アイリーン・バーカー『ムーニーの成り立ち』日本語訳30


第3章  統一教会の信条(7)

縦的差異

統一教会の信条と実践に対する理解の横的差異が運動内においてほぼ対等な立場にあるのに対して、縦的差異は、教会の信条や儀式が明らかにされる度合いによって異なっている。全般的に言って、(社会的に)文師に近い者ほど、統一教会のより高い(あるいは深い)教義や儀式を分かち合うことができる。統一教会センターを一度も訪ねたことのない人々のほぼ完全に無知な状態から、文鮮明についてほぼ完全に知っている状態に至るまでの、霊的な知識の階層が社会構造化しているのを識別することができる。

運動に(肯定的であれ否定的であれ)関心を示す西洋の非信者たちは、まず最初に、運動の信条はキリスト教に基づいているが、伝統的なキリスト教が答えることのできなかった疑問のいくつかに解答を与えているということ、そして、メンバーたちはより良い世界を築くために活発に働いているという以上のことは、告げられないようだ。キリスト教世界のみならず、すべての宗教とすべての民族を一つにする信仰と実践についての話もある。もし文自身について言及するとすれば、それは運動の創設者あるいは霊的指導者としてであろう。メンバーたちが彼をメシヤだと信じているという事実は、普通は部外者には公表されない。

もし関心が持続すれば、その非信者は、運動が解決策を持っている特定の問題のいくつかについて学ぶことができる。例えば、もしイエスが実際に世界を救うことができたのであれば、なぜいまなお世界に苦しみがあるのか? さらに、悪の根源は何なのか? 単にりんごを食べたことであるはずがないではないか? 我々は現状に対して何をすることができるか? ムーニーたちは、厳格な道徳規準に従って生活している。なぜこれがそんなに重要なのか?

非信者が進むことのできる次の段階は、「統一原理」を紹介されることである。これは一時間の講義でなされることもあるが、入会する可能性のある人々は2日修練会に参加して、この章に要約されている範囲をカバーする5、6回の講義を最後まで聴くまで、本当に「原理を聴いた」とはみなされない。大部分の西洋のセンターにおいて、メシヤが地上にいるという「結論」はたいてい2日修練会の最後に告げられ、そのときまでにゲストは、メシヤが誰であるかを自分自身で判断するよう意図されているのだということを悟るのに十分な情報を与えられている。この段階で文師についてどのくらいの情報がゲストに与えられているかは、大きく異なる。オークランドの修練会では、ゲストは彼の名前が語られるのを聞いたことがないようだ。しかしながらヨーロッパの多くのセンターで、ゲストが最初に尋ねることが奨励されているのは、玄関ホールや居間に非常に目立つように陳列されている写真に映っている東洋の紳士が誰かということである。他のセンターでは、その写真の陳列はさほど仰々しいものではない。訪問者は、小さな祭壇のようなテーブルの上に文とその夫人の写真が生け花やろうそくと並んで置いてある「祈祷室」を見せられることはないようだ(第5章参照)。

第6章に書かれているような2日修練会の終わりに、誰かが運動のメンバーになるということは十分起こり得ることだが、最近はそういうことはあまりなさそうだ。専属メンバーになる人々は、最近は『原理講論』をより深く学ぶ7日修練会か21日修練会に参加するようだ。運動の信条を受け入れながらも「外」の職業を維持し、統一教会センターで生活しない賛助会員やホーム・チャーチ会員たちは、参加した修練会の長さによってA、B、Cにランク分けされるときがある(Aメンバーはたいてい21日修練会に参加している――序文と第9章参照)。

バンケットでゲストに講演する文。彼の背後にあるのは統一教会のマークである。中央の円は神の心情を表し、それから出る12本の放射線は新しいエルサレムに入る12の門(黙示録)を表す。4本の主要な放射線はまた、四位基台と四大文化圏(東洋、ユダヤ、イスラム、キリスト教)の統一を表す。半分に分かれた円を描く二つの矢は、授受作用(宇宙の根本原理)を象徴する。統一教会マークの上には韓国の国旗がある。(3章91ページ)

バンケットでゲストに講演する文。彼の背後にあるのは統一教会のマークである。中央の円は神の心情を表し、それから出る12本の放射線は新しいエルサレムに入る12の門(黙示録)を表す。4本の主要な放射線はまた、四位基台と四大文化圏(東洋、ユダヤ、イスラム、キリスト教)の統一を表す。半分に分かれた円を描く二つの矢は、授受作用(宇宙の根本原理)を象徴する。統一教会マークの上には韓国の国旗がある。(3章91ページ)

