櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第166回目である。
「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第九章 在韓日本人信者の信仰生活」の続き
「第9章 在韓日本人信者の信仰生活」は、韓国に嫁いで暮らす日本人の統一教会女性信者に対するインタビュー内容に基づいて記述されている。中西氏は調査対象となった在韓日本人信者の基本的属性をデータを示した後で、現役信者への聞き取りやその他の資料に基づき、「祝福家庭の形成」のプロセスについて記述している。今回はその中のマッチングに関する記述について分析する。中西氏はマッチングに対する統一教会の教育のあり方と、それに対する信者たちの率直な感想について以下のように述べている。
「歴史的に不幸な関係にあった国や民族同士のカップルほど理想的とされることから、実際に決まる相手は、日本人女性信者への聞き取りによれば『一番嫌なタイプ、愛せないタイプ』になると言われたという。嫌いなタイプとマッチングされることを前提とすることで、予め信者にどんな相手になろうとも受け入れるように覚悟をさせる。同時に韓国人男性は清い血統であり、日本人とは『霊的に雲泥の差』と教える。韓国人男性を特別視させることで相手を客観的に見る目を鈍らせ、日本の女性信者はどんな男性が夫に選ばれようとも感謝して受け入れることになる。
相手が決まると写真、経歴書などの書類が所属教会に届く。伝授式で手渡され、信者は結婚相手を初めて知る。ある程度覚悟していてもやはり葛藤はあったようである。聞き取りでは次のような語りがあった。『写真を見たとき、あ、タイプじゃないなと思った。田舎臭い、少しがっかりした』『写真を見たときは、だめだーと思った。予想外の人、かけ離れている。父親、おじさんのような人』『写真見たとき、あちゃー、私の人生これで終わったと思った』。」(p.463)
45歳で祝福を受けた離婚歴のある女性の相手は、妻と死別した子持ちの男性だったことが紹介されているが、これは再婚同士なので「お互いさま」であろう。
一方で、写真を見たとき、葛藤しなかったケースも紹介されている。
「『どっちでもないけど、まあ、好きかも』『かっこいいな、かっこいいじゃんと思った』という語りもあった。受けとめかたは人それぞれである。」(p.464)
このような本音を正直に語ったのは、インタビューを受けた日本人女性が基本的に中西氏を信頼していたからであろう。彼女たちは、中西氏の研究の動機が純粋なものであり、韓日祝福について客観的で公正な論文を書いてくれるだろうと期待して、飾りも偽りもない自分の率直な印象を話したのである。中西氏はそうした信頼に応え、彼女たちの名誉を傷つけないような、公正な引用の取り扱いを心掛ける必要があった。しかし、このインタビュー内容の一部が2010年に発売された「週刊ポスト」(6月4日号)の悪辣な記事に利用されたことは、インタビューに答えた日本人女性に対する裏切りであり、信義にもとる行動であったと言える。
歴史的に不幸な関係にあった国や民族同士のカップルを文師が推奨したことは事実である。しかし、それは日本人と韓国人の組み合わせに限らず、人種問題で葛藤した白人と黒人、太平洋戦争で互いに敵国関係にあったアメリカ人と日本人にも当てはまることであり、文師はそのようなマッチングを行ってきた。それは強制ではなく、自らの結婚を通して怨讐関係を克服し、人類の和合と世界平和に貢献したいという信徒自身の信仰と決意に基づくものであった。そのことを「言われた」「覚悟をさせる」「教える」「相手を客観的に見る目を鈍らせ」などの表現を用いることにより、信徒たちがもっぱら受動的で自己の意思を放棄しているかのように描写している中西氏は、バイアスのかかった目でマッチングを見つめていることになる。
アメリカにおける祝福家庭を研究対象にして『統一運動における性と結婚』という著作にまとめた宗教社会学者ジェームズ・グレイス博士は、この点をより客観的に観察している。まず、多数の国際マッチングは「人種と文化が全く異なる人々を結婚で一つにすることにより世界の統一をもたらそうという文師の努力の直接的な結果であると見られるべき」(『統一運動における性と結婚』第5章より)と評価している。そして人種問題に関心のある白人アメリカ人の男性が黒人女性と結婚することを望んだ話や、祈祷を通して東洋人の女性と結婚することが自分に対する神の意思であると悟った白人男性の話などが出てくる。さらに、こうした国際マッチングは「グループの最も高い理想を示しているので、これらのカップルは同じ国籍・同じ人種同士のカップルにはない特別な地位を運動の中で与えられる」(『統一運動における性と結婚』第6章より)とまで述べているのである。これは韓日カップルに特別な使命があり、特別な恩恵があると信じられていることと同様の現象であり、どちらも教会の理想を体現したマッチングであることにその根拠がある。そうした信仰による主体的な決断の価値を、中西氏はまったく評価していない。
