統一思想から見たマインド・コントロール理論01


今回から3回シリーズで「統一思想から見たマインド・コントロール理論」について試論的にまとめた論文をアップする。

1.序論

筆者は今年3月に『間違いだらけの「マインド・コントロール」論』という本を出版した。この本は副題が「紀藤正樹弁護士への反論と正しい理解」となっているように、主たる批判の対象は紀藤弁護士である。紀藤弁護士は『マインド・コントロール』というタイトルの本を出版しており(紀藤正樹『決定版マインド・コントロール』2017、アスコム)、消費者庁の霊感商法に関する検討会の委員として議論に加わり、その後のいわゆる「救済新法」の法制化や家庭連合の解散命令請求に向けた質問権の行使などの政策決定に大きな影響力を及ぼした。したがって、まずは紀藤弁護士の間違いを指摘することが重要であるという認識のもとに、この本のターゲットが定められた。しかし、紀藤弁護士に対する批判は拙著を読んでいただければよいので、本稿では別の人物をターゲットにしたいと思う。それは西田公昭である。初めに彼の経歴を簡単に紹介しよう。

西田公昭の経歴

立正大学心理学部対人・社会心理学科教授(社会心理学博士)
1960年、徳島県生まれ
関西大学大学院社会学研究科博士課程後期課程単位取得
静岡県立大学助手、准教授を経て現職
統一教会に関する訴訟で専門家証言
オウム真理教事件で被告の鑑定人
日本脱カルト協会理事
消費者庁霊感商法検討会の委員

彼も紀藤弁護士と同じく、消費者庁の霊感商法検討会の委員に選ばれており、その会合において「マインド・コントロール」について発表を行っている。彼は全国霊感商法対策弁護士連絡会とも密接に連携して活動をしているが、彼の役割はマインド・コントロール理論の学問的構築にあると思われる。その意味では、学問的に彼を批判しておくことは重要である。

西田公昭について特筆すべきことは、昨年の一連の騒動を受けて、全国の消費生活センターの相談員に、霊感商法におけるマインド・コントロールの概念を教える研修が行われ、そこで西田公昭の監修した動画が教材として使われたということである。いまや消費者庁で「マインド・コントロール」という概念が教えられ、その学問的権威付けとして西田公昭の研究が用いられる時代になったのである。(2023年4月11日付「産経新聞」)

西田公昭については、私の過去の著作で批判済みである。1999 年に出版した『統一教会の検証』(光言社)の第2章において、15ページにわたって彼の主張するマインド・コントロール理論について批判をしている。そのときに基礎資料として用いたのが彼の二つの著作である『マインド・コントロールとは何か』(1995、紀伊國屋書店)と『信じる心の科学』(1998、サイエンス社)であった。これらは既に25年以上前の本なので、最近の著作も読んでおかなければと思って、2019 年に出版された『なぜ、人は操られ支配されるのか』(さくら舎)を読んでみた。印象としては、初期の著作の方がまだ学問的な感じで、最近の本はより一般大衆向けになっており、西田自身がだんだんと学者からアジテーターに変化しているようだ。

2.「洗脳」から「マインド・コントロール」へ

初めに、「洗脳」と「マインド・コントロール」の違いについて簡単に説明したい。人の心を操作する技術という意味で最初に使われた言葉は「洗脳」で、英語では Brainwashingと言う。この言葉はアメリカで生まれた。朝鮮戦争の捕虜収容所で行われた思想改造についての CIA の報告書がきっかけとなり、ジャーナリストのエドワード・ハンターが、中国共産党の洗脳テクニックについて著書で紹介して以来、一般によく知られるようになった。その後、精神科医のR・J・リフトンが、中国共産党の収容所から帰還した米軍兵士への詳細な聞き取り調査に基づいてまとめた大著が『思想改造の心理』(1961)という本で、これは洗脳理論の古典として知られる著作である。このように「洗脳」はもともと、共産主義者が米軍の兵士に対して試みた思想改造を意味していた。

リフトンは著書の中で、「洗脳」を構成する8つの要素をまとめた。それが、①環境コントロール、②密かな操作、③純粋性の要求、④告白の儀式、⑤「聖なる科学」、⑥特殊用語の詰め込み、⑦教義の優先、⑧存在権の配分である。リフトンの著作により、これらのテクニックを用いれば、いとも簡単に人の心を操れるという神話が生まれ、敵に対する非難や冗談に多用されるようになった。

しかし、これらの手法を使えば、人の心を自由に操ることができ、その人の思想を永続的に変えることができたのかと言えば、実はそうではなかった。洗脳の効果について、リフトンは「彼らを説得して、共産主義の世界観へ彼らを変えさせるという観点からすると、そのプログラムはたしかに失敗だと判断されなければならない」(Lifton 1979, p.253)と述べている。すなわち、中国共産党の拘束下にあったアメリカ人は、一時的あるいは表面上の服従を示していただけで、心の底から共産主義者になったわけではなかった。収容所から解放されてアメリカに戻れば、彼らは元の人格を取り戻したのである。

実はそれくらい、精神操作に抵抗する自我の力は大きいということが分かったのである。まずここに大きな問題がある。洗脳やマインド・コントロール理論を唱える論者のほとんど は、マインド・コントロール理論の先駆的業績としてリフトンの研究を参照しているのだが、洗脳の有効性を否定するリフトンの結論については触れずにすませているのである。(渡邊太『洗脳、マインド・コントロールの神話』、p.210)

それでは「洗脳」と「マインド・コントロール」の違いとは何だろうか。洗脳とは物理的監禁や、拷問、薬物や電気ショックなどを含めた強制的な方法で、人の信念体系を変えさせる手法を指す。しかし、どの研究報告も、洗脳は「一時的な、行動上の服従しかもたらさなかった」と結論している。

一方でマインド・コントロールとは、身体的な拘束や拷問、薬物などを用いなくても、日常的な説得技術の積み重ねにより、しかも本人に自分がコントロールされていることを気付かせることなく、強力な影響力を発揮して個人の信念を変革させてしまう、「洗脳」よりもはるかに洗練された手法を指すと解説されている。(西田公昭『マインド・コントロールとは何か』、p.51-52)問題は、洗脳のように強制的な手段を用いても人の信念体系を変えさせるのは困難だとされているのに、日常的なコミュニケーションの積み重ねだけではたして精神操作が可能なのかということだ。

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