『生書』を読む13


第五章 救世主の自覚と神の国の予言の続き

 天照皇大神宮教の経典である『生書』を読み進めながら、それに対する所感を綴るシリーズの第13回目である。前回から「第五章 救世主の自覚と神の国の予言」の内容に入った。ここから「肚の神様」の本心が前面に出てきて、日本の国や戦争に対する考え方に変化が見られるようになったことは既に述べた。すなわち、「肚のもの」は教祖に対して、日本の国を超越するような話を始め、宇宙を支配する唯一神であると自分を規定したうえで、現在の天皇は傀儡に過ぎず、現人神ではないと言いだしたのである。当時の日本においては、これは国体イデオロギーの否定であり、危険思想であった。それを文字通りに口にすれば命の危険があり、家族までもが犠牲になることを承知の上で、大神様は神に命を捧げて国救いをやるという決意を固めたのである。いよいよ新宗教の教祖として立ち上がったということだ。

 昭和19年の秋と言えば、終戦まであと一年を切った頃のことである。このころ大神様は田布施の街中で黒山の人に囲まれて辻説法を始められた。大神様は浪花節のような歌説法をすることで有名になったわけだが、『生書』の82~83ページに記された数え歌のような説法は、その初期段階のものなのであろう。リズムをつけて分かりやすい言葉で世の中に訴えかけるような内容で、人の心をつかむ力があったのではないかと思われる。このときの説法では、かつて義人氏を御国のために捧げても本望と言った「軍国の母」のような戦争肯定の立場ではなく、はっきりとした戦争批判が表れている。一から十の数え歌のような説法の中には、無理な戦争をもうやめるべきだという主張が三回も登場する。
「六つともせいえ、無理な戦争しなくても、丸い丸い、真ん丸い、真珠のような真心を、天地の神に持って来りゃ、無理な戦争させはせぬ。…尊い真心持って来りゃ、無理な戦争させはせぬ。」
「八つともせいえ、やめてください、この戦いを、思うお方があったなら、天にとどろく真心、持っておいでよな。」
「十ともせいえ、尊いみ国に生れながら、神のみ教え知らぬよな、ばかな乞食が世に増えりゃ、無理な戦争もせにゃならぬ。」(p.82-83)

 この時代は太平洋戦争の末期に当たり、国民が一丸となって戦争に勝利するために忍耐し、政府による統制も厳しくなっていた時代である。そのようなときにこうした教えを流布することは、政府から目をつけられる恐れがあった。しかし不思議なことに、大神様が戦争が終わる前に治安維持法違反などの嫌疑をかけられて逮捕されたという事実は存在しない。田舎のおばさんが言っていることだということで、政府の役人もあまり気に留めなかったのだとか、実際には当時の人々には既に厭戦気分が蔓延していたので抵抗なく受け入れらたのだという解釈も成り立つが、キリスト教の『聖書』に対する学問的な研究にヒントを得て、あえて穿った見方をすれば、実際にはこうした危険な説法を戦前には行っておらず、戦後になってからの大神様の教えを、戦前に投影させたのではないかと疑うことも可能である。聖書批評学というものを知らない人には若干の説明が必要なので、いくつかの例を挙げて説明したい。

 新約聖書のルカ伝19節41~44節には、イエスがエルサレムに近づいてきたときの様子が以下のように記されている。
「いよいよ都の近くにきて、それが見えたとき、そのために泣いて言われた、『もしおまえも、この日に、平和をもたらす道を知ってさえいたら・・・しかし、それは今おまえの目に隠されている。いつかは、敵が周囲に塁を築き、おまえを取りかこんで、四方から押し迫り、おまえとその内にいる子らとを地に打ち倒し、城内の一つの石も他の石の上に残して置かない日が来るであろう。それは、おまえが神のおとずれの時を知らないでいたからである。』」

 この聖句は、「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた人たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりが翼の下にそのひなを集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。見よ、おまえたちの家は見捨てられてしまう。」(マタイ伝23:37~39)と共に、このときから約40年後の紀元70年に首都エルサレムがローマ帝国軍に踏みにじられ、神殿が破壊されて悲惨な破滅の時を迎えることをイエスが予言したものであるとされている。もしエルサレムがイエスを拒まなければ、そこには神の祝福と平安が訪れるはずであったのに、イエスを拒んでしまったことによって審判を受け、国が滅んでしまったという理解なのである。

