書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』186


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第186回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第九章 在韓日本人信者の信仰生活」の続き

 「第9章 在韓日本人信者の信仰生活」は、韓国に嫁いで暮らす日本人の統一教会女性信者に対するインタビュー内容に基づいて記述されている。前回から「四 日本人女性にとっての祝福家庭」の内容に入った。中西氏によれば、この部分は日本人女性信者たちが祝福や韓国での家庭生活にどのような意味づけをしているかを、彼女たち自身の口を通して語らせることにより、彼女たちが「主観的にどう捉えているか」を見ることを目的としているという。そしてそれを通して、なぜ彼女たちが韓国にお嫁に来て統一教会の信仰を維持できるのかを明らかにしようとしているのである。

 中西氏によれば、韓国で暮らす日本人女性信者たちは統一教会の信仰ゆえに今の夫と夫婦になり、韓国での生活を続けていると自覚しているという。それではその信仰とはどのようなものであり、「どのような教説が特異な結婚と結婚生活を成り立たせているのだろうか」(p.493)という問いを中西氏は発している。この問いに対する彼女なりの回答は、「一つは理想世界『地上天国』の実現であり、もう一つは罪の清算である。」(p.493)ということになる。中西氏は実際に女性信者たちに対してインタビューをしたうえで、この二つの教えが彼女たちの韓国での結婚生活を下支えしていると結論したのであるから、現実との間にそれほど大きな齟齬があるとは考えられない。統一原理の立場からしても、最初の理由は「創造原理」に関わるものであり、二番目の理由は「堕落論」と「復帰原理」に関わるものであるため、おおよそ妥当な動機付けであると考えられる。今回は最初の理由である「地上天国実現のための家庭生活」という側面を見てみよう。

 中西氏は広島県出身のJという信者の語りを引用し、「家庭生活を地上天国実現への実践と捉えている」事例であるとして紹介している。
「祝福は日韓の関係。韓国は謝罪しろと言い、日本は過ぎたことだと言う。それでは接点がない。真の愛で両方の民族が一つになるしかない。生まれた子供には国境がない。すばらしいことだと思う。ここで言われていることは理想的だなと思った。実現されたらすばらしい。希望、理想があって、目指そうとしているものがあるから、力がわく。その一部を実践している。」(p.493)

 Jは広島で生まれ育ち、小学生のときから平和教育を受けながらも、いつか戦争が来るかもしれないという不安感を持っていたという。彼女は聞き取りの中で「A郡に来てなかったら、原爆ドームの前で『核兵器反対』とかしてたかもしれない」(P.494)とも語っていたくらいであるから、入信前から世界平和に対する強い意識を持っていたことが窺える。その彼女が統一教会に出会うことにより、実践の方法が「市民運動」から「祝福と家庭形成」に取って代わったということだ。中西氏はこうした信者の動機をかなり内在的かつ肯定的に理解している。例えば以下のようなくだりがある。
「統一教会が目指す地上天国は国家・民族・宗教が垣根を超えて一つになった平和な世界とされる。現実には国家・民族・宗教の違いによる紛争は後を絶たず、一つになるなら平和が訪れるという論理は分からないわけではない。韓国と日本の男女が結婚をして家庭を築き子供を生み育てれば、家庭の中では国家や民族の壁がなくなる。地上天国の実現は夢のような話だが、少なくとも家庭の中ではささやかな地上天国が主観的には実現される。また子供は原罪のない神の子であり、地上天国の担い手とされる。子供を生み育てることは地上天国の担い手を生み育てるという意味づけがなされ、出産育児は崇高な宗教実践と意識されることになる。実際、韓日祝福の家庭は子沢山の傾向がある。」(p.494)

 Jの生い立ちと入信前の価値観、そして祝福を受けるようになった動機に関する話は、イギリスの宗教社会学者アイリーン・バーカー博士が著書『ムーニーの成り立ち』の中で描いている西洋の典型的な統一教会信者の像と重なる部分がある。バーカー博士によると、もともと統一教会に入会するような人は、奉仕、義務、責任に対する強い意識を持ちながらも、貢献したいという欲望のはけ口を見つけられない人、理想主義的で世の中のあらゆるものが正しくあり得るという信念を持った人、高い道徳水準に従って生きる共同体への「帰属意識」を持ちたいと思っている人、価値あることを行い、それによって価値ある存在となることを願っているような人であるという。こうした若者たちは、いまある現実の世界に幻滅し、戦争の恐怖を感じ、未来に対する悲観的な予測をしていた。

