書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』153


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第153回目である。

「第Ⅲ部 韓国に渡った女性信者 第八章 韓国社会と統一教会」の続き

 中西氏は、第8章に「三 韓国農村の結婚難と統一教会」とする節をもうけ、その中の「1 韓国における男性の結婚難」という項で、統一教会の数多くの日本人女性が韓国人と結婚するようになった背景を以下のように説明している。
「統一教会が目指す理想世界『地上天国』は国家・民族・宗教が垣根を越えて一つになった世界とされるために国際結婚が奨励されるのだが、理由はそれだけではなく、もっと現実的な理由がある。これまで述べてきているように、韓国農村部における男性の結婚難である。統一教会は配偶者になかなか恵まれない農村の男性達に『理想の結婚、純潔な結婚』をしませんかと結婚相手の紹介を持ちかけ、日本の女性信者を世話しているのである。仮定の話になるが、韓国の農村に男性の結婚難がなかったとしたら、七〇〇〇人もの日本の女性信者が合同結婚式で韓国人男性の妻となって渡韓することはなかったはずである。」(p.427)

 中西氏の述べている統一教会の理想と国際結婚の奨励に関する解説は、基本的に正しい。文鮮明師はこれを単なる「国際結婚」と呼ばずに、「交叉結婚」と呼ぶ。それは越えるべきなのは国家の壁だけでなく、人種、宗教、文化の壁も含まれるからである。文師は以下のように語っている。
「神様の目には、皮膚の色の違いはありません。神様の目には、国境も存在しません。神様の目には、宗教と文化の壁が見えません。このすべては、数万年間人類の偽りの父母として君臨してきた悪魔サタンの術策にすぎません。」
「白人と黒人が、東洋と西洋が、ユダヤ教とイスラーム(イスラム教)が、さらには五色人種が一つの家族になって生きることができる道は、交叉結婚の道以外にほかの方法があるでしょうか?」(2005年 9月12日「神様の理想家庭と平和世界のモデル」より)

 統一教会の信徒たちが国際結婚を選ぶ理由が、こうした文鮮明師の教えにあることは明らかである。文師は特に、怨讐関係にある人種や民族が神を中心とする真の愛によって結ばれれば、それが歴史を清算して世界平和を築く土台になると教えている。そのためにあえて黒人と白人のカップル、過去に戦争をした国同士のカップル(例えば日本人とアメリカ人)、怨讐関係にある民族同士のカップル(例えば日本人と韓国人)のマッチングを積極的に行ってきた。

 アメリカの宗教社会学者、ジェームズ・グレイス博士が1985年に出した著作“Sex and marriage in the Unification Movement(統一運動における性と結婚)は、統一教会における結婚の実像を公平で客観的な立場で描き出している貴重な学問的研究成果であるが、この本の中でも異人種間の結婚を文師が奨励していることを紹介している。
「ストーナーとパーカーは1977年に『統一教会が発行した結婚相手の長いリストから、偶然にせよ意図的にせよ、これらの結婚の半分以上がアメリカ人と外国人との間でなされたことは明らかである』と報告している。現在の筆者の調査は、これらのマッチングがまったく偶然ではなく、少なくともあるレベルにおいて、人種と文化が全く異なる人々を結婚で一つにすることにより世界の統一をもたらそうという文師の努力の直接的な結果であると見られるべきであることを示している。」(ジェームズ・グレイス『統一運動における性と結婚』第5章「祝福:準備とマッチング」より)

 ここでグレイス博士が、異人種間の結婚を単に教会の教えや理想という側面からだけでなく、より現実的な視点からも分析していることは特筆に値する。すなわち、アメリカの統一運動では男女比が2対1であり、男性の方が多い。アメリカ人同士をマッチングしようとすれば、どうしても女性の数が足りなくなってしまうので、アメリカ人の男性と東洋人の女性をマッチングすることによって、組織の具体的なニーズに合わせているという点である。さらにアメリカ人の男性と結婚した外国人の妻は永住ビザを取得することができるので、アメリカで自由に活動できるようになるという利点も上げている。

