アイリーン・バーカー『ムーニーの成り立ち』日本語訳86


第10章 結論(8)

洗脳説を世に広める上で、ディプログラマーたちの果たす役割に重要性がないわけではない。米国憲法の修整第一条、国連の人権宣言、欧州人権条約はどれも個人に対して自ら選択したいかなる宗教をも信じる権利を保証しているので(注26)、経済的理由だけでなく法的な理由からも、ディプログラマーたちの被験者が何を信じていると言ったとしても、彼らは「実際には」選択しなかったのであるとディプログラマーたちが主張するようになるのは当然である。ディプログラマーやカウンセラーたちは、ムーニーは外部からの介入がなければ脱出できないと主張する傾向にあるだけでなく、(注27)彼らはカルト信者をいつでもディプログラム「できる」と主張する傾向にある。そして、それが意味することは、そもそも彼はプログラムされていたに違いないということなのである。一方で、このことが意味しているのは、洗脳の戦術を使うのはまさにディプログラマーたちの方であり、特に彼らが物理的な強制を用いるとるときにはそうである、と主張する者たちもいる。(注28)しかしながら、ディプログラマーたちは常に成功するものだと誤って信じられており、これはムーニーが常に洗脳に成功していると信じられているのと同様である。正確な数字を入手することは極めて困難であるが、強制的なディプログラミングを受けながらもその後に運動に戻ってきたかなりの数のムーニーに私はインタビューしているし、そうしたムーニーをもっと多く知っている。(注29)通常、彼らは自分の両親(もはや信頼できないと感じている)がディプログラマーや反カルト派の宣伝によってひどく脅され利用されていることに対して、深い遺憾の意を表明する。その経験によって、運動に対する収まらない疑問を持つようになったことを認める者もいる。だが一般的には、彼らは「統一原理」の真理性に対する信仰が、激しい「試練」を経た結果として刷新されたと宣言するであろう。(注30)

一方、成功裏にディプログラムされた者たちは、必ずと言っていいほど、彼らの救助者たちに対して深い感謝の意(注31)と、通常は、自分の両親に多くの苦痛を与え大金を使わせたことに対する罪悪感を表明するであろう。彼らはまた、ディプログラマーの介入がなければ決して離脱しなかっただろうと主張する傾向にある。彼らがそれほど早く離脱しなかっただろうということは、おそらく本当だろう。しかし、やがて時が来れば、彼らがますます増加する自発的な脱落者の群に加わらなかったと言い切ることはできないであろう。しかしながら、別の視点を示されることによって、統一教会の選択肢に対する理解に何の違いももたらさないとすれば、それはおかしいであろう。「反対側の話を聞く」という経験の後で信仰を棄てる人がいるという理由で、(ディプログラマーあるいはムーニーによる)洗脳は必然であると示唆する人がいるが、それには納得できない。(注32)
ムーニーが運動に参加する以前に、彼のことを知っている両親や友人たちはどうだろうか? 私が既に述べたように、信仰とライフスタイルの変化は突然で劇的なものとなり得る。あるレベルで両親は、あらゆることがまさに望んだ通りに進んできたと思われていたときに、自分の子供がどうして約束された将来を棄てることができるのかを理解できないであろう。別のレベルで両親は、例えば爪を清潔にすることや髪を短く切ることなど、自分たちが何年もやらせようとしてきたことを彼らがいまやっているのを見て、目を疑うであろう。ある父親が私に打ち明けた。「入会してからセックスをしていないと息子は言ったが、どうやら本当らしい。彼らは息子の脳かどこかに、何かをしたに違いない。」

(注26)新宗教運動と法律という主題に関する議論については、次のものを参照せよ。R・デルガド「宗教的全体主義:米国憲法修正第1条の下での優しい説得と粗野な説得」『南カリフォルニア法律評論』第51巻、1号、1977年;W・C・シェパード「検察官の権力の及ぶ領域:新宗教運動から生じた法律問題」、GTU会議「宗教運動における回心、強制および献身」バークレー、1981年6月に提出された未出版の論文;聖J・A・ロビリアード「宗教と法律:現代英国法における宗教の自由」マンチェスター、マンチェスター大学出版、1984年;T・ロビンズ、W・シェパードおよびJ・マックブライド(編)「法律と新宗教」チコ、カリフォルニア州、スカラーズ・プレス、近日出版;E・バーカー「既成の法律によって:英国の差別する権利」、『ソサイエティ』5/6月号、1984年。
(注27)特に、「ニュース」市民の自由財団情報サービス、第6巻、第5号、1981年、p.3に掲載されているジーン・メリットのものとされる発言、および「一体誰の心か?」ジェイウオーキング、ATV、1981年4月に掲載されているガレン・ケリーによる発言を参照せよ。
(注28)序文の(注8)を参照せよ。
(注29)あるディプログラマーが私に語ったところによると、彼が関わった100以上のケースで「失敗」したのはわずかに2件だけだった。わたしはその翌日、統一神学校で彼らのうち6人にあった。
(注30)それほどセンセーショナルではない記述の一つが、ディプログラマーによって2ヶ月半にわたって監禁された後に統一教会に戻った28歳のムーニーによるものである。N・レイン「信仰破壊者たち」、『新しい明日』第46号、1983年を参照せよ。ブロムリーとリチャードソン『洗脳・ディプログラム論争』に掲載されているE・バーカー「そのような敵とともに・・・:セクトのメンバーに対する救済としてのディプログラミングの機能」は、ディプログラミングを受けて運動に戻った者たちに対する影響のいくつかを論じている。
(注31)例えば、S・スワットランドとA・スワットランド「ムーニーからの脱出」ロンドン、ニュー・イングリッシユ・リバティ、1982年の献辞を見よ:

この本を、ジョー・アレクサンダー、クリス、デニス、マーク、マシュー、マイケルおよびバージニアに献げる。この群れは、さまざまな人によって異なる描写をされている。
ムーニーは彼らをサタンの代理人と呼んだ。
警察は彼らを誘拐犯と呼んだ。
われわれはむしろ彼らを救済者、現代の白馬に乗った騎士と呼びたい。
彼らの勇気がなければ、彼らの思いやりがなければ、ハッピーエンドはありえなかっただろう。

(注32)この本ではこの問題にさらに深く立ち入らない。だが「どのように」離脱するか(自発的か強制的か)ということが、彼らがその後どのように運動の外部での生活に向き合っていくかに影響するということは、言及されるべきである。

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