書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』165


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第165回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第九章 在韓日本人信者の信仰生活」の続き

 「第9章 在韓日本人信者の信仰生活」は、韓国に嫁いで暮らす日本人の統一教会女性信者に対するインタビュー内容に基づいて記述されている。中西氏は調査対象となった在韓日本人信者の基本的属性をデータを以下のようにまとめている。
「現役信者も入信から通教・献身までの経緯は脱会信者と変わらない。二三-二四歳くらいに入信し、あまり期間をおかずに献身をする。この後が脱会信者と違ってくる。献身してから二年ほど、年齢では二五-二七歳くらいに祝福を受け、聖別期間を送り、それを終えると家庭出発となる。祝福を受けてから家庭出発までの期間はおよそ二年半である。二〇代前半に入信し、後半に結婚して家庭出発をするというパターンである。統一教会の教義上、家庭を築き、女性信者は無原罪の『神の子』を生むことが重要であるから遅くとも二〇代後半には結婚生活を始めさせるのだろう。」(p.450-1)

 この記述は間違ってはおらず、中西氏の調査対象となった女性たちのデータから導き出される平均的なライフコースということなのだろう。とはいえ、私にはかなり理想的なパターンに思える。実際にはこのライフコースに当てはまらなかったり、うまく乗れなかったりする女性もたくさんいるのである。20代前半に祝福を受け、20代後半に家庭を出発できれば子女に恵まれるチャンスは十分にある。しかし、婚期を逃して30代になってから祝福を受ける女性信者も実際にはたくさんいるのである。

 中西氏は次のようにも述べている。
「祝福は確定的な信者への移行儀礼であり、第二段階の入信ともいえる。入信したときは自分一人の信仰だったが、家族を形成すると夫や子供と共に家族生活を営むこと自体が信仰実践になる。家族を形成することによって後戻り(脱会)も困難になる。信仰に疑問が生じたとしても、信仰を否定することはこれまでの自分自身の歩み、そして形成した家族をも否定することになるからである。祝福によって信者は未婚のときとは違った信仰生活を始める。」(p.451)

 この中西氏の指摘も間違ってはいないが、信仰に対する評価が基本的にネガティブであり、中立性を欠いている点が気になる。祝福という移行儀礼を通過してしまえば、本来やめるべきものもやめられなくなり、否定すべきものも否定できなくなるというニュアンスが行間からにじみ出ているのである。祝福式が一種のイニシエーションとしての機能を持っていることは事実であるが、もっと中立的な表現をすれば、祝福は信者の信仰やアイデンティティーを強化する役割を果たしているということである。これは統一教会に限らず、あらゆる宗教のイニシエーションの基本的な機能であり、祝福はその中でも特に強力な儀礼であるということになる。

 統一運動の性と結婚について社会学的な研究を行ったジェームズ・グレイス博士は、著書の中で「統一運動の性と結婚に対するアプローチは、メンバーの献身を維持し強化するうえで極めて有効である」というテーゼを掲げている。そして祝福にまつわる一連の儀式は、すべてメンバーの献身を強化し、アイデンティティーを確立していくうえで有効に働いていると指摘している。彼は祝福の儀式が持つ意味について以下のようにまとめている。
「祝福の儀式は、終末論的共同体としての統一運動の統合性と結束を劇的なやり方で象徴的に表現する。それらを通して、いくつかのレベルで結束が確認され実現される:
1.カップルと真の父母の間に血縁関係が確立される。
2.永遠の絆が夫と妻を結び付ける。
3.カップルは共同体全体と新しい特別な関係を結ぶ。
4.各合同結婚式に参加したカップルはお互いに特別な関係となり、それは毎年グループの記念晩餐会で祝賀される。
5.各カップルは原罪から解放され、それによって霊的領域、すなわち神ならびに霊界にいる彼らの先祖に近づく。
6.結婚を成就させる三日行事は、性と霊性の統合を象徴する。

