『世界思想』巻頭言シリーズ02:2019年9月号


 前回から、私がこれまでに平和大使協議会の機関誌『世界思想』に執筆した巻頭言をシリーズでアップし始めました。巻頭言は私の思想や世界観を表現するものであると同時に、そのときに関心を持っていた事柄が現れており、時代の息吹を感じさせるものでもあります。第二回の今回は、2019年9月号の巻頭言です。

「21世紀の朝鮮通信使」としてのPeace Road

 去る7月11日、日本最北端の地である北海道稚内市の宗谷岬で、文妍娥UPF韓国会長を迎えて、ピースロード2019の日本縦走が出発しました。北海道のピースロードは全長720キロに及ぶ長距離コースですが、その全行程を韓国から派遣された青年ライダーたちが共に走りました。また、8月7日から15日にかけて行われた韓国縦走にも、日本からライダーが派遣されました。

 こうして日韓がお互いにライダーを送りあい、共に走ることで両国の友好親善を推進しようというピースロードは、「21世紀の朝鮮通信使」の役割を果たそうとしています。事実、これまでのピースロードの記録をひも解けば、各地で朝鮮通信使ゆかりの地をルートに入れて、その歴史を学ぶプログラムが組まれています。

 現在の日韓関係は国交正常化以来最悪の状態にあると言われておりますが、このような時期だからこそ、民間レベルにおける友好親善の努力が大切であると思います。これまでも日韓関係は厳しいときもあり良好なときもありましたが、国が引越しをすることはできないので、両国が隣国としてお付き合いをしなければならないという事実は変わりません。

 過去の歴史において、日本と朝鮮の関係を非常に悪化させた事件の一つが、豊臣秀吉の朝鮮出兵です。これによって一時期両国は国交断絶状態になったわけですが、それを回復させる役割を果たしたのが朝鮮通信使です。通信使自体は室町時代に始まりましたが、秀吉の朝鮮出兵によって中断されていました。それが徳川の時代になって再開され、200年間に合計で12回も派遣されています。江戸幕府は西洋諸国に対しては国を閉ざしていましたが、朝鮮とは国書を交換し、正式な国交を結んでいたのです。

 通信使を迎えるために幕府が使った費用は、18世紀の初めごろで約100万両でした。当時の幕府の年間予算が78万両ですから、莫大な費用をかけて朝鮮のお客様を迎えたことになります。そればかりでなく、幕府は通信使の経路にあたる各藩に対してリレー形式で接待役を命じ、各藩は威信をかけて地元の名産品でもてなしたのです。

 朝鮮通信使には、詩文や書を書く人、絵を描く人、音楽を奏でる人、医者などが同行しており、一種の文化使節としての役割を果たしていました。外国との接触が限られていた当時の日本人にとっては物珍しく、行く先々で多くの人々が詩や書画を求めて集まったという記録が残っています。このように、お客様をもてなし、その返礼として文化を受容するという関係を継続することを通して、200年間にわたる平和な時代を築いたのです。

 もちろん朝鮮通信使と日本人の間には、過去の恨みや文化の違いに起因するさまざまなトラブルや行き違いもありました。しかし、共に旅をしながらお互いに本音で話すことを通して、それらを一つ一つ乗り越えていったのです。朝鮮通信使の意義は、不幸な歴史を乗り越えて相互交流によって平和な時代を築き上げていったことにあります。いまこそ私たちはその歴史から貴重な教訓を学ばなければならないのではないでしょうか。

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