『生書』を読む16


第五章 救世主の自覚と神の国の予言の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第16回目である。第12回から「第五章 救世主の自覚と神の国の予言」の内容に入った。ここから「肚の神様」の本心が前面に出てきて、それまでの北村サヨ氏であれば思いもよらないようなことを語り出すようになるわけだが、前回までは天皇を中心とする日本の国体や戦争に対する考え方の変化を中心に扱ってきた。今回は少し観点を変えて、既存の宗教や新宗教を含め、他の宗教に対してどのような発言があったのかを中心に分析をしてみたい。

 もともと大神様は大変信心深い人であった。大神様の実家は浴本家であるが、両親は熱心な浄土真宗の門徒であり、大神様も子供のころには両親に連れられて寺参りをした。嫁ぎ先の北村家もまた浄土真宗であったが、大神様はその寺の世話をよくし、仏壇の前で毎日念仏を唱える生活をしたという。浄土真宗の信仰は戦国時代に中国地方に伝播し、毛利氏の保護を受けて定着していった。そして江戸時代には西本願寺派の真宗の体制が確立し、防長(現在の山口県)において無視できない一大宗教勢力となっていた。この信仰を「肚の神様」が入った大神様が痛烈に批判するようになるわけだが、そもそも浄土真宗とはどんな信仰なのかを整理してみよう。

 平安時代中期になると、日本の仏教にある大きな変化が起きた。それは「末法思想」と「浄土信仰」の出現である。そのころは僧の世俗化が進み、自然災害も頻発したことから、人々は「末法の世」であることを強く意識するようになった。浄土信仰の特徴は、念仏を唱えることによって阿弥陀如来の極楽浄土に往生できると説くところにある。もともと仏教は修行によって悟りを開くことを目的とした自力型の宗教であるが、末法時代になると、まともに修行ができる者はいないし、僧も堕落している状況なので、一般大衆が自力で救われるのは絶望的だと思われた。そこで、なにか簡単な行をする、たとえば念仏を唱えるというような一つの行をすることによって、他力で救済されるという考え方が受け入れられるようになったのである。

 浄土信仰は法然と親鸞によって確立された。法然(1133~1212)は平安末期から鎌倉時代にかけて生きた人で、比叡山で天台教学を学んだが、念仏こそ救いの原点であると確信するようになり、「専修念仏」という考えに行き着く。そこで43歳で比叡山を下山して、浄土宗を開いた。この新しい仏教は、当時の日本仏教の権威である比叡山から迫害され、法然は74歳のときに朝廷によって讃岐の国(現在の香川)に追放されてしまう。

 この法然の弟子が親鸞(1173~1262)である。親鸞は法然よりも40歳年下であるが、法然の「専修念仏」の教えに感銘を受けて弟子入りしたところ、念仏に対する弾圧に巻き込まれ、越後の国(現在の新潟)に流され、強制的に還俗させられる。還俗というのは僧侶を辞めて一般の衆生に戻るということであり、迫害が起こった頃にまだ若かった彼は、結婚して妻子を持つようになった。自分は僧侶でありながら妻を持ってしまった、そして子供をつくってしまったという体験、そして僧でもなければ俗人でもない「非僧非俗」という矛盾に満ちた生涯が、親鸞の教えに大きな影響を与えることになる。そこから、修行をすることによって自力で悟るのではなくて、こんなに罪深い自分でも救ってくださる阿弥陀如来の大きな恩恵を強調する「絶対他力」の信仰が生まれたのである。それは、阿弥陀如来の立てた本願により、阿弥陀如来を信じたその瞬間に極楽往生が決定する、という信仰である。

 親鸞といえば『歎異抄』が有名だが、これは親鸞自身の著作ではなく、彼が90歳で没した後に、弟子である唯円によってまとめられた法語集である。「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」という言葉は非常に有名であり、この教えを一般に「悪人正機」または「悪人正客」という。阿弥陀如来が衆生を救おうとする願いは、善人でさえ成仏させるのだから、他力本願を信じる悪人は当然成仏できるという意味である。

 ところが、大神様はこの浄土真宗の信仰を容赦なく切って捨てたのである。
「悪人正客、他力の信仰、罪ありまんま、その身そのまま――嘘ぞ、嘘ぞ。悪人正客の極楽があるのなら、地獄と極楽の境に、なんで閻魔が帳面持って立っておるか。地獄は誰もが嫌いじゃろうが。悪人正客じゃったら、初めから地獄をつくる必要はありゃしない。

 蛆虫の世界じゃ。御開山上人(親鸞)を仏と思っているじゃろうが、嘘ぞ。八万地獄でまだあえいじょる。御開山上人がのう、七百年後になって、この百姓の女房のおサヨに尻をはぐられるとは、おもしろい世の中じゃろうがの。

