書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』155


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第155回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第八章 韓国社会と統一教会」の続き

 中西氏は、第8章の「三 韓国農村の結婚難と統一教会」と題する節のなかに「3 韓国人の結婚観と統一教会」という項をもうけ、なぜ統一教会の推進する国際結婚が韓国内で受け入れらるのかを説明しようと試みている。

 初めに彼女は新聞に掲載される国際結婚関連の記事には統一教会が散見されることを取り上げ、韓国では国際結婚と統一教会が離れがたく結びついていることを指摘している。統一教会が国際結婚を推進していることは事実であり、それがマスコミで取り上げられることも事実なので、ここまでは何の問題もない。続いて中西氏は、「統一教会で相手を紹介してもらい、国際結婚になってでも結婚をする。日本ではまず考えられないことが韓国では成り立っている」(p.432)ことの理由を探ろうとする。「日本ではまず考えられないこと」という表現には、彼女の偏見を感じざるを得ない。

 この問いかけに対する彼女の答えは、①韓国では統一教会が反社会的宗教団体とまでは認識されておらず、ある程度受け入れられていること、②韓国では儒教倫理が家族規範としてあり、日本以上に「結婚はしなければならないもの」であるという、文化的要因である。韓国ではいまでも先祖祭祀が重要な儀礼として継続されており、長男にはそれを行う責任がある。祭祀の継承者である男子を絶やすことは「不幸中の不幸」とされ、家督を相続する男子を生むことが結婚の主たる目的であるとされる。日本では子供がいなければ養子を取って家を継がせるが、父系血統の存続が重要視される韓国では婿養子を取ったり、非血縁者を養子として迎えることはない。

 さらに、結婚は韓国人の来世観から見ても「しなければならないもの」となっている。人は死んだ後に子孫に祀られることによって祖先になるのであり、未婚で死んだ男の霊は「モンダル鬼神」になると信じられている。モンダル鬼神とは独身男性の幽霊のことで、結婚して子供を残さない状態で死んだために、祭祀をしてもらえないことを恨み、生きている人に害を及ぼすとされる。中西氏は触れていないが、モンダル鬼神の女性版が「処女鬼神」である。昔は、嫁に行けない女は男よりも恨みが強かったので、鬼神の中で一番邪悪でタチの悪いのが、処女鬼神だと言われている。処女鬼神が一番嫌うのが婚礼なので、婚礼を行う前は、処女鬼神の祭祀を行わなければならず、それを怠ると結婚式の直前に死ぬこともあるという信仰がある。韓国のシャーマニズムではこうした未婚の霊を慰めるため、未婚で死んだ者同士の霊魂結婚が行われ、それは現在まで残っているという。

 このように、結婚を何よりも重要視する韓国社会であればこそ、統一教会に紹介してもらってでも結婚相手を見つけてもらおうとするというのが、中西氏の指摘する文化的要因である。こうした中西氏の指摘は、統一教会の信仰を持っているわけではない韓国の農村男性が統一教会を通して配偶者を見つけようとする動機の一端を捉えていると評価することができる。問題は、その韓国の文化をどう評価するかだ。来世観の問題はさておき、「結婚はなんとしてでもしなければならないもの」と考える韓国の文化は、日本における結婚の現状と比較すると、私には非常に素晴らしいものに思えてくる。親や親戚が、配偶者に恵まれない男性のためになんとかお嫁さんを見つけようと必死になる姿から、日本社会は何か大切なことを学ばなければならないのではないだろうか。

 周知のとおり、現在日本が直面している「国難」の一つが急激に進む少子高齢化と人口減少である。そしてこの少子高齢化の主たる原因は若者の未婚化・晩婚化にある。少子化というと、昔は子だくさんだった日本の家庭が少ししか子供を産まなくなったというイメージがあるが、実際には既婚夫婦が産む最終的な子供の平均数は1972年の2.20から2010年の1.96とさほど大きく変化しておらず、日本の夫婦はいまでも平均して約2人の子供を産んでいることになる。少子化が急激に進んでいるのは「若者の結婚離れ」が主な原因である。

 2015年に行われた国勢調査のデータによれば、30~34歳の未婚率は男性で47.1%、女性で34.6%となっている。1960年にはこの数字が男女ともに10%以下だったことを思えば、現在の30代前半の若者がいかに結婚していないかが分かるであろう。50歳まで一度も結婚をしたことがない人の割合を示す「生涯未婚率」は男性で23.4%、女性で14.1%にのぼった。前回の2010年の結果と比べて急上昇し、過去最高を更新している。最近は生涯結婚しない人も増えていることから、「非婚化」という言葉も使われている。

