書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』125


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第125回目である。

「第Ⅱ部 入信・回心・脱会 第七章 統一教会信者の信仰史」

 元統一教会信者の信仰史の具体的な事例分析の中で、今回から「五 壮婦(主婦)の信者 家族との葛藤が信仰のバネに」に入る。

 ここで櫻井氏は、「日本の統一教会にとって壮婦伝道は、教化活動として副次的に位置づけられてきた。統一教会の教えを厳格に適用するならば、文鮮明が司式する祝福を受けて家庭を出発できる未婚の青年男女しか原罪のない子を生むことができない。既に世俗的な恋愛・結婚をなしているものは究極の救済には与れないのである。」(p.369)という偏見を改めて披露している。

 私は既にこのシリーズの第60回で、櫻井氏が統一教会の青年信者と壮年壮婦の間に価値的な序列をつけ、壮年壮婦は価値がない副次的な存在であるかのように主張していることに対して反論を行った。その根拠は以下のようなものであった。

 文鮮明師に従った韓国の初期の弟子たちの中には、既成教会で重要な枠割を果たしていた中年の婦人たちやお婆さんも多く含まれており、草創期の韓国統一教会は全体として若者ばかりの宗教というわけではなかった。梨花女子大の若い学生たちが多く入教したときでさえ、当時大学の教授をしていた年配の女性たちも同時に入教したのである。

 統一教会草創期に韓国で行われた祝福式には既婚の壮年壮婦が「既成家庭」として参加していたし、日本統一教会の最も古い祝福双にも既成家庭がいるように、もともと祝福を受けるのも若者だけではなかった。年配の既婚者も祝福を受けることは最初から可能だったのである。

 文鮮明師から最初に祝福を受けた3家庭のうち、金元弼先生の家庭は既成祝福であった。そして、その3家庭を含む36家庭が祝福の歴史の中では最も古い家庭に属するが、その3分の1に当たる12家庭が既成祝福である。日本で一番初めに祝福を受けた久保木修己会長の家庭も、統一教会に出会う前に既に結婚していた既成家庭であった。そして日本で最初に祝福が行われたのが1969年5月1日であったが、このときの22組のうち12組がマッチングによる祝福であり、10組が既成家庭であった。これらの事実から、文鮮明師は統一教会に出会う前に結婚していたカップルに対しても、初めから既成祝福という救いの道を準備していたことが分かる。

 こうした事実は櫻井氏も否定はできないので、「もっとも、日本統一教会初代会長の久保木修己は入信前に結婚していたため夫婦で祝福(430双)を受けているし、結婚後入信した初期信者にも祝福は与えられていた」(p.370)と述べた上で、既成祝福には一種の例外としての位置づけをして片付けている。しかしながら、韓国で行われた最初の祝福の三分の一が既成祝福であり、日本人が受けた最初の祝福(久保木家庭)が既成祝福であり、さらに日本で行われた最初の祝福の45%(22組中10組)が既成祝福であるという事実は、例外として片付けるにはあまりに比重が大きいのではないだろうか?

 とはいえ、日本統一教会の初期の時代に学生や青年の数が全体の割合として多かったことは事実である。櫻井氏の主張を要約すれば、日本の統一教会において伝道や経済の主役はあくまで青年信者だったのであり、壮年壮婦のプレゼンスが上がってきたのは1980年代に中高年者がつながってきた後のことであったというものである。青年信者と壮年壮婦の間に価値的な序列をつけるという誤った認識を除けば、彼の主張は外面的な事実としては間違っていない。

 日本では「親泣かせ原理運動」と叩かれた1960年代後半には大学生が多く伝道されたし、1970~80年代にも多くの若者が入教した。これは統一教会が宗教として若者たちを惹きつける魅力を持っていたということであろう。1980年代以降に壮年壮婦と呼ばれる層が増えてきたのは、統一教会が教団として成長し、成熟した大人さえも魅了し包容することのできる団体になったことを示している。それでも、まだまだ統一教会は勢いのある若い宗教である。そのエネルギーが若者たちを魅了し続ける限り、これからも10代後半から20代前半の若者たちが伝道され続けるであろう。すべての世代の人々にとって魅力的であることが教団としての理想の姿である。

