『世界思想』巻頭言シリーズ01:2019年6月号


 今回から、私がこれまでに平和大使協議会の機関誌『世界思想』に執筆した巻頭言をシリーズでアップしようと思います。巻頭言は私の思想や世界観を表現するものであると同時に、そのときに関心を持っていた事柄が現れており、時代の息吹を感じさせるものでもあります。第一回の今回は、2019年6月号の巻頭言です。

「世俗化と根本主義に二極化される世界を癒すUPFのビジョン」

 今日、宗教の問題を抜きにして世界平和を語ることはできなくなっています。2001年の米国同時多発テロ、「アラブの春」以降の中東の混乱、「イスラム国」を自称するISILの出現など、宗教間の対立に起因する紛争や混乱が広がっています。その背景には、米国に反感を持つイスラム教の過激組織があるとされ、キリスト教を中心とする西洋世界とイスラム世界の対立であるとの見方もされています。

 しかし実際には、キリスト教とイスラム教がそれぞれの教義や神学の違いを原因として対立しているわけではありません。イスラム教徒が米国に反感を持つ理由は、キリスト教そのものというよりは、むしろ世俗化された社会のあり方なのです。

 西洋の近代化は、宗教の社会的影響力が低下していったプロセスという意味において、「世俗化」という言葉によって理解してこられました。キリスト教徒同士が神を掲げて互いに殺し合った宗教戦争に対する反省から、「信教の自由」という概念が生まれ、それを制度的に保障するために「政教分離」というシステムが生まれました。これは宗教が社会の公的な領域から排除されて「私事」に閉じ込められることを意味し、そうしたシステムと民主主義、資本主義が組み合わさって今日の西洋的な価値観を構成しています。

 ところがイスラム世界にはそもそも「信教の自由」や「政教分離」という概念は存在しません。イスラム教においては神の法である「シャーリア」が日常生活を支配しなければならず、そのためには政治と宗教は一体でなければなりません。イスラム世界から見れば、キリスト教の影響力が徐々に社会から失われ、世俗的な文化が蔓延していった西洋の近代化のプロセスは「文明の堕落」に他ならないのです。この世俗化の波が西洋からイスラム世界に浸透していくことに対する反発が、「イスラム根本主義」という形で表現され、その一部が暴力を伴う際には「イスラム過激派」と呼ばれることになります。

 世俗化に対する反発は西洋世界の内部にも存在し、それは「キリスト教根本主義」と呼ばれています。今日、勢力を伸ばしているキリスト教は福音派や根本主義の教団がほとんどであり、イスラム根本主義の台頭と合わせて、世俗化に対抗する「宗教の復権」が世界中で起こっているという見方もあります。

 根本主義は、世俗化によって社会の周辺に追いやられた宗教の価値を取り戻すという意義はあるものの、独善や不寛容という問題を抱えています。今日の世界は、極度に世俗化された社会と、かたくなに宗教的価値を守ろうとする根本主義とに二極化されつつあります。この溝を埋め、分断を癒すには政治家と宗教者の双方の努力とネットワークづくりが必要です。

 UPFが世界的に展開している二大プロジェクトである「世界平和議員連合」と「平和と開発のための宗教者協議会」は、宗教間の和解と協力を推進すると同時に、宗教的な知恵が平和構築に貢献しうる政治システムの確立を目指しています。

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