さらに、出会ったときの相手に対するネガティブな印象だけを全体のコンテキストから抜き出して羅列するというやり方も、公正ではない。なぜなら、統一教会の祝福の証しにおける第一印象の悪さは、マッチングそのものが自己の恋愛感情を動機としたものではなく、神の計画によるものだが、最初の段階ではその深い意味に気づくことができず、時間の経過の中で徐々に相手の価値が分かってくるという全体的構造の中で語られることが多いからである。「葛藤から感謝へ」「地獄から天国へ」というイメージで変化していく祝福の相対関係の、最初の葛藤の部分だけを抜き出しても、それは祝福に関する真実を表現したことにはならないのである。
こうした相対関係の変化を、グレイス博士はより丁寧に観察している。実は、中西氏が日本人の女性信者から聞き取ったのと同じような最初の段階での反応を、グレイス博士もアメリカの統一教会信者に対するインタビューの中で聞き取っている。
「最初の段階で彼らの多くがお互いに対してロマンティックな意味での愛情を抱くことに困難を感じたというのは驚くに値しない。まったく見知らぬ者同士がマッチングを受けたり、時にはその片方あるいは両方がマッチングを受け入れがたいと思うことも、決して珍しいことではない。後者の感じ方の一つの例が、まったく好きではない女性とマッチングおよび祝福を受けた男性メンバーの体験であった。『もし私が結婚したくないと思う女性を3名挙げることができたとしたならば、そのうちの一人がまさにお父様が提案してくれた女性だった。』」(『統一運動における性と結婚』第6章より)
しかし、この話はそこで終わらない。結婚したくないと思うような女性とマッチングを受けたその男性は、彼女を愛せない原因を、自分自身が抱えている精神的問題の中に見出していく。そして、彼女とのかかわりを通してそこのことに気付かされ、自分自身を変えていった結果、彼の心は「消極的な受容と寛容」の状態から「愛の衝動」へと変化し、最終的には「確かで持続的な愛情」に変わったというのである。
グレイス博士は、「インタビューのデータが示唆するところによれば、彼が『聖別・約婚期間』に愛を達成した方法は、多くのマッチングを受けたカップルが典型的に経験することである。最初に相手を目の前にして違和感や不安を感じ、次に彼または彼女の肯定的で補完的な性質に焦点を当てようという、信仰によって方向づけられた努力があり、そして最終的には無条件の愛へと突破していくのだが、そこには強い恋愛的要素が含まれるかもしれないし、含まれないかもしれない。」(『統一運動における性と結婚』第6章より)と総括している。グレイス博士による長いタイムスパンで見た相対関係の変化の観察に比べるならば、中西氏の記述がいかに近視眼的で表層的な観察に基づいたものであるかが分かるだろう。
グレイス博士がマッチングを受けたカップルにインタビューした結果分かったことは、マッチングを受けた後に通過する「聖別期間」をカップルが正しい態度で過ごしたとき、二人の間に恋愛関係が徐々に育っていくということであった。それではその正しい態度とは何かといえば、それは相手に対する配慮とオープンな態度、そしてマッチングと結婚が永遠であるという信仰であるという。要するに、文師によって推薦された相手を大切に思い、受け入れていこうという姿勢と、二人の関係が神によって結ばれた永遠のものであると信じる姿勢である。
そもそも神の愛は人を能力や美醜によって差別せず、どのような存在であっても無条件に愛する「アガペーの愛」であると言われる。統一教会のモットーは「為に生きる」であり、それは自己を犠牲にしてまで相手のために存在しようとする愛の理想である。日常の信仰生活においてそのような愛を実践しようと心掛けている信者たちは、祝福の相対者に対しても同じように「アガペーの愛」で接するように努力する。たとえ人間的には相手に対する葛藤があったとしても、すべての人を差別なく愛する神のような視点と心情で相手を見ようと努力するのである。そのような純粋で無私の愛を持って相手を見つめ、心をオープンにして相手を受け入れようとするとき、相手に対する本当の愛情が徐々に芽生えていくというのが、祝福における相対関係のあり方なのである。