アイリーン・バーカー『ムーニーの成り立ち』日本語訳38


第5章 選択か洗脳か?(1)

1980年から81年にかけて、統一教会(より正確には、イギリスの当時の教会長デニス・オーム)はデイリー・メール紙(より正確には、アソーシエイテッド・ニュースペーパーズ・グループ社)を相手取って名誉毀損訴訟を起こし、これと闘っていた。1978年5月29日、大衆タブロイド紙であるデイリー・メール紙が、統一教会は洗脳を行い家庭を破壊していると非難する記事を掲載したからだ。その記事の中には、「彼らは私の息子を奪い、息子の心をレイプした」と題するストーリーが含まれていた。以下は、その記事からの抜粋である。

ダフネが私たちに語ったところによると、デビッドは高度なマインドコントロールのテクニックを受けていた。そのテクニックは、カミカゼを訓練した人々によって開発されたもので、朝鮮戦争のときと、第二次世界大戦中に中国共産党によって効果的に利用されたものだ。

それに含まれるのは、愛の爆弾(集団間での継続的な愛情と接触)、眠らせない、蛋白質を与えない、砂糖を大量に飲ませる(血糖値を上げて頭を混乱させる)、講義の繰り返し、よく知られた音楽の「替え歌」、その他の一見無害だが陰険な手段である。

デビッドは脅されて、文が再臨のキリストだと信じさせられた。

私たちがキャンプで出会ったムーニーたちはロボットであり、どんよりした目をして、思慮がなく、巨大なファンドレージング部隊の兵士としてプログラムされており、豪華な生活をしながら信徒には極貧を強いる文のいいかげんな妄言の信奉者としての目標と理想以外には、何も持っていなかった。

・・・私たちは、あれが息子ではなくて、・・・息子の心に植え付けられた悪の勢力だと理解することによって慰めを見いだした。

デビッドの心はレイプされたと私たちは確信している。・・・マインドコントロールが可能であると信じる人はほとんどいない。

それは起こり得る。ほとんどの人に、それは起こり得るのだ。デビッドは激しく、知的で、強い性格だ。恐らく彼はその気になり、疲れすぎて、流れに身を任せてしまったのだ。

ワシントンの尊敬されているジャーナリストであるデビッドは昨日、ムーニーたちは共産主義と同様に世界にとって脅威であると警告した。・・・「彼らは催眠術やその他のマインドコントロールの手法を利用している。彼らは理想主義を通じて人を騙しており、彼らの信じさせる力は莫大である。」(注1)

名誉毀損訴訟の裁判調書には、次のような対話が記録されている:

ローリンソン卿、勅撰弁護士:・・・できればここで、基本的な要因を論じていただきたい。自分の学業や職業、自分の信仰、あるいは自分の家庭を捨てさせ、街頭を歩き回って、・・・枯れた花や枯れかけの花などの販売に没頭させるものは何か? それは何なのですか? 何がそうさせるのですか?

マーガレット・シンガー博士:そうですね、それは組織に入ってきた人々に対して巧みに形成された社会的・心理的な操作であり、彼らは自分が操作されていることにすら気付きません。だからこそ、文の組織が勧誘のプロセスにおいて行っていることは、洗脳の定義に当てはまるのです。・・・

洗脳とは、行動上の変化をもたらす技術を指す言葉で、一定の条件下で何らかの新しい情報や行動の学習を誘発するために適用されます。(注2)

陪審が下した評決は、この記事は名誉毀損に当たらないというものであった。その評決は控訴院の三人の裁判官によって支持された。

こうした洗脳の非難は何を意味するのであろうか? 専門家がムーニーたちは新入会員を洗脳していると証言するとき、それはどういう意味なのか? 両親たちが、自分の子供はゾンビであり、機械人形であり、「心に植え付けられた・・・悪の勢力」を持った、あるいは「頭の中でまわるテープ」(注3)を持ったロボットであると宣言するとき、親たちは何を主張しているのだろうか? 明らかに、このような言葉を使う人々がほのめかしているのは、ムーニーたちの正直なやり方の招待を新入会員が受け入れることを決断した、というようなことではない。ここで使われている洗脳という言葉は、「われわれは皆テレビのコマーシャルによって洗脳されている」といったような一般的な意味で使われているのではない。そればかりか、新入会員は入教を「決断した」のではなく、入教「しなければならなかった」ということがここで主張されているのは明らかであると思われる。彼は自分の意思に反して説得されたか、あるいは彼の意思(彼の「自由意思」)は、彼に施された操作のテクニックによって取り除かれたか、迂回されたというのである。もし彼の脳(あるいは彼の心)が正常に機能していたならば、運動に加わることを選択しなかったにちがいないが、彼には選択の余地がなかった、という主張なのである。