 実は統一教会がこのように教団として成熟してきたことは、櫻井氏自身も次のように認めているのであり、この部分に関しては珍しく私と櫻井氏の見解が一致している。
「このようにして、1980年代の後半から1990年代、2000年代と、統一教会の活動は中高年の主婦層にも担われていくようになる。青年層が担った学生運動の趣があった原理運動から、宗教団体としての体裁を整え、どの年代でもそれなりの役割を与えられる教団に変化した。その意味では、日本の他の新宗教同様に教団安定化の時期を迎えたといえるのかもしれない。」(p.370)

 こうした前置きをしたうえで、櫻井氏は元信者H(女性)の事例に入る。Hは12年間も壮婦として統一教会の活動に従事してきたということであるから(p.370)、かなり熱心に活動した過去を持つ元信者と言ってよいだろう。

 櫻井氏は、「Hのライフストーリーは主婦が統一教会に伝道され、壮婦として活動を継続する典型事例であり、信仰と家族との葛藤が余計に信仰を強化する面がよくわかる。また、同時に一般家庭の主婦が統一教会に巻き込まれた結果、家庭が被る被害についても了解されるだろう。」(p.370-1)と述べているが、この記述には多くの問題が含まれている。

 まず、元信者Hのライフストーリーが、主婦が統一教会に伝道され、壮婦として活動を継続する典型事例であることの根拠を櫻井氏は示してない。一つの事例が典型であることを示すためには、多数の壮婦に対してインタビューを行い、伝道された過程や活動の様子を聞き取り、そこで大多数の者が経験していることがその一つの事例に集約されていることを示さなければならない。しかし、櫻井氏がインタビューを行った壮婦は事実上HとIの二人だけである。母集団としては小さすぎるし、どちらも現役信者ではなく既に信仰を辞めた後の回想の記録であるという点でバイアスのかかった証言である。しかも、Iは統一教会を相手取って民事訴訟を起こしている原告という「利害関係者」であり、「典型」とは程遠い立場にいる人間である。櫻井氏がこれを単に一つの事例として紹介しているのであれば学問的には問題がないだろうが、「典型事例」と言い切る以上はその根拠を示すべきであろう。

 櫻井氏は壮婦の信者の分析に、「家族との葛藤が信仰のバネに」というタイトルをつけていることからも分かるように、「信仰と家族との葛藤が余計に信仰を強化する」という面を統一教会の信仰における一つの特徴とみているようである。しかし、子供が宗教に入ったことを親が反対したり、妻が信仰を持ったことを夫が反対するというのは、特に新宗教においては良くあるケースであり、その際に家族の反対を受けて余計に信仰が強化されるというのも珍しい話ではない。迫害を信仰の糧とする伝統は多くの宗教に見られるからである。

 宗教的真理が世俗社会から受け入れられず、神の使者や預言者が迫害されるという観念は数多くの宗教の中に見出すことができ、統一教会に限ったことではない。イエス・キリストは迫害を受けることによって天国に近づくことを喜ぶように教えている。
「義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。わたしのために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」(マタイ5:10-12)

 また、善なる者が悪なる世界から迫害されるというテーマは、キリスト教に限らず、仏教にも見出すことができる。仏教では迫害のことを「法難(ほうなん)」と呼ぶが、特に日蓮(1222~1282)においては、「法難」によって逆に自らの信仰の正しさが証明されるという思想が強調されている。彼は権威筋から迫害されることにより、何回も死にそうになるが、多くの法難に遭えば遭うほど、この道こそ正しい道であると確信していった。これと同様の発想で、家族からの反対も一つの「迫害」や「法難」として信仰のバネになりえるのである。こうした宗教的伝統との比較の中で統一教会の壮婦の事例を扱おうという姿勢は、櫻井氏の記述には見られない。

 また、「一般家庭の主婦が統一教会に巻き込まれた結果、家族が被る被害」という表現は、統一教会を悪者・加害者とし、信者の家族を被害者と決めつける一方的な視点である。家族の誰かが宗教を持つことによって生じる家族間の葛藤を、一方的に宗教が悪いという前提で論じることは、少なくとも客観的で中立的な視点ではない。そこには、そもそも宗教に入信した動機にもともと家族との葛藤があったのではないか、入信した家族の気持ちを理解できなかった他の家族の側にも問題はなかったのか、家族の一人が入信することをきっかけとしてやがて家族全員が信仰を持ち、幸せになるケースはないのか、といったような視点が抜け落ちている。櫻井氏の研究は「批判のための研究である」と明言しているくらいだから、こうした多様な視点を最初から排除して、加害者と被害者という固定化された役割の中で統一教会と信者の家族を描くことしか念頭に無いようである。

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