『世界思想』巻頭言シリーズ06:2021年2月号


 私がこれまでに平和大使協議会の機関誌『世界思想』に執筆した巻頭言をシリーズでアップしています。巻頭言は私の思想や世界観を表現するものであると同時に、そのときに関心を持っていた事柄が現れており、時代の息吹を感じさせるものでもあります。第六回の今回は、2021年2月号の巻頭言です。

朝鮮戦争の教訓:日韓は安全保障上の相互依存関係

 昨年は朝鮮戦争勃発70周年に当たる年でした。11月22日にはUPFが主催する第三回希望前進大会がオンラインで世界をつないで行われ、朝鮮半島の自由と民主主義を守った国連軍の参戦勇士たちを顕彰しました。基調講演を行った韓鶴子総裁は、参戦国や支援国で追慕碑や記念碑が設置できなかったところには、それを建てていくことを約束し、「恩を忘れない大韓民国」であることを強調しました。

 日本は国連軍として兵士を派遣した16カ国には含まれていないものの、実際には朝鮮戦争において多大なる貢献をしたという事実は、日韓両国ではほとんど知られていません。日本にとって朝鮮戦争は、「特需」によって経済的復興をもたらしたというイメージで語られることがほとんどです。

 1950年6月25日、突如として北朝鮮軍が南侵してきたとき、韓国を守るために米軍が本国から対応していたのではとても間に合わない状況でした。そこで、日本に駐留していた米軍がまずこれに対応したのです。開戦からわずか一週間後に釜山に空輸された先遣隊は、福岡の板付基地から発進した。

 このときから日本は、米軍にとっての出撃・前進基地、兵站・補給基地、訓練基地としての機能を果たすことになり、日本本土は否応なしに米軍の一大補給基地となりました。直接的な日本の戦争協力でもっとも有名なものは、海上保安庁の機雷掃海部隊による掃海作業です。

 さらにアメリカ軍に従軍して、朝鮮半島で鉄道や港湾の管理、船員、通訳などに従事した日本人の数は数千人と言われており、韓国をよく知っている熟練した日本人専門家たちの援助がなければ、米軍が韓国にとどまることは困難でした。開戦当初は劣勢であった国連軍が巻き返す契機となった仁川上陸作戦の成功にも、旧軍人による作戦立案への協力が奏功したという背景があります。

 こうした戦争協力の中で、現地で戦闘に巻き込まれて命を落とした日本人の数は50名以上にのぼると言われています。平和憲法下にあっては、これらの人々を「戦死」として扱うことができないため「事故死」として処理されましたが、朝鮮戦争で日本人の犠牲者が出たのは紛れもない事実です。

 このことの意味は、もし北朝鮮軍の南進を食い止めることができず、朝鮮半島が完全に赤化されていたらどうなっていたかを想像すれば一層明らかになります。自由韓国は存在せず、「漢江の奇跡」もサムスンも「韓流」もKーPOPもなく、日本は玄界灘をはさんで共産主義国家である朝鮮と対峙しなければならなかったのです。

 朝鮮戦争から得られる教訓は、韓国と日本は安全保障上、相互依存の関係にあるということだ。日本の協力がなければ北朝鮮の侵略から韓国を守ることはできなかったし、韓国が70年間にわたって38度線で北朝鮮と対峙してくれたおかげで、日本の平和と安全が間接的に守られてきたのです。日本があるのは韓国のおかげであり、韓国があるのは日本のおかげです。そして何よりも大切なのは、日本と韓国は自由、民主主義、法の支配という普遍的価値を守るために共産主義勢力と共に戦った同志であるという認識です。

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