櫻井義秀氏と中西尋子氏の豹変


ここで、読んでおきたい文献として幾つかお薦めしておきます。先ほどご紹介した塩谷政憲氏の文献は、原理研究会や統一教会に直に接して書いた数少ない論文ですので、非常に説得力があります。さらに渡邊太氏の名前も何度か挙げましたが、彼は「洗脳、マインド・コントロールの神話」という論文を『新世紀の宗教』という本に掲載しています。これも大変良い論文ですので、ぜひ読んでいただければと思います。

また、櫻井義秀という現在は反対派に回っている学者も、かつては大変良い論文を書いていました。彼は1996年、北海道大学の雑誌の中の『オウム真理教現象の記述を巡る一考察』という論文で西田論文を批判しています。「人間が生きるコンテキスト(背景)を捨象した実験重視なアプローチである」と問題点を批判した上で、「マインド・コントロール」の問題点を次のように鋭く指摘しています。

「騙されたと自らが語ることで、マインド・コントロールは意図せずに自らの自律性、自己責任の倫理の破壊に手を貸す恐れがある。…自我を守るか、自我を超えたものを取るかの内面的葛藤の結果、いかなる決断をしたにせよ、その帰結は選択したものの責任として引き受けなければならない。…そのような覚悟を、信じるという行為の重みとして信仰者には自覚されるべきであろう」。

これはとても素晴らしい内容で、要するに、「マインド・コントロール」とは責任転嫁の論理であるとこを指摘しているのです。しかしながら、近年の彼は統一教会を反対する立場に立っています。なぜ櫻井義秀氏は豹変してしまったのかご説明しますと、実は、この論文は統一教会に対する「青春を返せ」裁判の際に、被告側弁護団によって引用されており、原告側弁護団から「あなたの論文が『統一教会』擁護に使われているが、それを承知で『マインド・コントロール論』の批判をされたのか」と批判されてしまったのです。さらに、元ジャーナリストの藤田庄市氏からは「統一教会の犠牲者たちをうしろから切りつける役割をあんたはやったんだよ」と忠告されたのです。これらの様子は岩波講座の『宗教への視座』という本の中に書いてあります。

櫻井氏は、自分の書いた「マインド・コントロール」批判の論文が、まさか統一教会を擁護するために使われるとは思っていなかったようで、彼のホームページの中にこのような表現がありました。「『マインド・コントロール』論争と裁判=w強制的説得』と『不法行為責任』をめぐって」ということで、「2000年12月5日、札幌地裁の上記公判において、教会側証人として、『カルト』『マインド・コントロール』問題の専門家として魚谷俊輔氏が出廷した。…証言において、あろうことか、筆者の『マインド・コントロール論』批判の論文を引用されたが、主旨を取り違えていたように思われた。筆者の意に反して、筆者の1996年の論文は『統一教会』側が『マインド・コントロール論』を否定する際に、日本の研究者による証拠資料として提出された。だから私はこれと闘わなければならない」と述べています。

結局、最初は「マインド・コントロール論」に対して批判的だったものの、「青春を返せ」裁判の原告側弁護士による圧力に屈してしまい、いまや彼は『統一教会』という580ページにもなる批判書の著者になってしまいました。この『統一教会』という著書には、元信者の情報や裁判資料の分析を基に、統一教会の教説や教団戦略などが書かれています。さらに、この本は共著で中西尋子氏も書いています。中西氏は韓国の現役信者の研究をしている人物で、彼女は韓国に渡った日本人の現役信者に対するインタビューと参与観察による分析、あるいは『本郷人』の記事から見た祝福家庭の現実などを担当しました。この中西尋子氏ですが、彼女も最初は統一教会に対して好意的な人物でした。

中西氏は韓国で研究していたのですが、そこで偶然田舎にお嫁に行った祝福家庭の婦人に出会ったそうです。そして、彼女はその祝福家庭の婦人に好感を持ち、その後礼拝に参加したり、婦人にインタビューをしながら研究を続けていました。このように、最初は統一教会に対して非常に好意的な扱いをしていたのです。しかし、あるきっかけから彼女も櫻井と同じように統一教会に反対する立場に立つようになりました。そのことは、米本和広氏の著書『われらの不快な隣人』の中に、以下のように書かれています。「宗教社会学者の中西尋子が、『宗教と社会』学会で、<『地上天国』建設のための結婚≠ある新宗教団体における集団結婚式参加者への聞き取り調査から>というテーマの研究発表を行なった。…その会合に出席にしていた『全国弁連』の東京と関西の弁護士が詰問した。『霊感商法をどう認識しているのか』『(日本の)統一教会を結果として利するような論文を発表していいのか』。出席者によれば、『中西さんはボコボコにされた』という」。

つまり、彼女は弁護士たちに徹底的に糾弾され、結局中西氏もその圧力に屈して櫻井氏と一緒に本を書いたのです。このように、今の日本の宗教学界では少しでも統一教会に有利なことを書こうとすると、統一教会に反対する人たちから圧力がかけられてしまうのです。

終わりに

結論に入りますが、まず「知は力なり」ということを申し上げたいと思います。このような内容を知って活動する人と知らずに活動する人では、自信や説得力に大きな違いがあります。「カルト」対策担当教授や学生課の職員以上に「カルト」や「マインド・コントロール」に関する知識を身に付ける必要があります。また、それと同時に私たちが「正体不明の団体」から「顔の見える団体」へと変わっていかなくてはなりません。つまり、CARPの学生が実際に学生課などと応対し、実体をもって「カルト」や「マインド・コントロール」のイメージを払拭する活動をするということです。そして、CARPの人たちも普通の良い学生であるということを知ってもらうのです。さらに、コンプライアンス確立による学内の信頼基盤を確立することも重要です。先ほどご説明した「青春を返せ」裁判からも分かるように、「正体隠し」「不実表示」などは讒訴されてしまいます。したがって、堂々とCARPであることを名乗って勧誘し、学内の讒訴圏を無くすことも必要であると思います。

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