統一思想から見たマインド・コントロール理論02


前回から3回シリーズで「統一思想から見たマインド・コントロール理論」について試論的にまとめた論文のアップを開始した。今回はその2回目である。

3.西田公昭の研究の本質

ここで本稿のターゲットである西田公昭の研究の本質とは何であるか、ということを端的にまとめてみたい。筆者は彼のいくつかの著作と論文を読んだが、言っていることはほぼ同じで、まとめてみれば非常にシンプルである。まず彼は社会心理学の研究者として、フロム、レヴィン、チャルディーニなどの過去の文献を読んで、その理論を勉強した。この理論をAとする。次に彼は「破壊的カルト」と呼んで批判している団体の元信者から聞き取り調査を行っている。この情報をBとする。そしてAの理論をBに当てはめて解釈し、「マインド・コントロール」に関する理論構築を行った。要するにこれだけである。

西田は著書の中で、社会心理学の多種多様な理論や実験に関する情報を紹介している。例を挙げれば、フェスティンガーの認知不協和理論、チャルディーニの影響力論、バーノンの感覚遮断実験、ジンバルドーの監獄実験、プライミング効果論などである。一方で彼は「カルト」と目される諸団体にまつわる多種多様な事例を引き合いに出し、それらに関して同じく多種多様な社会心理学的テクニックを参照しながら説明するのである。それらを結び付ける根拠は、単に「やり方が似ている」ということである。彼がやっていることは、単に「解釈」によってそれらを結び付けているだけで、実際には何も検証していないのである。

西田公昭の主張のオリジナルな部分としては、「一時的マインド・コントロール」と「永続的マインド・コントロール」の区別がある。(西田公昭『マインド・コントロールとは何か』、p.59-60)一時的マインド・コントロールは、個人のいる場に働く拘束力を利用するとされる。つまり、ある個人の置かれた特定の状況における判断や行動の操作を目的に、外部環境からの情報をコントロールすることによって、その人の行動を支配しようとすることである。その影響力は後々には作用せず、「その場限り」あるいは「その状況下」だけのものである。例えば、外部環境から隔離された「修練会」という特殊な環境においては、人の思考に対する影響力が強くなるということである。

しかしながら、これだけではその特殊な環境を離れたら、もはやコントロールすることはできない。「カルト」と呼ばれる教団の信者たちは、常に「修練会」のような特殊な環境にいるわけではなく、そこを離れて日常生活に戻っても信仰を維持しているという事実がある。そこで場の力によらず、環境が変わってもコントロールが可能でなければ、この現象を説明することができない。そこで「永続的マインド・コントロール」という概念が必要になったのである。それは、意思決定のための「装置」までも変容し操作してしまうので、個人のいる場に関係なく影響を与えることができるとされる。

4.西田公昭の研究の欠陥

それでは、西田公昭の研究の欠陥とは何であろうか。第一に、偏向した情報源による方法論の欠陥をあげることができる。西田の著書『マインド・コントロールとは何か』の冒頭には、「東北学院大学の浅見定雄教授、全国霊感商法対策弁護士連絡会の方々、全国各地で活躍されている脱会カウンセラーの方々、そして元破壊的カルトのメンバーたちには、多くの貴重な資料を提供していただいた」(西田公昭『マインド・コントロールとは何か』、p.10)という記述がある。

要するに、教会を離れた元信者からしかデータをとっておらず、現役信者に対する調査は行っていないのだ。しかも、家庭連合反対派の人脈から紹介された元信者たちなので、彼らは基本的に自然脱会者ではなく、拉致監禁を伴う強制改宗を受け、教会に対する敵意を植え付けられた人々である。こうした人々は、家庭連合およびその伝道方法に対して、きわめて強いネガティブ・バイアスがかかっている可能性が高いので、情報源として公平でない。