 若者たちが結婚しない理由については、内閣府が発表した『平成26年度「結婚・家族形成に関する意識調査」報告書』で実施した20~30代の未婚者に対するアンケート調査が参考になる。選択肢を複数回答できる調査で若者たちが多く選んだ理由は、①適当な相手にめぐり合わない(54.3%)、②自由や気楽さを失いたくない(27.2%)、③結婚後の生活資金が足りない(26.9%)、④趣味や娯楽を楽しみたい(23.7%)などだった。一番大きな理由は出会いに関するものだが、②と④は価値観やライフスタイルに関する問題で合計すれば事実上の二番となり、経済的な問題が三番目に来ることが分かる。

 若者たちが結婚ついて不安に感じることとしては、「生活スタイルが保てるか?」「余暇や自由時間があるか?」「お金を自由に使えるか?」などが上位に上がるが、これは若者たちの間に個人主義的な価値観が蔓延していることを物語っている。結婚すれば多少はこうしたことを犠牲にしなければならないわけだが、それ以上に結婚で得られる「一緒にいる幸せ」や「分かち合う喜び」に対する魅力を強く感じれば結婚するはずだ。しかし、今の若者はそこまでの強い動機を持てないでいるのである。

 それでは「出会い」の問題はどうだろうか? 国立社会保障・人口問題研究所の主任研究官らの調査によると、1970年代以降底なしに進む未婚化の原因を夫婦の出会い方の側面から分析すれば、初婚率低下の最大の原因は見合い結婚の減少にあるという結果が出ている。ここでの「初婚率」は1000名の未婚女性に対して年間何件の結婚があるかを計算した数値だが、1960年代前半には恋愛結婚が35件、見合い結婚が29件という数字であった。これが2000年以降には恋愛結婚が38件、見合い結婚が3件となっている。つまり、恋愛結婚の数は微増であるのに対して、見合い結婚が激減したために、全体としての初婚率を大きく押し下げているということなのである。

 実は、恋愛結婚の件数は1970年代前半に一度56件まで上昇しているが、その後徐々に下降している。この間に恋愛結婚が減った主な要因は、職場で出会って結婚する「職縁結婚」の減少にあると分析されている。高度成長期の企業は社員を家族のように扱う「日本的経営」が特徴だったが、その頃の女性従業員は労働力というよりは男性従業員の配偶者候補として雇用されていた側面があった。つまり、当時の職縁結婚は当事者の意識においては恋愛結婚なのだが、企業が事実上のマッチ・メイカーとして機能していたということだ。しかし、女性の雇用形態と企業文化の変化により、いまでは企業がこうした役割を果たすことはなくなった。

 こうした事実から分かることは、若者たちの未婚率がここまで上昇したのは若者たちだけの責任ではなく、彼らを取り巻く大人社会にも原因があるということだ。伝統的な日本の社会には、若者たちの結婚をサポートする共同体意識が存在していた。例えば「結婚してこそ一人前だ」「早く身を固めたらどうだ」と語る説教おじさんや、出会った若者にどんどん縁談を勧めるマッチングおばさんのような人がいて、若者たちの結婚を後押ししてきたのである。

 しかし、現代日本においてはこうした文化が失われてしまったため、若者たちは結婚に対して誰にも背中を押してもらえず、助けてもらえない状況に陥っている。統一教会のマッチングと祝福は言ってみれば「神を中心とするお見合い」のようなものである。そして信仰共同体としての統一教会は若者たちに結婚と家庭の意義を教育するだけでなく、具体的に相手を探して結婚まで導いていくマッチ・メイカーとしての役割を果たしている。もし日本社会が受け入れるならば、統一教会こそは若者たちの結婚を強力に推進する貴重な存在と言えるのである。それは、いま日本が直面している「国難」を解決する処方箋になる可能性がある。

 結婚を重要視する韓国社会は、統一教会の祝福を農村青年の結婚難を解決する手段として受け入れた。日本社会はそれを「日本ではまず考えられないこと」というような偏見を持って非難するのではなく、自分たちの抱える深刻な課題を解決する方法として受け入れていくことを考えるべきではないだろうか。

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