アイリーン・バーカー『ムーニーの成り立ち』日本語訳33


第4章  ムーニーと出会う(3)

ほとんどのセンターには、そこを訪問する者に自分は統一教会の建物に入っているのだという事実を知らせる数々の手がかりがある。到着すると、靴を脱ぐように言われることもある――しかし、これは決して普遍的な習慣ではないし、東洋で発祥した他の宗教団体の会員のもとを訪れても同様のことは起こるだろう。ゲストはホールで文の大きな写真に出くわすかもしれないし、あるいは居間で東洋人夫婦の小さな写真を見るかもしれない。『原理講論』やその他の統一教会の出版物が置かれていたり、統一教会が主催する大会を宣伝したり、統一教会の主張を表現したポスターが1、2枚あるかもしれない。私が訪問したイギリスおよびその他のヨーロッパのほとんどすべてのセンターにおいて、運動の正体を示すなんらかの証拠を「公的な」部屋で発見することができた。もっとも、その手がかりを認識するためには、その人が統一教会について何かを知っていなければならないこともあるけれども。台所でマグカップを探したりして、「聖塩」と記された小鉢を発見するころには、こうしたものを置いているのはいったいどんな人々なんだろうと考えはじめるだろう(注11)。

大西洋を渡って北アメリカのセンターを私が訪問したときも、大部分のところでそうした手がかりははっきりとつかむことができた――ただし、それはカリフォルニアに着くまでだった。キャンプKでは、「スタッフ」用の部屋の半開きのドアからのぞき見をして初めて文の写真を見ることができた。しかし、たとえもし私が自分を招いた人が誰であるかをあらかじめ知らなかったとしても、1977年のその特定の週末には何の疑いも抱かなかったであろう。私がサンフランシスコのワシントン・ストリート・センターに近付いて行ったときに、一人の青年が私に「あなたを夕食に招待したのは誰だと思いますか?」という見出しの下に文の写真を掲載したパンフレットを手渡してくれた。そのパンフレットは統一教会をとりわけ秘密主義で詐欺的な運動であるとし、ゲストに対して、「ダン」に電話をかけるか、あるいはシビック・センター図書館で文のファイルを見て調べるように勧めていた。(このパンフレットを見て驚いて帰っていくゲストもいるかもしれないが、多くの人が「調べる」ことに成功したとすれば、それは驚くべきことだ。私はダンに2回電話したが、2回ともダンは不在だと言われた。後で聞いたところによると、そのパンフレットをまいたグループ(名称は「イクリプス」で日食・月食の意)には10人の「主要な」メンバーがおり、彼らは統一教会についての情報を収集し、サンフランシスコとバークレーの運動の建物の前でピケを張ったりしていたという。彼らが活動を始めてから約3年になるという。私がその図書館に問い合わせをしたところ、私は事実上、自分がムーニーでないことを彼らに納得させるための宣誓供述書を作成しなければならなかった。私がイギリスの大学教員であるという証明書を提出して初めて、私はカウンターの後ろに行ってそのファイルを見ることを許可された――結果としては、そのファイルの情報は非常に有益だったが。)

センター

統一教会のセンターは田舎の壮麗な邸宅といったものから、煙の立ち込める工業都市の狭苦しいちっぽけな集合住宅といったものまでさまざまある。また都市の高級住宅地の広々とした5階建てのアパートであったり、郊外のさえない風采の二軒長屋だったりする。家具は少なめだが、立派に装飾され、座り心地の良い椅子が備えられ、ゲストを迎えることのできる部屋が通常少なくとも一つはある。

センターに着くと、ゲストは必ずと言っていいほど紅茶かコーヒーを差し出される。全体的な雰囲気は友好的なにぎわいといったもので、継続的ではあるがどこかまとまりのない活動が行なわれている。ムーニーたちはゲストにその人自身のことや、どんな道をたどってきたのかなどを聞き、ゲストの冗談に笑い、彼の服装についてほめ、それをどこで買ったのかと尋ねたりする。リバプールでは――滅多にないことだが――私の鼻が美しいとほめられたことがあった。サンフランシスコでは、「今夜の美女」としてバラをプレゼントされた。私がセンターに到着したときに花瓶にどれくらいのバラが生けられていたか気付かなかったのをくやしく思ったが、帰るときにはだいぶ本数が減っていたことに気がついた。あまりにも好意的な注目を受けるので、ゲストは猜疑的になったり、少なくとも圧倒されたように感じるかもしれない。しかし彼はまた、この人たちは極めて愛想の良い人々みたいだと感じるだろうし、彼らをしてこんな友好的な雰囲気を作らしめているものは一体何なのだろうか、と不思議に思ったりするだろう。