 バーカー博士は、ムーニーたちに外部の世界がどのように見えていたかということを幾分戯画化して描いている。それは人種差別、不正、権力や快楽の追求、拝金主義などがあふれる混沌とした世界であり、絶対的な価値観のない相対的な世界である。世界は差し迫った大惨事に向かっているように感じられ、テロや戦争の恐怖におびえている。家庭は崩壊して愛がなくなり、人々は孤独の中で生きることを強いられている。

 もともと理想主義的で奉仕の精神にあふれた彼らは、こうした現実の世界の不安や絶望を感じ、統一原理に出会うことによって長年探し求めていた答えを見つけ出したと感じて入会を決意した。そして教会の中で活動し、祝福を受けて家庭を築くことを通して、自分なりに世界平和のために貢献しているという実感を持つことができるようになったのである。その意味でJはバーカー博士の描く「典型的なムーニー」と同じ心性を持った人であり、統一教会に来るべくして来た人であったといる。

 また韓日祝福に対するJの理解も、アメリカにおける祝福家庭を研究した宗教社会学者ジェームズ・グレイス博士が著書『統一運動における性と結婚』の中で述べていることと一致している。彼は、多数の国際マッチングは「人種と文化が全く異なる人々を結婚で一つにすることにより世界の統一をもたらそうという文師の努力の直接的な結果であると見られるべき」(『統一運動における性と結婚』第5章より)と評価している。そして人種問題に関心のある白人アメリカ人の男性が黒人女性と結婚することを望んだ話や、祈祷を通して東洋人の女性と結婚することが自分に対する神の意思であると悟った白人男性の話などが出てくる。さらに、こうした国際マッチングは「グループの最も高い理想を示しているので、これらのカップルは同じ国籍・同じ人種同士のカップルにはない特別な地位を運動の中で与えられる」(『統一運動における性と結婚』第6章より)とまで述べているのである。これは韓日カップルに特別な使命があり、特別な恩恵があると信じられていることと同様の現象であり、どちらも教会の理想を体現したマッチングであることにその根拠がある。結婚観においてもJは典型的な統一教会信者である。

 もう一人の信者Nの語りでは、この結婚が恋愛結婚でないところに価値があるという認識が示されている。
「ただ単に好き嫌いを超えた、怨讐を超えているから深みが違うというか、恋愛で結婚したのとはわけが違うような気がする。そういう意味で頑張れているんじゃないかと思うんですよね。」(p.495)

 統一教会では恋愛結婚を「自分の欲望を中心としたもの」「堕落によってつくられた結婚の形態」として否定しているため、恋愛感情を動機としない結婚であることからこそ祝福に価値があるという意味である。

 こうした価値観を彼女たちが受け入れるようになった背景には、やはり現代社会の結婚のあり方に対して不安や不満を持っている若者たちが相当数いることを理解する必要がある。現代の日本の若者たちの中には、社会全般に蔓延する「性の乱れ」に幻滅し、不満や不安を感じている人が多い。そこで性的な事柄に対して潔癖な価値観を持っている人は、統一教会の教えに魅力を感じるのである。「清い結婚がしたい」「不倫や離婚などの不安のない、幸福な家庭を築きたい」というニーズを持っている人に対して、「祝福式」という形で示された統一教会の結婚の理想は、一つの魅力的な回答を提示していると言えるのである。

 祝福式は「自由恋愛至上主義に対するアンチ・テーゼ」としての意味を持っている。そもそも、デートとプロポーズを経て結婚に至るという方法は、特に20世紀のアメリカで発達し、それが日本に輸入されたものである。しかし、欧米諸国の高い離婚率や、日本における離婚率の上昇などを考慮すれば、それは必ずしも理想的な配偶者選択の仕組みと言うことはできない。一時的な恋愛感情が幸福な結婚を保証しないならば、もっと堅固な土台の上に結婚を築きたいと願う者が現れても何ら不思議ではない。統一教会の信徒たちは、「信仰」という土台の上にそれを築こうとしているのである。

 JとNの語りから分かることは、一見「特異な結婚と結婚生活」に見えるものも、彼女たちがもともと持っていた問題意識と統一教会の示す理想が合致し、自分にとって意味ある結婚のあり方であると感じられたからこその選択であったということだ。それは統一教会の教説だけによって成り立つものではなく、彼女たちの個性と自己実現の方向性、そして主体的選択があって初めて成り立つものであることを見逃してはならない。

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