さらに、現役信者も元信者も、基本的には勧誘を受けて一度は入信した人々という点では同じカテゴリーに入るが、実はそれ以上に多いのが、勧誘されても結局入信しなかった人々なのである。こうした「説得されなかった人々」も調査しなければ、マインド・コントロールの効果を測定することはできない。渡邊太は、この点について、「入信過程におけるマインド・コントロールの効果を証明するためには、入信した人たちだけでなく、勧誘されても入信しなかった人も含めた被勧誘者全体を調査対象にする必要がある」(渡邊太『洗脳、マインド・コントロールの神話』、p.217-8)と批判している。西田理論のもう一つの問題点は、実験室での結果をそのまま現実の社会過程に適用して しまっているということだ。実験室という特殊な環境で得られた知見が、そのまま現実の社会に当てはまるという保証はない。この点についても渡邊太は、「現実の社会においては無数の媒介変数が存在し、さらに媒介過程が急速に変化する可能性がある・・・現実の社会は極めて複雑であり、実験室の知見を適用した説明がそのまま有効である保証はない」(渡邊太『洗脳、マインド・コントロールの神話』、p.218)と批判している。

もう一つの難点は、「現代の破壊的カルトのマインド・コントロールは心理学や社会心理学の応用技術だ」(西田公昭『マインド・コントロールとは何か』、p.234)と主張している割には、その立証が貧弱であるという点だ。その手法とは「優秀なセールスマンが多用する方法であったり、プロパガンダの常套手段」(西田公昭『マインド・コントロールとは何か』、p.87)であると西田は言うのだが、家庭連合の信者たちがそのような社会心理学を学んで伝道に活かしているという事実はない。そして仮にそうだとしても、それがセールスやプロパガンダの常套手段ならば、日常のどこにでも転がっている合法的な手法であり、それを非難する理由はどこにもないということだ。

それでは西田の主張する「永続的マインド・コントロール」はどのようになされるのであろうか。彼は人の心は、複数の「ビリーフ」によって構成される一つのシステムであるとしている。「ビリーフ」とは通常「信念」を指すが、ここではもっと広い意味で使われていて、「知識」「偏見」「妄想」「ステレオタイプ」「イデオロギー」「信条」「信仰」などはすべてビリーフであるとされる。そして複数のビリーフからなる意思決定の認知システムのことをビリーフ・システムという。(西田公昭『マインド・コントロールとは何か』、p.74-78)

人の意思決定に大きく関わるビリーフに、自己ビリーフ、目標ビリーフ、因果ビリーフ、理想ビリーフ、権威ビリーフなどがあり、人はそれまでの人生を通してこうしたビリーフを形成する。しかし、その人がカルトと出会うと、カルトから「こういう考え方もありますよ」と言われて、カルトのビリーフがその人の心の中に入れ込まれるようになる。

初めはそれまでのビリーフの方が強く機能していて、カルトのビリーフは周辺に小さく存在しているに過ぎない。しかし、カルトによる教化プロセスを通して、カルトのビリーフが次第に大きくなって中心部分に移動していき、逆にそれまでの自分のビリーフは小さくなって周辺に追いやられていく。そして最後はカルトのビリーフが中心的に意思決定を行う装置として機能し始め、もともとのビリーフは活動を停止してしまうようになる。このように、ビリーフ・システムと呼ばれる意思決定の装置を入れ換えることによって、人を永続的にコントロールする技術のことを、西田は「永続的マインド・コントロール」と呼ぶのである。

永続的マインド・コントロール

ビリーフ・システムの変化を説明した西田公昭『マインド・コントロールとは何か』の174ページの図。

しかしこれは、ある人が新宗教に出合い、その教えに共鳴して、教団の中で徐々に自分の
アイデンティティーを確立していく過程を、悪意をもって表現したものに過ぎない。そして、この変化の構造そのものは、ウィリアム・ジェイムズによる回心の描写に非常によく似てい る。ジェイムズは回心の経過を「今までは、当人の意識の外囲にあった宗教的なものが、い まや中心的地位を占め、宗教的目標が当人の精神的なエネルギーの中心として習慣的には たらくようになる」(小口偉一・堀一郎監修『宗教学辞典』1973、東京大学出版会、p.84)と説明している。たとえこれが伝道者の働き掛けによって引き起こさ れたとしても、それはどこの宗教においても日常的に起こっていることであり、あえて「永続的マインド・コントロール」などという仰々しい名前を付ける理由はどこにもないのである。

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