 ここで留意すべきなのは、特定の国における教会員の男女比は文師がコントロールできる事柄ではないので、「国際結婚の奨励」という理想と、「国ごとの男女比の違いを国際結婚によって調整する」という現実的な対応が両立しているということである。日本人と韓国人の国際結婚も、こうした両側面から理解しないと本質は見えてこない。日本の統一教会の信者は、数として女性の方が多い。したがって、日本人同士をマッチングしようとすれば、どうしても男性の数が足りなくなってしまうので、韓国人、アメリカ人、ヨーロッパ人、その他のアジア人、アフリカ人の男性と日本人の女性をマッチングしてきたのである。もちろん、日本人同士を希望する場合にはその意思は尊重されるが、国際結婚によって世界に出ていくことが日本人女性には奨励されてきた。その中でも韓国の男性と祝福を受けることは、信仰の祖国であるという認識から、統一教会の日本人女性のあこがれともなってきたのである。

 中西氏は「統一教会の韓日祝福がある程度まとまった数で出始めたのは一九八八年の六五〇〇双から」(p.431)であると書いているが、これは「数が増えた」時期を示しているに過ぎず、それ以前の祝福にも韓国人と日本人のカップルは存在した。すなわち「交叉祝福」の理想は初めからあったのであり、6500双(1988年)はその数が飛躍的に伸びた祝福であったに過ぎない。

 実際には中西氏の指摘する「韓国における男性の結婚難」と韓日祝福の間には、6500双以前の時代には何の関係もなかった。なぜなら、この頃に祝福式に参加したのは信仰を持った教会員だけであり、花嫁を紹介するという形で韓国農村部の非信者の男性に祝福結婚を呼びかけるということは行われていなかったからである。こうしたことが行われるようになったのは3万双(1992年)以降であり、特に36万双(1995年)のときにはそうした傾向が強くなったと思われる。

 それ以前は、祝福を受けるためには非常に高い信仰の基準が要求されていた。基本的に原理の修練会を受けて真の父母を受け入れていなければならなかったし、信仰生活を始めてからは恋愛や性交渉は一切禁止されていた。「成約断食」と呼ばれる7日間の断食を終了していなければならなかったし、本部教会に会員登録して、責任者が祝福候補者として推薦できるような模範的な信仰生活をしていなければならなかった。伝道活動を熱心に行い、霊の子を3名立てることが祝福を受ける条件とされていたが、これは努力目標のようなもので、実際にはそれほど厳格な条件ではなかった。とはいえ、多くの教会員は祝福を受けるために熱心に伝道したのである。6500双までの祝福は、こうした献身的な信者同士の祝福であったと言える。したがって、韓国人の側にも信仰の基準が要求されたため、そもそも非信者の一般男性に祝福を勧めるという発想自体が存在しなかったのである。

 中西氏は、「仮定の話になるが、韓国の農村に男性の結婚難がなかったとしたら、七〇〇〇人もの日本の女性信者が合同結婚式で韓国人男性の妻となって渡韓することはなかったはずである。」(p.427)と述べているが、私はここで敢えて別の仮定を立てて彼女の主張に反論したい。すなわち、「仮定の話になるが、もし韓国統一教会に7000名の日本の女性信者とマッチングすることが可能なくらいに十分な数の男性信者がいたならば、これらの女性信者は配偶者に恵まれない韓国の農村の男性に嫁いだのではなく、信仰を動機として結婚する韓国の男性信者のところに嫁いでいたであろう」ということだ。

 祝福は、本来は男女とも信仰を動機としてなす結婚であるべきである。しかし、韓国統一教会には日本人女性の相手となる十分な数の男性信者がいなかった。そこで日本人の女性信者の相手を探すために、結婚難に苦しむ田舎の男性に声をかけるということを始めたのである。信仰のない男性に嫁がせることに対する不安や批判は当然あったと思われる。しかし日本の女性信者は優秀で信仰が篤いので、そうした男性をも教育して最終的には教会員にすることを期待して、これらのマッチングが行われたのであろう。しかし、それにも限度があり、個人としては負い切れないような十字架を背負った女性たちを生み出してしまったこともまた事実である。それは特に36万双(1995年)においては顕著であり、単に信仰がないだけでなく、お酒やタバコの問題、定職がなく経済的に困窮している、夫から暴力を受ける、などのさまざまな困難に直面した女性がいたことも聞いている。私はこれは韓国統一教会の失敗であり、祝福の歴史における一つの汚点であると思っている。

 ただし、結婚難に苦しむ韓国の農村の男性に祝福を紹介すること自体が悪だと言っているのではない。こうした男性に祝福を受けさせる場合には、まず結婚不適合者でないかどうかをきちんと調査し、最低限の原理教育を行ってから祝福を受けさせるべきであったにもかかわらず、祝福の数を追うあまりにそれをきちんとしなかったことが問題であったということだ。

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