書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』142


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第142回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第八章 韓国社会と統一教会」

 中西氏は自分が担当する第8章から第10章までの構成を概略で述べた後に、調査の経緯についてかなり詳しくいきさつを語っている。
「筆者が大学院博士課程のとき所属ゼミで『家族意識と高齢者問題に関する国際比較研究――韓国・タイ・日本』という調査を行うことになり、韓国を担当することになった。韓国の農村部に行ったことがなかったので、1996年12月、韓国の大学で教員をしている知人に協力を依頼し、調査地として候補に挙げてくれたA郡の2、3のマウル(ムラ)を一緒に回った。その時訪れたPマウルで、高齢の韓国人女性に『うちに日本人がいるからおいで』と声をかけられた。『こんな田舎に日本人が?』と半信半疑でついて行くと、赤ちゃんを抱いた若い日本人女性(G)がいた。話を聞くと統一教会の合同結婚式で結婚したと教えてくれた。日本人が住んでいそうにない農村で日本人女性に会ったこと自体驚きであったが、『合同結婚式で結婚した』と聞いて信じられない思いであった。少し立ち話をして名前と住所を聞いて村をあとにした。」(p.405)

 これが最初のきっかけである。要するに最初から統一教会の日本人妻を調べようと思って韓国を訪れたわけではなく、別の調査目的で行ったときに偶然出会ったということである。中西尋子氏は私と同じ1964年生まれだ。1996年であればこの調査をしていたときは32歳になっていたことになる。大学院博士課程の学生としては高齢である。もっとも、私自身も1997年に東京大学大学院の宗教学専攻を受験しており、通常より10年遅れて大学院で宗教学を勉強しようと試みたわけであるから、人のことは言えない。彼女の経歴にもいろいろと紆余曲折があったのだろう。私が問題にしているのはそのことではなく、中西氏と韓国に嫁いだ日本人女性の年齢の関係である。

 二世でない限り、祝福を受けて訪韓し、韓国で家庭を持っている女性信徒であれば30代以降である可能性が高い。赤ちゃんを抱いた若い日本人女性であればまだ家庭をもって間もない頃である可能性が高く、20代後半から30代前半くらいであろう。この年齢は当時の中西氏と同世代の女性というイメージになる。中西氏が『宗教と社会』第10号(2004年)に寄稿した「『地上天国』建設のための結婚ーある新宗教教団における集団結婚式参加者への聞き取り調査からー」という論文では、「聞き取りをした日本人女性たちの生年は、1956年から1978年である」(p.55)と明かされているが、これは中西氏から見れば8歳年上から14歳年下までを含んでいる。それほど大きな年齢の乖離はない。インタビューされる方としても、同世代の女性研究者ということであればあまり警戒感を感じることなく話ができた可能性が高い。しかも彼女は初めから統一教会について調べてやろうとか、実態を暴露してやろうという動機を持っていたわけではないので、自然な形で統一教会の現役信者に接することができた。このことが韓国に渡った日本人女性信者の実態を知る上では有利に働いたと見ることができる。

 中西氏は、統一教会信者に出会ってすぐに調査を始めたわけではない、「やはり統一教会を調査するにはためらいがあった」(p.405)というのがその理由である。要するに、世間的評判の良くない宗教について調査することに対する不安や恐ろしさ、それを発表した際の学会や世間の反応などが気になって、すぐに取り組む勇気がなかったということなのだろう。少なくとも、世間が何と言おうと学問的真実を追求し、それを曲げずに発表するという信念はあまり感じない。このあたりに、あまり思想性のない平凡な研究者としての中西氏の人物像がうかがえるが、これは中西氏の専門領域のとの「ずれ」も関わっているのであろう。家族や高齢化の国際比較を中心的なフィールドとしていた彼女にとっては、直接宗教の問題に触れていくのはやはり新しい領域の開拓であり、ましてやそれまで取り立てて統一教会に深い関心を持っていたわけではない彼女にとっては、「手に余る相手」と感じられたのかもしれない。結果的に調査を始めたのは、最初の出会いから5年後だった。これは2001年ということになり、中西氏は37歳になっていたことになる。

 中西氏は、最初に出会ったHやGに連絡を取り、「日曜日の礼拝に誘われて行ってみると、何人もの日本人女性達がいた。以後毎年A郡を訪れ、聞き取り調査を続けた。」(p.405)という。中西氏は、自分がHやGに出会ったのは偶然であることを前置きしたうえで、自分の研究目的について、「日本では統一教会の信者はマインドコントロールされて入信したと言われるが、実際に会ってみると、それだけではないように感じる。統一教会との出会いから現在に至るまでの経緯を聞かせてほしい。」(p.406)と説明したそうだ。この説明自体は、その時点における中西氏の偽らざる動機であったと思われる。