 宗教の歴史において、祝福に関連した儀式に匹敵するような、人生における多くの別個の側面を包括し統一する一連の儀式を見いだすのは困難であろう。さらに、統一運動の結婚の型破りな性質、とくに配偶者を文師が選ぶことは、確実にグループの一体感を支持するような過激な性質をその儀式に与えるのである。」(ジェームズ・グレイス著「統一運動における性と結婚」第7章より)

 櫻井氏も中西氏も、祝福が信徒の自由を拘束し、人生の選択肢を狭めるものであるという視点からネガティブに見ているが、それは別の見方をすればアイデンティティーの強化ということになる。ジェームズ・グレイス博士は結婚にまつわる宗教的な行事や習慣は、どの宗教にあっても基本的にメンバーの献身を強化しアイデンティティーを強化する効果があるということを前提としながら統一教会の祝福を客観的に分析しているが、櫻井氏や中西氏はこうした立場を離れ、奇異なものに拘束されることによって個人の自由を奪うものであるとみている点が根本的に異なっているのである。

 続いて中西氏は「祝福家庭の形成」のプロセスについて記述している。現役信者への聞き取りやその他の資料に基づき、「①祝福書類提出、②マッチング、③合同結婚式、④聖別期間、⑤任地生活、⑥家庭出発」(p.461)について順を追って説明している。これは祝福の儀礼そのものよりも、もう少し現実的で細かな点の分析となる。

 祝福書類を提出する際には、「日日、日韓、国際」を選択する欄があるという。さらに親の扶養義務を確認する項目もあるなど、結婚相手を選択するに当たっては、本人の意思と決意、ならびに個人が抱えている事情がある程度配慮されていることが分かる。マッチングにおいては基本的に個人の好みや恋愛感情などが優先されるわけではないものの、やはり結婚後の生活は長く続く実生活であるため、重大な支障をきたすようなマッチングが行われないように、あらかじめ個人の選択肢が与えられているのである。

 マッチングに関しては、「日本人信者への聞き取りによると、文鮮明によるマッチングは一九九五年の三六万双で終わったそうである」(p.462)とされ、その後は教会の責任者が代わりに行うようになったとされている。在韓の日本人信者たちがそのように語ったことは事実かもしれないが、必ずしも正確な知識とは言えないであろう。その後も祝福二世に対しては文鮮明師が直接マッチングを行うことはあり、「父母マッチングか、アボジ・マッチングか?」というような選択肢が文鮮明師が聖和する前まで存在していたからである。「アボジ・マッチング」は文鮮明師による直接の配偶者の選択のことであり、晩年にはそうした機会が貴重になったことから、一種の憧れの意味を込めて「アボジ・マッチング」という言葉が使われていたのを記憶している。

 現在ではマッチングのあり方は大きく変わった。文鮮明師のカリスマによって相対者を選択するという統一教会に固有なマッチングのあり方は、文師が聖和(逝去のこと)することによって消滅し、彼のカリスマを相続して天啓によるマッチングを行う後継者は現れなかった。その代わりに、マッチングは教会のシステムの中に組み込まれることとなった。文鮮明師が聖和する以前から、祝福希望者の年齢、学歴、職歴、相手に対する希望などをデータ化する作業は行われていたが、配偶者の選択は最終的には文師の判断によるものだった。しかし、文師が聖和したのちには、そのデータが配偶者選択の主要な要素として使われるようになったのである。

 各教会には「マッチング・サポーター」と呼ばれる人物が立てられ、祝福を希望する未婚者に対してデータベースの中から選択して紹介し、縁談をまとめる役割をしている。マッチングサイトに自分の情報をアップすれば、祝福候補者として認知され、オファーを受けることができる。祝福二世の場合には「父母マッチング」というやり方がある。父母が子供のためにデータベースの中から良いと思われる人を探して、本人同士を交流させ、最終的に結婚するかどうかを本人たちに決定させるというやり方である。マッチング・サポーターにしても父母にしても、文鮮明師のようなカリスマを持って相対者の選択を行うわけではないので、このシステムではかなり本人の意思が尊重されるようになる。今後はこうしたやり方による配偶者の選択が主流になっていくと考えられるため、文鮮明師によるマッチングは、統一教会の長い歴史の中にあっては初期の一時期のみの現象であったと顧みられる時代が来るであろう。

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