書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』154


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第154回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第八章 韓国社会と統一教会」の続き

 中西氏は、第8章に「三 韓国農村の結婚難と統一教会」とする節をもうけ、その中の「1 韓国における男性の結婚難」という項で、統一教会の数多くの日本人女性が韓国人と結婚するようになった背景として、韓国の農村男性の結婚難について解説している。この部分は統一教会に対する直接的な分析ではなく、彼女の専門領域でもあるため、適切な記述であると評価することができる。重要な部分をピックアップしてみよう。
「韓国は朴正煕政権下(一九六三~七九年)において『漢江の奇跡』といわれるほどの急速な経済成長を遂げ、都市部では所得が増加し、生活水準の向上が見られた。その一方で地方は経済発展から取り残され、都市と地方で経済格差が生まれ、生活水準にも大きな開きが出る結果になった。」(p.427)
「特に一九七五年以後、農村部から都市部への人口流出が進んだ。なかでも若い女性の流出が著しく、『結婚適齢期男性』の数に対して『結婚適齢期女性』が少なくなって、農村男性の結婚難の第一の要因になった。第二の要因は都市と農村の生活水準の格差である。一世帯あたりの所得は農村が都市よりも低く、経済面、文化面での格差を生み出し、これが農村の女性に『農漁村定着忌避』の傾向を生んだとされる。」(p.428)
「筆者の調査地であるA郡でも未婚男性に対して未婚女性の数が少ない。A郡の二五~二九歳の未婚率(二〇〇〇年統計)は、男性七一パーセント、女性二八パーセントである。韓国全体では男性七一パーセント、女性四〇パーセントである。日本の場合、二〇〇〇年の統計では二五~二九歳の男性の未婚率は六九・五パーセント、女性は五四パーセントであった。(総務省統計局、平成一二年度国勢調査)。韓国は日本以上に未婚の男女比に開きがあり、A郡ではさらにその傾向が著しい。」(p.428)

 これは韓国の地方における問題だが、読んでいて他人事とは思えない。日本においても農村男性の結婚難は昔から語られていることであり、地方から大都市圏への女性の流出も同じような形で続いている。韓国においては「農村男性の結婚難」という切り口で語られているが、日本においては近年この問題は少子化と人口減少の問題として語られた。地方に女性がいなくなり、男性が結婚できなければ当然子供も生まれないので人口減少につながる。地方における男性の結婚難と人口減少は、切り口の違いだけで本質的には同じ問題であると言える。

 日本においては、民間の有識者による「日本創成会議」(座長:増田寛也東京大学大学院客員教授、元総務相)の人口減少問題検討分科会が2014年5月に「全国1800市区町村別・2040年人口推計結果」を公表した。それによると、地方からの人口流出が続く前提で、2040年にまでに若年女性(20~39歳)の人口が50%以上減少し、消滅する可能性がある市区町村は全国に896あり、なかでも人口が1万人未満で消滅の可能性が高い市町村は532にのぼるという結果となった。子供を生む年齢層の女性の数が半数以下に減れば、たとえ現在より出生率が上がっても追いつかず、急激な人口の減少が起きて、こうした地方自治体は存続出来なくなる。日本全体のほぼ半数の市町村がこうした消滅の危機に瀕しているという驚くべき推計は多くの波紋を呼び、これらの市町村は「消滅可能性自治体」などと表現された。要するに日本も韓国も同じ問題を抱えているということだ。

 中西氏によれば、韓国の農村男性の結婚難を解決するために民間団体と行政が協力してさまざまな取り組みが行われたが(その中は統一教会と関係のない「合同結婚式」も含まれていたという)、それでも解決に至らなかったので、2000年代に入って韓国では国際結婚が増加したという。特に農山漁村部の男性と外国人女性の国際結婚の増加が著しく、2001年から2006年の間に三倍に増加している。韓国の男性と結婚した外国人女性の主な国籍は、中国、ベトナム、フィリピン、モンゴル、カンボジアなどである。

