アイリーン・バーカー『ムーニーの成り立ち』日本語訳87


第10章 結論(9)

 ひとたび洗脳が行われているという話が流布すると、当惑して不安になった両親が、これが最も説得力ある説明であると信じるようになるのも無理はない。補強証拠は認められ、反復され、その他の説明は抑制されるか無視される。いまや文字通り何百(おそらく何千)という記事が、新聞、大衆雑誌、反カルト文献に掲載され、それらは洗脳の仮説を多かれ少なかれ(通常は少ないが)洗練された形で持続させている。図書館のいくつかの棚には、(おもに元会員と福音派のクリスチャンたちによって書かれた)(注33)書物がいっぱいに並べられ、新しい運動のさまざまな悪、特に、会員たちに対する悪なる管理について語っている。多数の立派な資格を持った人々が、その大部分は心理学者や精神科医たちであるが、(注34)より学問的な性格の記事を書き、世界中を旅行して、両親や反カルトたちの集会で講演し、また裁判の場で統一教会やその他の新宗教団体が会員たちを洗脳しているという旨の証言をしている。この本にここまで方法論的な考察がちりばめられているのは、こうした学者仲間たちによって提示された議論に対処しようとしたためである。
 確かにムーニーたちの方も、子供たちが洗脳されてしまったのだという両親の恐怖を煽ったという非難を免れることはできない。親にとっては、実際何が起こっているのかを知るのが非常に困難なことが多かったのである。特に子供たちが家から何千マイルも遠く離れたところにいる場合はなおさらである。心配した母親や父親がカリフォルニアに飛んで行って、息子や娘たちが元気でやっているかを確かめようとしたが、自分の子供に会えないと言われるだけか、仲間のムーニーが見張っている状況で話す機会があるだけだった。ムーニーたちの説明によると、これはディプログラミングの危険があるので必要な予防策だったと言う。しかし、こうした行為があったので、自分の子供を違法に拉致することなど夢にも思わなかった両親の中にも、まさにそうしなければならないと説得される者が出てきたのである。(いまや彼らは対立関係となり、)双方の「側」が「汚い手」を使っていて信頼できないという「証拠」を相手に提示してしまっているため、悪循環が一層悪化していく。あるとき私はカリフォルニアで、イギリス人の女性に対して、心身とも健康であることだけでも両親(私は彼らが心配で半狂乱になっているのを知っていた)に伝えるために家に戻ってはどうかと言ったことがある。すると彼女は答えた。そうしようと思っていたところに母親からヒステリックな手紙が届き、そこには彼女(母親)はあまりに気が動転して先週睡眠薬を飲みすぎてしまったのだが、それはすべて彼女(娘)のせいだと書いてあったというのだ。「私はそんな感情的脅迫に屈することはできないと思った」とムーニーは言った。「これは私の人生だということを理解すべきだ。私の人生に口出ししないでほしい。両親がそれを受けれいる準備ができたときに、私は家に帰る。」(注35)
 両親に対して示される心遣いや理解は、現場のリーダーによって(注36)、そして、実際には、個々のムーニーによって大きく異なっていた。しかし状況はどうあれ、多くの両親は疑いなく、自分の子供が運動に加入した後の、最初の出会いに相当のショックを受けてきた。数週間または数日のうちに、彼はわけが分からないほど変わってしまったように見えるかもしれない。さらに、(どんな信仰においても)新しい回心者は誰よりも熱狂的な信者である傾向にある。新しいムーニーたちの話を聞いていると、彼らが新しい信仰体系を完全には「内面化」していないことが分かる。(注37)そして、それ故にまた、難しい質問やよく知らない質問に答えることができなくなると、ドグマ的で、オウム返しのような返答をする傾向にある。新しく見いだした信仰を、苛立った両親に説明しようとして、感情的ストレスの下にあるときは特にそうである。完全に正気で理性的な存在であるかのようにふるまってきたムーニーが、怒った物分かりの悪い両親を前にすると、訳の分からないことを早口にしゃべる支離滅裂な愚か者に変わるのを私は見てきた。(ムーニーの視点からは)両親は回心者が言おうとすることをまったく聴こうとせず、「私をまるで子供のように扱った」のである。私がそのような状況下に置かれた親だったとしたら、自分の子供は何かおかしな呪文でもかけられているのではないかという深刻な疑念をもたなかったとは言い切れない。しかし、私はなにか具体的な事例に感情的に関わってはいなかったし、またそのような(外部からの)圧力を受けていないときのムーニーを観察する機会があったので、彼らが洗脳されたゾンビであるいう考えは受け入れられなかった。

(注33)必ずしも全ての福音派のクリスチャンたちがまったく統一運動に賛同していないというわけではない。R・ケベドーとR・サワツキー(編)「福音派と統一教会の対話」ニューヨーク、ローズ・オブ・シャロン出版、1979年;I・ヘクサムとM・ラングレー「ムーニーの暗号を解読する」『クルックス』第15巻、第3号、1979年。
(注34)少数の社会科学者は洗脳の「側」についている。だが新宗教を研究してきたほとんど全ての社会学者は、自分たちの研究してきた運動について、洗脳という概念が何らかの有益な説明能力があるということに対して懐疑的な傾向にある。学問領域によってこうした意見の不一致が起こるのは、以下のような事実によるのかもしれない。社会学者が会員を「ありのままの状態で」観察することによってデータを取る傾向にあるのに対して、心理学者や精神科医は、依頼人や患者から情報を得る傾向にあり、それは患者が運動を離れた後か、あるいはディプログラミングの最中か、成年後見命令のために、「現実を『現実的に』評価する能力が損なわれている」ことを証明する目的で、おそらく意思に反してインタビューされている期間中になされるのである。なぜ一部の精神科医や心理学者の一部が洗脳による説明を好むかに関するさらなる提案については、以下を参照せよ。T・ロビンズとD・アンソニー「逸脱した宗教の医療問題化:予備的な観察と批判」、社会学の作業論文のイェール・シリーズ、第1巻、1980年、およびJ・T・リチャードソン「多元的社会における心理療法と新宗教」『アメリカン・サイコロジスト』(近刊予定)。
(注35)サイエントロジーに対する「逸脱の増幅」モデルの適用については、ワリス 「完全なる自由への道」を見よ。
(注36)英国の運動は時々、「親の会」の会員に頼んで、21日修練会に参加している新会員候補に話しかけ、彼らの両親に自分たちが何をしているのかを知らせ、自分たちの計画について両親と話し合うようにアドバイスしてもらっている。(親の会は、親たちによって運営されている組織であり、彼ら自身はムーニーではないが、発生する問題を解決するために運動と直接連絡を取ろうとしている。他の国にも同様なグループが存在している)。
(注37)これは回心が、通常考えられているよりもかなり長いプロセスであるためであり、それは献身した後もしばらく続いている(あるいは終わっている場合もある)。

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