 信仰をもって聖書を読めばまさしくその通りなのであるが、聖書批評学の立場からすれば、この部分は実際にはローマ軍の侵攻が起こった後に書かれ、それをイエス・キリストによる予言の成就という形で表現したものであるとされている。旧約聖書にも同じような例がある。アブラハムが三種の供え物に失敗したとき、神は「あなたはよく心にとめておきなさい。あなたの子孫は他の国に旅びととなって、その人々に仕え、その人々は彼らを四百年の間、悩ますでしょう。しかし、わたしは彼らが仕えたその国民をさばきます。その後かれらは多くの財産を携えて出てくるでしょう。」(創世記15:12-14)と語っているが、これは後にアブラハムの子孫であるイスラエル民族が400年間エジプトで苦役することを予言したものだとされる。ダニエル書2:31-45には、ネブガデネザル王が巨大な像の夢を見て、それがアッシリア、バビロン、ペルシャ、ギリシャ、ローマと続くその後の世界帝国の歴史を予言したものであると解釈されている。しかし、聖書批評学の立場からすれば、このどちらも実際にはそれらの出来事が起きた後に、「こういう予言がなされていた」という「後付けの予言」として生み出されたものだということになる。これらはいずれも、実際に事が起こってから予言を書くのであるから、当たって当たり前なのである。

 「肚の神様」は、教祖に対して大本営発表では知ることのできない現実の戦況を教えたという話も『生書』には出てくる。
「『おサヨ、千里眼や、万里眼じゃだめぞ。神の眼になったらこうぞ。』と言って、日の丸の旗が風にたなびいている、それが次第に北側から消えてゆき、中の日の丸がだんだん三日月ぐらいになり、薄れていくのを見せられ、また前線の兵士たちが、髪はぼうぼうと伸び、夜叉のようになっている様を見せられ、続いてその説明をされるのであった。
『おサヨ、弾は来る、弾はない。前線の兵士はあのような苦労をしておるぞ。…ちょいちょい大本営でも発表しちょるが、本当のことを知ったら、みな目を回すぞ。

 今、国が亡びてゆこうとしているんだ。誰かが真剣に祈らねば、この国は救えぬのじゃ。祈れ、祈れ。」(p.86-87)

 国民の大部分が大本営の発表により日本は戦争に勝つと信じていた時代に、大神様は神の眼を通して実際の戦況を正確に知っており、敗戦に向かっていることを知っていたということだ。

 また「肚の神様」は教祖に対して「われ(お前)が一人前になったら、日本にゃ、兵隊のへの字も置かぬ、陸軍省も、海軍省も、憲兵隊も、何もないようにして…」(p.92)と語っている。これは、戦後の日本が軍備を持たない国になることを終戦前から予言されていたのだということになる。

 さらに昭和20年の元日に教祖が歌った歌には、「天照皇大神宮の神世に戻る。満州もいらなきゃあ、朝鮮もいらぬ。樺太もいらなきゃあ、台湾もいらぬ。日本の本土されあればよい。」という言葉が登場するが、これは日本が敗戦によってすべての植民地を失い、本土だけが残された戦後の状況をそのまま言い当てていることになる。こうした予言を文字通りに信じれば、「肚の神様」はまさしく未来を予知できる全知全能の神であり、宇宙の絶対神であるということになる。しかし、戦後になってからこれらが書かれたとすれば、実際に事が起こってから予言を書くのであるから、当たって当たり前ということになる。

 『生書』が書かれたのは戦後である。そのときになって「無理な戦争などやめたらよかったのに」というのは簡単である。しかし、それを言うのは当たり前であり、何の価値もない。まだ戦争が終わる前から、国民が一丸となって戦争に勝とうとしているときに、あえてその戦争の無理を訴え、神の眼をもって戦況を正確に把握して日本の敗戦を予想し、そのうち日本には軍隊はいらなくなると語るからこそ、先見の明をもった教祖の予言となるのである。戦後になって教祖が語られたことを、戦前から語っていたのだと遡って「予言」にしてしまうというのは、宗教のテキストにおいてはあり得ることである。私が『生書』のテキストを読むときに、その可能性を否定することはできないと思う。こうした批判的な見方は、天照皇大神宮教の信仰を持っている方々には大変失礼なもの言いかもしれないが、キリスト教においては聖書批評学という学問において、同様のことを『聖書』に対して行っているのだということを指摘しておきたい。

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