21日修練会に進みたくてもそうすることのできない人々がなぜいるのかについて公式の理由は存在しないが、もっと詳しい教えを受けるに相応しくないとか、「時期尚早である」とみなされて進むのを止められたり、思いとどまらされたりする個人もいる。21日修練会の内容は、正式な『原理講論』に見られないことが開示されるわけではない。スタディ・ガイドは使われるかもしれないが、「内部文献」はたいてい手に入らない。長期間のメンバー(その何人かは、そのような修練会に参加する機会をかつてもたなかった者)が参加する21日修練会の間に、私は、一人のメンバーが放置しておいた本をあるゲストが手に取って読み始めたとき、まだそれを読むことはできないと告げられたのを目撃した。そのゲストは『原理講論』をかなり徹底的に学び、あと数日間で入会する準備ができているというあらゆる兆候を見せていた。そして、その本には『原理講論』に親しみのない人々が読んでもよいことを暗示する編集者の注意書きがあった(注30)。しかしそれには、文がメンバーへ向けて語った説教が載っており、これらはたいてい非信者には手に入らないものである。だが、そのような情報がコントロールされている範囲は、極めてばらつきが大きい。別のメンバーは、部外者がさらなる啓示を聴く「準備ができる」ほどに十分な基礎知識を与えられているとみなしさえすれば、関心のあるその部外者にその本をかなり簡単に与えてしまうこともあり得るのだ。

縦的差異は、大部分のムーニーたちよりも統一教会の正式な教義についてはるかに多く知っている非信者の小さなグループが存在するという事実によって、一層複雑になっている。そのグループは、講義に参加し、その他の「公的」な文書に接することができ、神学的に最も情報を与えられている何人かのメンバーたち(神学生や韓国・日本出身の初期メンバーの何人かを含む)と、統一教会の信条について討論をした学者たち(全員ではないが大部分が神学者たち)(注31)から成っている。これらの討論や、こうした学者たちによって書かれた批判的論文がもたらした興味深い結果(注32)は、メンバー自身の信条についての理解だけでなく、神学そのものの説明の仕方にも影響を与えるような弁証法的な「フィードバック」があったことだ――というのは、基本的な教えが過去20年以上も変わらない一方で、信条の「舞台装置」はまだ、彼らが多種多様なやり方に変換(文字どおりにも、象徴的にも)することができるほど十分に流動的な状況にあるのだ。ある若い教会歴史家の注目を待っている、現代神学の進化に関する興味深い論文がある。

しかし、統一神学校で教える人々や、彼ら自身が統一教会員である人々を除いては、ほとんどの学者は、開示された知識の次の段階を構成する、補足の統一教会の信条や儀式には接することができない――特に彼らは、私が「文論(Moonology)」(訳注:Christologyがイエス・キリストとは誰であるかに関する神学的議論であることから類推すると、Moonologyは、文鮮明とは誰であるかについての統一教会の神学に関する部分であると思われる)と考えるところの神学の部分について多くを学んでいるようには見えない。しかしながら、本書はムーニーになる過程に関するものなので、統一教会の信仰体系にはさらなる部分があり、これは、ゲストが公に入手可能な『原理講論』ならびに統一教会に対して明確な誓いを立てるまで、普通は彼の手には入らないだろうということを認識すれば十分である。

(注30)文『新しい希望』ixページ。
(注31)例えば、金永雲『統一神学とキリスト教思想』。金永雲『統一神学』ニューヨーク、世界基督教統一神霊協会、1980年。李相軒『統一思想』ニューヨーク、統一思想研究院、1973年。フリーダム・リーダーシップ財団『共産主義:批判と代案』ワシントンDC、FLF、1973年。
(注32)例えば、M・D・ブライアント&H・リチャードソン(編)『思慮の時:統一教会についての学問的評価』ニューヨーク、エドウィン・メレン・プレス、1978年。M・D・ブライアント&S・ホッジス(編)『統一神学の探究』第二版、ニューヨーク、ローズ・オブ・シャロン・プレス、1978年。ブライアント『統一神学に関するヴァージン・アイランド・セミナーの議事録』。M・D・ブライアント&D・フォスター(編)『解釈学と統一神学』ニューヨーク、ローズ・オブ・シャロン・プレス、1980年。F・K・フリン(編)『解釈学地平:未来の形』ニューヨーク、ローズ・オブ・シャロン・プレス、1982年。R・ケベドー&R・サワツキィ(編)『福音主義者と統一教会の対話』ニューヨーク、ローズ・オブ・シャロン・プレス、1979年。リチャードソン『統一教会に対する十人の神学者の返答』。F・ソンターク&M・D・ブライアント(編)『神:現代的議論』ニューヨーク、ローズ・オブ・シャロン・プレス、1982年。C・ツパニスル(編)『正教会と統一教会の対話』ニューヨーク、ローズ・オブ・シャロン・プレス、1981年。

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