 しかし、こうした国際結婚の急増に伴ってさまざまな問題も浮上しており、「2 急増する国際結婚と発生する諸問題」という項で中西氏は『朝鮮日報』日本語サイトを引用する形でその問題を扱っている。
「急増する国際結婚の中には、『結婚相手を探し夫婦関係を結ぶ過程から「売買婚」方式がまん延し、結婚後にも人種差別と人格べっ視・虐待により破綻になるケースが少なくない』ものもある(二〇〇五年三月二二日)。電話相談機関が『韓国人男性と結婚した外国人女性を対象にアンケート調査を実施した結果では、三二%が夫から暴力を受けた経験がある』と答え、別の機関が外国人妻一〇〇人にアンケート調査を行った結果では、一〇人中八人が『二度と韓国人男性と結婚したくない』と答えているという(二〇〇五年一一月二三日)。」(p.429-30)

 中西氏は、2000年以降になって急増した韓国の国際結婚は統一教会とは無関係の国際結婚であり、引用した『朝鮮日報』の新聞記事のようなことが韓日祝福家庭に起こっているわけではないとしつつも、統一教会の日本人妻であれ、中国、ベトナム、フィリピンなどの女性であれ、韓国の農村男性の結婚難を解決するための国際結婚であった点については同じであり、そこに嫁いだ女性たちの苦労には共通点があると指摘する。

 しかし、国際結婚をした女性たちの悲惨な体験だけを強調するのはフェアでないと私は考える。外国に嫁げば言葉や文化などの問題で苦労することはある程度予想できたはずであり、「二度と韓国人男性と結婚したくない」と思う外国人女性がいたとしても、それは一方当事者の言い分に過ぎず、韓国の農村男性の人格がとりわけ酷いという証拠にはならないであろう。たとえそういう事例があったとしても、こうした国際結婚は韓国の農村における嫁不足に対する一定の解決策になっているのである。

 実は、地方で農業を営む男性が配偶者に恵まれないという事情は日本でも同じであり、外国人の女性を嫁に迎えるという問題解決の仕方も、同じように日本に存在する。嫁不足が深刻な農村では、かなり以前から農家の跡取り息子をターゲットにした「外国人花嫁ビジネス」が存在してきた。日本で外国人花嫁ビジネスが盛んになったのは、1985年に山形県で行政が主導する形でフィリピン人女性を迎え入れたことがきっかけだったと言われており、民間業者による紹介サービスがそれに続いて広がっていった。民間の業者の中には営利目的に走ったり、詐欺まがいのものも含まれていたこともあり、こうした結婚ビジネスのあり方は「メールオーダーブライド」と呼ばれ、フィリピン当局から批判されたこともあった。

 このように日韓の地方が同じ課題に直面していることを背景として考えると、多くの日本人女性が統一教会の祝福によって韓国の農村に嫁いだことに対して日本社会が批判的な理由が透けて見えてくる。2010年の「週刊ポスト」(6月4日号)に掲載された記事の見出しに「韓国農民にあてがわれた統一教会・合同結婚式日本人妻」という表現がなされていたのは、この問題に対する日本人の感情を象徴的に表している。

 もし統一教会の合同結婚式で、配偶者に恵まれない日本の農村男性に花嫁が紹介され、農家に後継ぎが生まれたというストーリーであったならば、それは日本社会に貢献していることになるので、批判的にとらえる人は少ないであろう。たとえ花嫁がフィリピンやタイなどの開発途上国の女性であったとしても、農村の窮状を救う方法として理解されるであろう。しかし現実はその逆であり、韓国の農村の花嫁不足を解決するために、日本の女性が紹介されたという話だから受け入れられないのである。要するに、「日本の農村でも花嫁が不足しているのに、貴重な日本の女性をどうして韓国の農村の花嫁不足を解決するために差し出すのか?」と感じてしまうのだ。

 中西氏が指摘するように、日本人の女性が韓国の農村に嫁ぐことは「上昇婚」ではなく「下降婚」である。フィリピンやタイなどの開発途上国の女性が韓国に嫁ぐことは「上昇婚」なのであり得るが、先進国である日本の女性がわざわざ韓国の田舎に嫁ぐことはないだろうと考えるのが一般的な日本人の感覚であろう。そこには、日本民族をアジアの他の民族よりも上位に置く一種の「エスノセントリズム」が潜んでいるのだが、そのことを自覚して冷静に考えられる日本人は少ないのではないだろうか。韓国の田舎に嫁いだ統一教会の日本人女性たちは、こうした「エスノセントリズム」を超越した宗教的信念を持っていたのだが、日本の一般社会はそれを肯定的に受け入れられなかったということだ。

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