書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』152


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第152回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第八章 韓国社会と統一教会」の続き

 中西氏は、第8章の「5 教勢」と題する一節で、韓国統一教会の信者数を紹介して以下のように書いている。「一九五四年に設立された統一教会は一九六三年に韓国政府から財団法人の認可を受けた(韓国には日本のような宗教法人制度はない)。教勢は『韓国宗教年鑑』(一九九五年)によると、牧師一二一六人、長老二七一〇人、伝道師四四〇〇人、信者五五万人(男性二五万、女性三〇万)となっている。公称信者数は必ずしも正確な数を表しているとは言えないが、日本の四七万人(『宗教年鑑』平成六年版)と比べると多い。しかし、韓国には結婚目的で『にわか信者』になったものもいるので、信者が日本より多いかどうかは不明である。」(p.424)

 公称信者数が必ずしも正確な数を表していないというのは、統一教会に限らず、伝統宗教でも新宗教でも似たような状況である。そもそも何をもって「信者」と認定するかは宗教ごとに異なっており、数え方の精度もまちまちなので、比較のしようがないのである。日本の『宗教年鑑』には仏教の信徒数が掲載されている。浄土系が1712万人、日蓮系が1326万人、真言系が922万人、禅系が315万人、天台系が312万人、奈良系が71万人という数字が並べられており、日本には仏教の信者が合計で8471万人いることになっている。これは日本の総人口の約7割が仏教徒であるということを意味するわけだが、これらすべてが熱心な仏教徒であると信じる人はいないであろう。さらに神道系の信者が1億77万人、キリスト教系が192万人、諸教を合わせて949万人で、これらを全部合わせると1億9689万人になる。これは日本の人口をはるかに超える数字である。こうしたことが起こるのは、仏教や神道が個人の内面の信仰に関わりなく、檀家や氏子に属する人を全員信者としてカウントするからである。

 一方で信仰について個人にアンケート調査をするとまったく異なる数字になる。統計数理研究所が「あなたは何か信仰や信心を持っていますか?」という調査を個人に対して行ったところ、72%の日本人が「持っていません」と答え、「持っている」と答えたのは28%であった。『宗教年鑑』のデータでは、日本人の7割が仏教徒であり、8割以上が神道の信者であるはずなのに、日本人で信仰そのものを持っている人は28%しかいないというのである。このように日本の伝統宗教においては、宗教法人側では信徒だと思っているのに、本人には信者であるという自覚がない者が非常に多いという事実がある。新宗教の信仰はむしろ自覚的で、伝統宗教に比べればこうした差は小さいのかもしれないが、それでも「名ばかりの信者」と言える人が公称信者数に入っていることは十分に考えられる。しかし、伝統宗教の信者数にもそうした人々が含まれていることを前提とすれば、韓国の統一教会信者が55万人、日本の統一教会信者が47万人という数字はそれほど不正確な数字であるとは思えない。こうした数字の性格からすれば、韓国で結婚目的で「にわか信者」になったものを含めてはいけないということにはならないであろう。にわかになったとしても、信じているのであればそれは「信者」と呼ぶことができ、少なくとも「名ばかりの信者」よりは自覚的な信者と言えるのではないだろうか。

 日本における統一教会の教勢に関しては、櫻井氏が以下のような分析を行っている。
「日本における統一教会の信者数は、四七万七〇〇〇人(平成七年文化庁宗教統計)とされるが、献身した本部教会員の実数は数万人の規模と思われる。統一教会問題を手がけてきた日本基督教団の牧師や全国霊感商法対策弁護士連絡会、及び脱会した元信者の証言によれば、統一教会の修練会に多数の若者たちが参加していたのは、一九八〇年代末までである。」(p.96)

 この47万7000人という数字は、活動しているかどうかは別として、本部教会に登録した教会員の名簿上の数として文化庁に報告したものと思われる。献身的に活動している者のみを信者として数えるならば、その実数が数万人の規模というのは、およその数としてはそんなに外れていないと思われる。ただし、統一教会の信仰を持っている人には、社会で働きながら信仰を持つ「勤労青年」や、家庭の主婦が信仰を持つ「壮婦」、その夫に当たる「壮年」、さらには幼児、小学生、中学生、高校生などの「2世」も含まれるので、どこまでを「信者」として数えるかによって、その数は大きく変わると言える。