しばらくすると、会話はもっと深刻な問題に移っていく。恐らくゲストは、最初に出会った人かリーダーの一人と二人っきりになるだろう。あるいは皆で一緒に食事をしながら一般的な議論をかわすことになるかもしれない。大部分のセンターでは、彼は自分の神に対する信仰について問われ、霊的な事柄を重要だと思っているかどうか聞かれるだろう。カリフォルニアではあからさまに宗教的な問題が話題になることはあまりないが、次のような話題に集中するであろう(これはどこのセンターでも挙げられる話題だが)。例えば、世界が数多くの難問に直面しているとは思わないか? 世界にはどうしてこんなにも多くの不幸が存在すると思うか? 人間関係を難しくしている主要な原因は何か? われわれは誰に頼り、誰を信頼することができるのか? はたして、チャンスはあるのか? 現代は歴史的に見て明らかに非常に危険な時代だが、それはまた同時に大きな変化と機会の時代かもしれない――もしわれわれがそれに対して何をすべきかを全て知っていさえすれば。

こうして議論はゲストの意識の中に、心の奥底でしばらく彼を悩ませてきた事柄を思い起こさせる。恐らく、彼はこうした問題を友人たちに話そうとしてみたことがあるが、彼らは恐らく興味を示さずに笑い飛ばしたり、映画、ガールフレンド、ボーイフレンド、あるいは取るに足らない話題に戻って行ったのではなかったか、と示唆されるかもしれない。ついに人生の重要な問題に関心を持っている人々に出会った、とゲストは思うかも知れない。そして、この人々は自分にも共有することができるかもしれない特別なメッセージを持っているんだと示唆しているのではないか、と次第に思えてくる。しかし、最初は漠然として興味を抱いていたが、やがては深刻な熱心さにうんざりしてくるゲストもいる。さらに、自分は錯乱した狂人たちの群れにはまってしまったのではないかと思い、言い訳をしてさっさと逃げ出すゲストもいるだろう。

運動が初めて西洋に入ってきたとき、ゲストは『原理講論』の内容を地元のセンターで聞かされた。講義に誘われたゲストは、満員のホールを期待しながら着いてみれば、一人か二人しかいない小さな家で、他に聴衆はいないことに気付いて戸惑った、といったことも珍しくもなかった。修練会会場から遠く離れている一部のヨーロッパのセンターでは、いまでも全ての講義が地元のセンターで行われている。数は少ないが、(通常は遠隔地や田舎に住んでいる)新会員候補者の中には、正式な講義を受けることなく、自宅で『原理講論』を学びながら、時折センターを訪れるだけで、この教えを受け入れてムーニーになる(あるいはならない)ことを決める者もいる。しかし最近は大部分の地方のセンターがその役割を、広範な地域から集まってきた新会員候補者に対して統一教会の信条を正式に紹介することに特化したセンターで開かれる修練会に、ゲストが参加できるよう準備することに限定している。

ベイエリアでは、ゲストは夕食後に講義を聴き、ブーンビルやメンドシノ郡の農場のスライドをいくつか見る。そして彼は寝袋とナップサックを持って、セミナーのプログラムの一環としてその農場かキャンプKで1日か2日過ごすよう強く勧められるだろう。わずかな参加費(安宿の宿泊費程度、私は20ドルを求められた)が請求されるが、参加費を貸してくれたり、安くしてくれたり、あるいはゲストが行くだけの経済的余裕がないと主張すれば免除されることさえあるだろう。

(注11)「聖塩」は建物や食料を清めるために使用される。それは特別な儀式によって造られている。阿部の「教会指導者のマニュアル」p.203および「季刊祝福」第4巻、1号、1981年の58~63ページを参照。もちろん、塩は他の宗教伝統の中でも清めのために使われている。

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