シリーズ「霊感商法とは何だったのか?」13


蕩減と因縁(1)

既に前節で述べたように、シンクレティズムとは互いに異なる宗教伝統が接触・融合することを意味するが、それらがうまく融合するためには、結びつこうとする二つの宗教伝統の間に、互いに類似した概念が存在することが前提となる。すなわち新しい宗教伝統を受容する側としては、馴染みがない宗教概念を理解するためには、自分がそれまで属していた宗教伝統の中に存在する類似の概念を媒介として、その意味を類推するしかないのである。それが新しい宗教概念を理解するための助けとなるのは事実であるが、時としてもともとその中にはなかった意味が読み込まれたり、本来の意味がねじ曲げられたりすることがある。これは新しい概念が導入される際の、不可避的な副産物とでも言うべきものである。

統一原理と日本の土着信仰が習合した『しあわせ会』の信仰においては、「蕩減(とうげん)」と「因縁」という二つの概念が同一視されるという現象が起こった。すなわち、「蕩減」という言葉はもともと日本語にはなく、すぐには理解し難い概念であったために、それが「因縁」という言葉に置き換えられるか、もしくは同一の概念であると説明されるケースがあったのである。そこで本稿においては、「蕩減」および「因縁」という二つの概念がそれぞれ意味する正確な内容を吟味することにより、その連続性と非連続性を明らかにし、両者を同一視することの問題点を論じることにする。

 

(1)先祖の因縁とは何か?

霊感商法のトークでは、家系図を用いて「先祖の因縁」を説明し、それを清算するための開運商品として、壷や多宝塔などが販売されていたという。これは基本的に仏教的な概念であると言えるが、実は仏教の根本的な教義には「因縁」とか「因果応報」という概念はあっても、「先祖の因縁」という概念は存在しない。この概念は日本仏教独特の概念であり、仏教という外来の宗教が日本に土着化する過程において、日本の祖先崇拝と習合して形成されたものである。したがって、仏教の根本聖典のみを根拠としては、ここでいう「先祖の因縁」を正確に理解することはできない。むしろ仏教が日本に土着化する過程において、「因縁」の概念がどのように変容して行ったのかを理解する必要があるのである。そこでしばらくの間、日本における仏教の土着化の過程を追いながら、「先祖の因縁」の意味を明らかにしていこうと思う。

仏教では、すべてのものごとが生起したり、消滅したりするには必ず原因があるとする。その中で生滅に直接関係するものを「因」とし、「因」を助けて結果を生じさせる間接的な条件を「縁」として、両者を一括して「因縁」と言う。また因縁によってものごとが生起することを「縁起」と言い、生じた結果を含めて「因果」という。このような考え方を「縁起の法」というが、これ自体は極めて抽象的で哲学的な世界観であった。これに業(カルマ)の思想が結びついてできたのが「因果応報」という考え方である。(注1)

業(ごう)の思想は仏教以前にまでさかのぼる。業は、行為を意味するサンスクリットの「カルマン」の漢訳語である。善人も悪人も死んでしまえばみな同じだというのは不公平だという考えをもとに、インドではブラーフマナ文献あたりから因果応報思想が説かれ始める。それがウパニシャッド文献では、輪廻思想の成立とともに急速に理論化されるにいたった。輪廻(りんね)はサンスクリットの「サンサーラ」の漢訳であり、車輪が廻転してとどまることのないように、次の世にむけて無限に生死を繰り返すことを意味する。その際、生前の行為と転生後の運命は因果的に結び付いており、生前の行為(業)によって、その人の主体(アートマン)が何に生まれ変わるかが決定する。その転生のあり方は善因善果、悪因悪果の応報説に基づいているとされた。すなわち人間あるいは天人として生まれるという善の結果は、前世の善業が原因となっており、地獄・餓鬼・畜生として生まれるという悪の結果は、前世の悪業が原因となっているというものである。これは、生前の行為(業)はその場かぎりで消えるのではなく、功徳や罪障として行為の主体につきまとい、やがて時がいたればそれが順次に果報として結実し、同じ主体によって享受されて消滅する、という考え方である。自分の行為の結果は自分で享受することが原則で、これを「自業自得」という。(注2)

この輪廻の考え方は仏教にも受け継がれ、無明(むみょう)と愛執によって輪廻が生じ、それを絶ち切ることによって涅槃や解脱が得られると説かれた。仏教ではこの輪廻のことをとくに「六道輪廻」と呼び、死後の迷いの世界を地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六つの生き方(転生)に分けて整理した。(注3)

 

仏教における解脱の意味

 

(注1)高木豊「因果応報」(山折哲雄監修『世界宗教大辞典』平凡社、1991年、p.198)、横山紘一「縁起」(同上、p.274)

(注2)宮元啓一「業」(同上、p.616)

(注3)五来重「六道」(同上、p.2081-2)

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