 ちなみに、1999年に発行された拙著『統一教会の検証』には「資料編」があり、そこには統一教会本部広報部からもらった教団の教勢に関するデータが掲載されている。それによれば、信者数は約60万人、講師が約8000人、教師が約4000人となっている。公益財団法人・国際宗教研究所の「宗教情報リサーチセンター」のウェブサイトによると、国内信者数は56万人になっている。このように多少のばらつきはあるものの、日本国内の信者数はかなり一貫性のある数字となっている。

 続いて中西氏は、韓国に在住する外国人信者の数を『本郷人』に記載された数字からまとめている。それによると、「日韓家庭」(日本人の夫と韓国人の妻のカップル)が約300家庭、「韓日家庭」(韓国人の夫と日本人の妻のカップル)が約6500家庭、それに若干の韓比家庭、韓泰家庭、韓蒙家庭などが加わるという。『本郷人』は韓国統一教会が在韓日本人信者を対象に発行している新聞であるから、この数字は信憑性があると思われる。

 続いて中西氏は、「6 東南アジア出身の女性信者」という節の中で、フィリピンやタイ出身の女性信者について述べているが、その描写はいささか差別的であり、フィリピンやタイの女性に対する日本人女性としての「上から目線」を感じさせる。
「フィリピン人やタイ人女性の場合、日本人女性のような信仰ゆえの結婚ではない。自国よりも経済的に豊かな韓国の男性と結婚することで故郷の親に仕送りができることを期待して結婚する。」(p.424)
「彼女達にとっての祝福は日本人女性のような信仰あっての結婚ではなく、階層上昇を願っての結婚だったのではないだろうか。」(p.427)

 国の経済的な豊かさの比較により、日本から韓国へ嫁ぐことが「下降婚」であり、フィリピンやタイから韓国へ嫁ぐことが「上昇婚」であることは客観的に言えるかもしれないが、だからと言ってフィリピンやタイから韓国へ嫁ぐ統一教会信者の内面の動機や信仰について調査した根拠もなく断言するのは社会学者としてはあるまじき独断と偏見である。

 フィリピンから韓国に嫁いだ統一教会の女性が韓国での結婚生活に適応できず、「フィリピーノ・カトリック・センター」に駆け込み寺のように行ってしまうという話は、私も聞いたことがある。しかし、そこで彼女たちが「韓国へ行って豊かな生活をしたくないか」「毎月小遣いがもらえてフィリピンに送金できる」などと言われて韓国に行くのを誘われたという話を真に受けて一般化するのは、統一教会脱会者の話を聞いて統一教会の信仰生活一般を論じるのと同じことである。脱会者の証言にはネガティブ・バイアスがかかっており、自分を正当化して同情を買うために虚偽の証言をする可能性もある。

 中西氏がまだ良心的なのは、自らが直接出会ったフィリピンやタイの女性のインタビューに基づき、信仰を保って平穏に暮らしている者もいることを明らかにしている点である。中西が紹介しているフィリピン人の女性信者は、ご父母様が夢に現れるなどの宗教的体験をしている。彼女はちゃんと統一教会に通って原理の教育を受けており、祝福の意義と価値をきちんと理解して結婚したと考えられる。彼女の結婚が信仰のゆえでなく、自国よりも経済的に豊かな韓国の男性と結婚することで故郷の親に仕送りができることを期待していたと断定できる証拠はどこにもない。

 タイ人の女性も、「タイ語の『原理講論』とマルスムで原理の勉強をした。いい子が生まれ、いい家庭が作れると思った。」(p.426)と語っており、表現はシンプルであるが、原理を正しく理解して信仰に基づいて祝福を受けたと考えられる。この二人に信仰がないとすれば、いったい信仰のある人とはどのような人のことを指すのであろうか? 

 中西氏は「下降婚」と「上昇婚」の問題と、信仰のあるなしをごっちゃにしているとしか考えられない。そこには、信仰がなければ「下降婚」をあえてするはずがなく、「上昇婚」をした人は信仰が動機であるはずがないという思い込みがあるのである。そこには、日本から韓国へと「下降婚」をする日本人女性は、なにか「マインド・コントロール」に近いような特殊な精神状態に追い込まれない限り、そのような選択をするはずがないという前提があり、一方で「上昇婚」をするフィリピンやタイの女性にはそのような信仰は必要なく、経済的理由で結婚したに違いないという偏見が重なっている。中西氏の論法は、自身の世俗的な価値観をフィリピンやタイの統一教会信者に投影したに過ぎず、彼女たちの内面の信仰を素直に見つめようとしない点で、失礼極まりないものである。

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