 御開山が悟りが開けたのであったのならば、『この世は苦の土、苦の世界。』あのようなばかを言うものか。百姓の女房のおサヨでされ、嬉しゅうて、楽しゅうて、おもしろうてならない世界があるのに――。」(p.84)
「蛆の世界では、家内安全、家業繁盛、死んでも命があるように、悪人正客、他力の信心、罪ありまんま、その身そのままというような、乞食らの好いたように言うて、乞食の金取り上げて、己が神仏を売りもの、食いものにしてゆくのが、宗教家のように思うているが、己の心のけがれは、己の肚で掃除して、天のめがねにかなうまで、魂磨いて、天国まで上がって行くよりほかに、道はないのじゃ。」(p.104)
「無間地獄をちょいとのぞいて見れば、真宗門徒が一番多い。それに落ちているのが、坊主に神主(たゆう)。それに落ちかけているのが、浄泉寺(近所の真宗寺で北村家の檀那寺)の坊主。」(p.110)

 大神様から見れば、この悪人正客や他力本願の教えは、人々に行の努力を怠らせて堕落させる無責任なものであり、真宗の宗教者たちの姿は腐敗したものに映ったのであろう。既存の宗教勢力を激しく糾弾する姿は、パリサイ人や律法学者を痛烈に批判したイエスの姿にも通じるものがある。

 『生書』の中には、キリスト教の教えに言及した部分もある。
「人間が蛇にだまされて木の実を食うて、働かなければ食えないようになったと言うちょるが、そうじゃない」(p.111)

 これで大神様はキリスト教について全く知らなかったのではなく、一応の知識を持っていたことが分かるのであるが、この部分を読む限りではかなり限定された知識であり、それほど深く精通しておられたわけではないようだ。

 新宗教に関する記述でおもしろいのが「成長の家」の谷口雅春氏に関する部分である。大神様は当時、知人であった岩国市の弁護士吉武三六氏から招待されて、谷口雅春氏の講習会に参加したことがあった。ところが、その講習会に出ると、肚の神が早速、谷口氏に対して手厳しい批判を始めたのである。
「谷口というても、元は会社員であって、下級の神がちょきちょきお下がりがあるのじゃ。おサヨ、われ(お前)のはお下がりとは違うのぞ。われは神の御堂になっておるのじゃけい――。昔から神が少し使えば、すぐ増上慢になったり、金儲け主義になる。谷口のばかがあんな本売りになったり、個人面談せずに、短冊ばかり書いて売っていやがる。短冊売りや、本売りにさせるため、神が使うのじゃないのだ。邪神は己の邪念じゃ。金が欲しい欲しい思いやがるから、すぐにその邪念に邪神がつけこんで、邪神のおもちゃになるのも知らん、ばかが。」(p.120)

 どうやら大神様はあまりエキュメニカルなタイプではなかったようである。自分の信仰に対する強い確信のゆえに、どこか唯我独尊的なところがあり、他の宗教と対話をしたり、そこから何かを学ぼうという姿勢は感じられない。他の宗教と協力したり連携したりするという発想もないようだ。このことは、現役信者である春加奈織希(本名ではなくウェブ上の匿名)による「遥かな沖と時を超えて広がる 天照皇大神宮教」(http://www7b.biglobe.ne.jp/~harukanaoki/index.html)の以下の記述を見ても間違いなさそうである。
「天照皇大神宮教は他の宗教とは一切関係せず、他の教団や宗教連盟などとは絶対に手を組んだりしない、と大神様は仰せになりました。

それは現在も、堅持されているはずです(「絶対に」という語句は、当管理人の記憶では、この件についての大神様の神言です)。

 本サイトの随所で説明したように、天照皇大神宮教の教えは、教祖・大神様の肚に宇宙絶対神が降臨されて、大神様の口を通じて人類に直々に授けられた教えです。教祖はそれまで、他の宗教についての知識も実践もほとんどありませんでした。

 天照皇大神宮教は、人間が伝え、受け継ぎ、作ってきた他の宗教とは異なります。他の宗教との連携などありえません。」
「ですから、宗教法人・天照皇大神宮教は、他の教団と何らかの連携やかかわりがあるのではないかという見方は、大変な誤解です。」

 そして統一教会(現在の「家庭連合」)とも一切関係がないことを、このサイトではわざわざ説明している。
「また、統一教会(ないし勝共連合、原理研。正式名称は、世界平和統一家庭連合)が、天照皇大神(宮)を肯定的に捉えているようだから、両教団はつながっているとか、そんなことを ほのめかす記述も散見されますが、これまた推測に基づく間違いです。
他の箇所でも説明したように、天照皇大神宮教の教えは、教祖の肚に入った宇宙絶対神が、教祖の口と心と体を使って人々に授けた教えであり、他の宗教とは一切かかわりがありません。」

 天照皇大神宮教の他宗教に対する姿勢はこのような原則で一貫しており、それは統一教会・家庭連合に対しても同様である。

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