書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』156


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第156回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第八章 韓国社会と統一教会」の続き

 中西氏は、第8章の「三 韓国農村の結婚難と統一教会」と題する節のなかに「4 祝福に対する意味づけ」という項をもうけ、統一教会の教義からみた韓日祝福の意味を解説している。しばらく彼女の解説をそのまま引用するが、この部分は基本的に大きな間違いはない。
「祝福では同じ国や民族同士の結婚よりも国際結婚に価値が置かれる。その理由は統一教会の目指す理想世界『地上天国』が、国家・民族・宗教が垣根を超えて一つになった世界とされるからである。」(p.433)
「国家・民族・宗教が一つになることは不可能だろうが、国際結婚をすれば、家庭の中で国家・民族・宗教の垣根を超えることは不可能ではないし、子供は生まれながらに垣根を越えている。地上天国実現の第一歩はまず家庭からということで国際結婚が奨励されるのである。さらに国際結婚の中でも不幸な関係にあった国や民族同士の結婚が理想的とされる。」(p.435)
「日本人と韓国人がカップリングされる理由はここにある。日本は朝鮮半島を三六年間にわたって植民地支配したという歴史的関係ゆえに、韓日・日韓カップルは最も理想的なカップルとされる。」(p.435)
「また、これがアダムーエバ関係にもなぞらえて捉えられる。統一教会では韓国をアダム国家、日本をエバ国家と考える。エバは蛇(サタンの隠喩)と不義の関係を持った上にアダムを誘惑し、人類を堕落させた悪女である。植民地支配し民族の尊厳を踏みにじった日本はエバと同じであり、韓国に贖罪しなければならないとされ、日本人女性が韓国に嫁ぎ、夫や夫の家族に尽くしなさいという理屈になる。韓日祝福は韓国社会の構造的な歪みに起因する農村男性の結婚難という現実的な問題と、日韓の不幸な歴史という歴史的事実を結びつけたところに成り立ち、韓日カップルが生み出される。国家・民族・宗教を超えるという理念だけによるのではなく、農村男性の結婚難という現実の社会問題に対処するものとなるだけに、韓国社会で祝福は受け入れられるものになっている。」(p.435)

 彼女の解説は、祝福において国際結婚が価値視され、とりわけ韓日カップルが推奨される理由についてはほぼ正確に表現している。統一教会の文献を引用しながらそれを根拠づけている点も評価できる。しかし、韓国の農村男性の結婚難と日韓の不幸な歴史が結び付けられたのは1992年の三万双以降のことであり、それ以前は両者の間には何の関係もなかった。このことについては第153回での述べたので繰り返しになるが、6500双までは韓日祝福を受けた韓国人男性は統一教会の信者だったのであり、日韓の不幸な歴史的関係の清算という意味はそこに込められていたかもしれないが、農村男性の結婚難という現実の社会問題に対処するために韓日のマッチングがなされることはなかった。1992年、1995年の祝福でこうしたことが行われるようになったのは、日本人の女性信者の数に比して韓国人の男性信者の数が少なかったために、結婚目的の非信者の男性にまでその範囲が広げられたということである。

 こうした時系列による違いについては、中西氏も一応説明している。「5 韓日祝福・日韓祝福の始まり」という項において、以下のように説明している。
「祝福に日本人の参加が見られるようになるのは四三〇組(一九六八年)からであり、このとき日本統一教会の初代会長である久保木修己が参加した。韓日や日韓のカップリングは六〇〇〇組(一九八二年)から出始め、六五〇〇組(一九八八年)で本格化した。『祝福の歴史』(http://www.wcsf-j.org/blesshis.htm)によれば、このときの参加者実数は六五一六組であり、韓日カップルが一五二六組、日韓カップルが一〇六〇組生まれた。統一教会では特に六五〇〇組の祝福を『交叉祝福』と呼び、『韓日一体化のための重要な祝福であった』としている(歴史編纂委員会二〇〇〇:四二八)。その後、桜田淳子や山崎浩子が参加した三万組(一九九二年)で韓日・日韓カップルが多数出ており、続く三六万組(一九九五年)でこれまで以上に多くの韓日・日韓カップルが生まれた。祝福対象者を信者でないものにまで広げたのが一九九二年とされ(『本郷人』二〇〇三年八月号)、これによって多くの韓日祝福が生まれることとなった。」(p.436)

