、という事実があります。

 私は21修でこのスライドを見せながら、比較的若い方々に話したときに、不安になって「皆さん、『バタ臭い』って言葉知ってますか?」と聞いたことがあるんです。(笑)知っている人、手を挙げてください。少数派ですね。若干いらっしゃいますが、ほかは「バタ臭い」と言っても意味が分からないということですね。ここでジェネレーション・ギャップというのを感じるわけですが、「バタ臭い」ってどういう意味なのかと言うと、大前提として、日本人の朝食というのはご飯とみそ汁なんだと、ところが西洋人はトーストにバターを塗って、コーヒーの香りなどをさせながら朝食を食べるということで、そのバターの匂いが日本人の嗅覚からすると臭いということで、「バタ臭い」というのは西洋からやってきたものに対する違和感を表す言葉としてあったんです。私が「統一教会に入った、それはキリスト教だ」と言ったときに、私の親父などは「キリスト教? なんだそんなバタ臭いもの信じやがって!」と言ったものですよ。私の父親ぐらいの世代では、「バタ臭い」という言葉がちゃんと通じてたということなんですね。

 ところが最近の日本人は、朝食にご飯とみそ汁じゃなくて、トーストにバターを塗りながら食べるものですから、バターが臭いという感覚がないわけですね。ですから「バタ臭い」という言葉はもう死語になっているわけです。ある意味、そのぐらい私たちの外的なライフスタイルというものは西洋化されているわけです。私たちの暮らしのほとんどは、西洋のライフスタイルをそのまま受け入れて、伝統的な日本の文化というのは外的な生活の中ではかなり薄くなってきているわけです。

 第一、皆さんが来ている服は何ですか? 洋服というのは西洋から来た服ということですね。昔はみんな着物を着ていたわけですよ。それが洋服にとってかわって、いまは和服を着ている人はここには誰もいませんね。椅子に座って講義を聞くというのもこれは洋風のスタイルでありまして、昔は寺子屋だったら皆さんは正座して聞かなければならなかったわけです。こういうように、外的なライフスタイルにおきましてはほとんどが西洋化されて、日本古来の文化というのは消え去ってしまったわけです。それくらい近代化され、西洋化された日本なんですが、ではその西洋文明の中の最も中心的なキリスト教も受け入れたか? 外的な西洋化と同時に受け入れて、日本人のほとんどがクリスチャンになったかというと、そうじゃない。つまり、内的な文明であるキリスト教はほとんど受け入れないで、1%以下にとどまっている。どうしてこうなっているのか、ということが非常に大きな疑問であるわけです。すなわち、日本のキリスト教宣教というものが、成功しなかったのは何故なのか、ということを私たちは考えなければならないわけです。

実況:キリスト教講座挿入PPT13-2

 

 日本人とキリスト教がいままで歴史的に出会うことのできるチャンスというのは、大きく分けて三回あったと言われております。

 一番目が「切支丹時代」と呼ばれるものです。これは1549年から1638までの約100年くらいの期間です。ここでキリスト教が広まる大きなチャンスがあったわけです。

 二番目が、江戸幕府が倒れ、鎖国体制が終わって、明治維新になってから第二次世界大戦の終戦までの期間、すなわち1868年から1945年までの期間です。このときにもキリスト教が伸びる大きなチャンスはあったわけです。

 三番目のチャンスが、第二次世界大戦が終わって、戦時体制が崩れて、いまのような民主的な日本の体制になる、そういう時代です。これは1945年以降、いまに至るまでの期間ということになります。ここにも、キリスト教が大きく飛躍することのできるチャンスはおそらくあっただろうということです。

 ところが結論から言うと、三回とも失敗しているわけですね。もし成功していたら、キリスト教人口がいまだに1%以下なんていうことはあり得ないです。少なくとも10%とか20%くらいになっていても不思議はないじゃないですか。でも、いまだに1%以下で、極めて少数派の宗教にキリスト教は留まっているわけです。世界においてはあれほど冠たる基盤を持つキリスト教が、なぜ日本人においては1%以下という状況なのか? しかも、いまは1%でもどんどん伸びて行って、将来発展していく兆しがあればいいですよ。ではいまの日本のいわゆる正統的なキリスト教徒の人口が増えているかというと、あまり増えてるとは言えない。すなわち、停滞しているわけです。

 なぜキリスト教徒は日本で増えないのか? なぜキリスト教という宗教が日本で受け入れられないのかという問題は、他人事ではなくて、私たち自身の問題でもあるわけです。なぜか? 皆さん、伝道しているときに、やっぱり大変なのは日本人に聖書の知識が全くないということですね。アダムとエバから始まって、カイン、アベル、アブラハム、イサク、ヤコブと教えるときに、まったくバックボーンとなる知識がない、初めっから教えないといけないということになるわけですよ。そうなると、日本人にキリスト教的な、聖書的な背景がないということは、私たちの統一原理を伝える上でも大きな障害となっているということです。だから、キリスト教の背景をもった教えとしての原理を教えるのが難しいので、何かほかの方法を用いて教えたりしている、という現状があるわけです。その中でキリスト教的な価値観や教えを如何に正確に伝えるかということが、日本における伝道の大きな困難の一つなわけです。ですから、なぜキリスト教は日本に広まらなかったのかということを理解することは、私たちにも関わりのある重要なテーマということになります。そこで、この三つの時代を概観しながら、どこでどのように失敗してしまったのか、どんな人たちがいたのかということをお話しできたらと思います。

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