しかしムーニーたちは、自分たちは完全に自由な選択をしたし、自分の心を完全にコントロールしていた(そしていまもしている)し、自分が何をしているのかを知っていた(そしていまも知っている)し、入会を自分で選択した(そしていまも選択している)のだと主張する。さらに、「自由だと信じるように洗脳されているからこそ、自由だと信じているのだ」と言われると、彼らは極端に苛立つ。彼らは問う。「そのような非難に直面して、どうして合理的な議論ができるだろうか? われわれが何を言っても、それはわれわれが洗脳されていることをさらに証明しているとしか受けとめられない。信仰を否定すること以外に、どんなことをやってもわれわれが自分の意思を持った自由な人間であるということを、非難者たちに納得させることはできない」。確かに、(ルターがかつて「我こうするより他なし」と言ったのと同じ意味で)他に選択肢がなかったのだ(注4)と言うムーニーもいるだろう。すなわち彼らは、神が自分を運動へ導いたのだから入会しなければならなかったとか、メシアに従うことが自分の義務だった、ということを信じているのである。しかし彼らの説明によれば、これは「宗教的」あるいは「道徳的」な必然だったのである。彼らは、かつてルターが自らの宗教的体験および自分自身が義であり正しいと信じるもののために戦う良心によって強いられていたという意味以上に、何かに操作されているとか強制されているということではないと言うのである。

どちらの言い分を受け入れるべきだろうか? どちらのグループが正しいと決めることは可能だろうか? 一方で、自分の自由意思で行動していると信じている人々を、そうではないと納得させるのは容易ではない。ムーニーたちは、自分たちは洗脳されていないと宣言する以外には何もできない。少なくとも彼らが運動のメンバーである間は、彼らは必ずそう言うであろう。離教した人のなかには、自分は洗脳されていたのだが、離れて初めてそのことが分かったという者もいる。他方、ムーニーは強制されているのだと主張する人々は、自分たちの立場を正当化するために、さまざまな行為が行われていると主張するだろう。例えば、誘拐、奇妙な食事、睡眠不足、催眠術、恍惚状態を誘発する講義、感覚の剥奪、感覚の刺激、詠唱、奇妙な儀式、「愛の爆弾」および欺罔などである。また、運動に入会した人々はしばしば「深刻な、やや致命的な人格障害」を持っているか、「感情的に弱い」か、「人格の発展段階において非常に敏感な時期」にある、といったことも主張されてきた(注5)。

(注1)「デイリーメール」1978年5月29日付
(注2)1981年3月9日、王立裁判所、女王座部高等法院において「オーム対アソーシエイテッド・ニュースペーパーズ・グループ社」の裁判で、コミューン判事の前でなされた証言の裁判調書、p.15
(注3)ピーター・コリヤー「ムーニーを家に連れ戻す:脳の強奪」『ニュータイムズ』1977年7月10日
(注4)「我こうするより他なし」:マルチン・ルター、1521年、ヴォルムス国会で。
(注5)このような主張は反カルトの文献と、元会員や福音派のクリスチャンによる書物の大部分に見いだすことができる。だが最も良く引用される専門的な評価については、次の論文を参照せよ。ジョン・G・クラーク・Jr「破壊的カルト:定義と責任の追及」1977年2月7日ミネアポリスの州兵予備役チャプレンへの演説;「騒がしい体の騒がしい脳」1977年11月5日ニュージャージー心理学会でのスピーチを要約した謄写版印刷物。フリー・マインヅ社(ミネアポリス私書箱4216)が配布;「カルト・メンバーの照会の問題」『全米私立精神病院協会ジャーナル』1978年、第9巻、第4号;「狂気の操作」1978年2月24日に西ドイツのハノーバーで提出された論文;「われわれはみな根本的にはカルト信者である」『ニューズデー』1978年11月30日付;「回心者の健康と福祉に対する宗教的カルトの影響を調査する」1981年、FAIR AGMで回覧された論文;「回心者の健康と福祉に対する宗教的カルトの影響を調査するバーモント州特別調査委員会での証言」、FAIRで回覧された論文、ロンドン、発行日付無し。また、M・F・ガルパーの次の論文を参照せよ。「統一教会の教化方法」1977年3月13日、ロサンゼルス、カリフォルニア州心理学会の年次総会に提出された;「急進的な宗教的カルトと今日の青年」1981年11月20~22日、西ドイツのボンで開かれた「新しい全体主義的宗教および疑似宗教運動の肉体的・精神的健康に対する影響についての国際会議」に提出された。またM.T.シンガーによる次の論文も参照せよ。「元カルト・メンバーによる治療」『全米私立精神病院協会ジャーナル』1978年、第9巻、第4号;「カルトからの離脱」『今日の心理学』1979年1月号;「われわれはどこにいた・・・われわれはどこにいる・・・われわれはどこへ行く」1982年10月22~24日、バージニア州アーリントンで開催された市民自由財団の年次総会に提出。引用はクラークとガルバーより。

 

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