 中西氏はここで、韓国における農村男性の結婚難に関する『東亜日報』の記事が出たのが1989年であり、6500双の祝福が行われた1988年の翌年であることから、「統一教会が当時から農村男性の結婚難をどれだけ認識していたかはわからない」(p.436)としながらも、結婚難の社会問題化と韓日祝福の本格化が時期的に重なっていることを強調している。ここに1987年の全国霊感商法対策弁護士連絡会の結成、ソウルオリンピックなどを結び付けて、「軌を一にしている」の一言で中西氏は因果関係を示唆しているが、これはいささか乱暴な論法である。ある出来事がほぼ同時に起きたからと言って、両者の間に即座に因果関係を設定できないのは科学の常識である。そもそも全国霊感商法対策弁護士連絡会の結成は日本における教勢拡大と直接的な因果関係はなく、結成の動機はむしろ政治的なものであった。また、そのことと韓日祝福の間にも何の因果関係もない。ソウルオリンピックは韓国の経済発展の結果としての象徴的な意味はあるかも知れないが、そこにもやはり直接的な因果関係はない。経済的に成長してもオリンピックを誘致できない国もあれば、オリンピックが行われる国が必ずしも高度経済成長をしているとは限らないからである。このように、直接的に因果関係のないことをただ単に時代が近いからといいう理由だけで関連付ける中西氏の論法は、およそ社会学者のものとは思えない。もっと他の本質的な疑問に中西氏は答えようとすべきではなかったのか?

 たとえば、せっかく韓日祝福の歴史を調べたのだから、もっと社会学者らしく祝福の対象者が信者から非信者に拡大された理由についてもっと突っ込んだ調査があってもよさそうなものだが、中西氏はそれはしていない。韓国の統一教会が農村男性の結婚難を伝道の契機として利用しようとしたのが事実であるとするならば、それ以前とそれ以後ではどのような変化があり、なぜそのような決断がなされたのかを追求しない限りは、こうした結婚のあり方がなぜ可能になったのかを解明したことにはならないのである。そこには、①日本の女性の側の動機、②韓国の男性の側の動機、③両者を結び付けようとする教団の動機がそれぞれ存在する。中西氏は①と②に関してはある程度のインタビューを行っているが、③の部分の調査が不十分であるために、①と②を結び付けた要因が何であるのかが明確になっていないのである。

 続いて中西氏は「6 農村部における布教の方法」と題して、韓国の統一教会が具体的にどのような方法で結婚相手の紹介を行っているのかを紹介している。そこに登場するのが図8-2、図8-3として紹介される結婚相談のチラシである。

図8-2

図8-3

 このチラシはどちらも「真の家庭実践運動 ○○委員会」(○○は地名)とあるだけで統一教会とは書いてないという。これが日本で行われたならばただちに「不実表示」という追及を受けそうだが、なぜか中西氏は「これが日本でいうところの『正体を隠した伝道』になるのかどうかは判断しかねる」(p.438)として、判断を曖昧にして追及していない。理由は、たとえチラシに統一教会と書いていなくても、このようなチラシが統一教会によることは農村では知られたことであるからだという。どうせ知っているからはっきり書かなくても正体隠しにならないというのは、説得力のある論理ではない。日本の統一教会の伝道方法に対する厳しい非難と比較すると、どうしてもダブル・スタンダードを感じざるを得ない。

 中西氏は414ページにおいて、「韓国での統一教会は正体を隠して組織的伝道をしているわけでもなく、・・・日本のように特異な宗教実践とはなっていない。」と言い切り、「普通な韓国統一教会」と「異常な日本統一教会」というシンプルな枠組みを作ってしまっているため、いまさら韓国の統一教会が正体隠しをしているとは言えないという事情があるのかもしれない。

 私がこの項で特に印象に残ったのは、「ここ(A郡)では結婚を目的として伝道している。国際結婚をしませんかで伝道。日本人女性と結婚をしませんかで。男性はここにいても結婚できないし、女性も残っていない」(p.439)という女性の言葉である。日本人の女性と韓国人の男性では、祝福に参加する動機の部分が逆になっている。日本人女性は統一教会の信仰を動機として韓国人男性との結婚を受け入れるのに対して、韓国人男性は結婚を動機として統一教会の信仰を受け入れるという、逆の経路になっているのである。これは一種の「バーター」と言えるかもしれない。日本の信者の立場に立てば、韓国人男性の動機は清くないと感じるかもしれない。しかし、どちらから入っても、入り口が問題なのではなく、結果が問題なのであり、双方が欲しいものを手に入れて幸福になればそれでよいのだと考えることも可能である。そんなことを思わされた言葉であった。

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