 中西氏の調査依頼は、当の日本人女性たちからも、韓国の牧師たちからもさして警戒されることなく受け入れられた。「調査に教団が介入し、調査対象を紹介、推薦するようなことは一切なかった」(p.406)ことから、偶然の出会いと人脈による紹介に依拠した自然体の調査だったと言えるだろう。この点は教団から全信徒の名簿を入手し、ランダム・サンプリングを行って調査をしたアイリーン・バーカー博士とは全く異なる研究手法であるが、少なくとも教団側がインタビューさせたい対象だけに絞られるといった「情報統制」がまったくない状態で行われた調査であるため、地域限定とはいえ、客観的な情報源を確保できていると見てよいであろう。

 中西氏は、「第6章で櫻井は社会問題化している教団は正面から正攻法で調査できない場合が多いと指摘しているが、筆者が現役信者を調査できたのは、教団を介さずに偶然の出会いで信者と接触できたこと、またその出会いが日本ではなく韓国であったことによるのだろう」(p.406)と述べている。私はこの見解には必ずしも同意しない。批判的研究を最初から目的とした調査依頼に教団が協力しないのは当然であろう。客観的で価値中立的な研究を教団本部の協力を得てやりたいのであれば、かつてアイリーン・バーカー博士がやったように、その旨を誠意をもって丁寧に説明すればよい。偶然による出会いから信徒に直接インタビューするというやり方も、サンプリングの問題は残るとしても、より実現可能性の高い研究としては悪くないだろう。しかし、それが韓国でのみ可能であって、日本では難しいという理由はない。

 中西氏が述べる如く、「韓国では統一教会が日本ほど問題視されていない」(p.406)ので調査者を警戒しないということは、程度問題としてはあるかもしれない。しかし、日本において偶然出会った末端信徒のすべてが警戒心に満ちていて、調査に協力してくれないという根拠は一切示されていない。そのようなことに挑戦してみたという形跡すらない。要は日本では難しいが韓国では可能だったということではなく、偶然韓国でやってみたらできただけの話であり、日本ではやってみもしなかったということである。そこには比較は成り立たない。

 私は日本にも、偶然の出会いから社会学的調査に協力してくれる統一教会の信者は一定数いると思っているし、その情報から客観的で中立的な研究を行うことは可能だと思っている。それは日本の末端信者の中には、マスコミの偏向報道によって統一教会信者の実像は世間に正しく伝えられておらず、もし良心的な学者がその役割をしてくれるなら協力したいと思っている者が一定数いると思われるからだ。しかし、彼らの声を拾い上げようとした調査者はいないのである。

 中西氏が韓国に嫁いだ日本人女性から快く調査協力を受けることができた主な理由は、彼女たちと仲良くなり、信頼関係を築いたからであると言える。そして中西氏が『宗教と社会』第10号(2004年)に寄稿した「『地上天国』建設のための結婚ーある新宗教教団における集団結婚式参加者への聞き取り調査からー」の内容を見る限りでは、彼女たちの現実に対する不当な歪曲は見られず、その主観的な宗教観、結婚観に対する一定の理解が示されている。この時点では信頼関係は傷付いてはいなかったであろう。しかし、その後中西氏の研究は統一教会反対派の攻撃を受けることとなり、その圧力に屈した彼女は反統一教会勢力に利用されることになる。

 そして2010年に発売された「週刊ポスト」(6月4日号)に掲載された「〈衝撃リポート〉北海道大学教授らの徹底調査で判明した戦慄の真実」「韓国農民にあてがわれた統一教会・合同結婚式 日本人妻の『SEX地獄』」という記事の内容に中西氏の提供した情報が利用されたとき、韓国に嫁いだ日本人女性と中西氏の間に築かれた信頼関係は崩壊することとなる。この下品な記事の内容が中西氏の本位でなかったことは想像に難くない。しかし、裁判の場において、週刊ポスト側は櫻井氏および中西氏に対しては原稿を送信して確認を受けていることが明らかになっている以上、中西氏が責任を免れることはできないであろう。仮にも祝福家庭婦人と実際に出会い、事実を知っている彼女が、あのような虚構と歪曲に満ちた記事を世間に流布することに自分が加担してしまったことに対して良心の呵責を感じないとすれば、学者として、そして同じ女性としての人間性を疑う。それは一つの裏切りであった。

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