アイリーン・バーカー『ムーニーの成り立ち』日本語訳27


第3章  統一教会の信条(4)

『原理講論』によれば、注意深く歴史を研究することによって、キリスト以前の時代と現代までの2000年の間に、見事な同時性があることが明らかになる(176~84ページ)。これと近代歴史の出来事(185~97ページ)は、現在が再臨の時だということを示唆していると解釈される。神が最初にアダム家庭でカインとアベルという人物によって象徴し、続いて氏族、民族の次元で見られた善悪の分立は、いまや民主主義と共産主義という二つの世界の国際的闘争として描写されている。統一教会の観点から見れば、第三次世界大戦は不可避的である(197ページ)。実際に、メンバーたちは今日の二つの世界観の対立は第三次世界大戦であると信じている。神は、この闘いをできる限り最小限の外的犠牲をもって、サタンを屈服させる内的・イデオロギー的闘争として闘いたいと思っている。ムーニーたちは、それをイデオロギー闘争に抑えつつ、闘争に勝つために、自分たちにできる限りあらゆることをしていると信じている。しかし、結果はまだ決定しておらず、もしイデオロギー闘争が失敗すれば、サタン側(共産主義)は、天の側(民主主義)を攻撃し、天の側は力によってサタン側を打倒しなければならなくなるだろう(197ページ)。しかしどのような闘いが行われようとも、人類を理想世界へ導くことのできる根本的な理念がなければならない、と『原理講論』は教えている。

「外的な武器による戦いでサタン世界を屈伏させたとしても、彼らを高次元の理念によって屈伏させて、全ての人々が自由に喜んで従うようにしなければ、理想世界を成就させることはできない。
・・・この理念は氏族、民族の壁を崩し、人種・文化間の深刻な問題を解決することのできる真の愛の理念でなければならない。・・・(それは、)特に若者たちに心霊の感動と人格の変化を起こすようにして、肯定的な人生観をもつようにする理念でなければならない。さらに、この理念は他の理念、特にあらゆるカイン型人生観の頂点である共産主義イデオロギー、マルクス・レーニン主義の虚偽性を完全に暴露しなければならない。(198ページ)」

『原理講論』の最後の章(「再臨論」という見出しになっている)は、統一教会内で通常「結論」と呼ばれている。それは、いかにして、いつ、どこにメシヤが再臨するかを問うている。「いかにして」の結論は、メシヤは「雲に乗ってくる」のではなく、「彼は理想人間の模範でなければならないので、実体的な肉体をもった存在として地上に生まれなければならない」というものである(203ページ)。「いつ」の結論は、旧約聖書の歴史とキリスト教史の同時性の図に拠っている。メシヤ誕生の正確な年を指摘することはできないということを認めつつも、計算によって、1917年と1930年の間に生まれるはずだという(207ページ)。「どこに」の結論は、メシヤ誕生の地は黙示録7章2~4節に書かれているように、東洋でなければならないというものである(208ページ)。メシヤは神の悲しい心情を解放しなければならないので、それは神が経験した絶望と苦悩を体験した国でなければならない(209ページ)。メシヤはクリスチャンだけを救うために来るのではないので、それは多くの宗教が栄えてきた国であるべきだ(209ページ)。それは神の愛とサタンの憎しみの焦点となる国でなければならない。すなわち、民主主義と共産主義の二大勢力が互いに対峙するところである(211ページ)。それは、サタン側の国家の手による苦しみに耐えることによって、国家的蕩減を払った国でなければならない(211ページ)。そしてそれは、神が預言をもってメシヤを受け入れるための準備した国でなければならない(211ページ)。

原理講論に掲載されている歴史の同時性の図

原理講論に掲載されている歴史の同時性の図

我々は、韓国こそが、その民族が他の国を挑発したことも最初に侵略したこともなく、五千年近くにわたって侵略を受けながらも、なおも自らの言語と伝統を維持してきた東洋の国である、と告げられる。それは仏教、儒教、キリスト教、その他多くの信仰体系が栄えた国である。38度線は、共産主義の北朝鮮と韓国を分断している。1905年から1945年まで、「日本が韓民族の自由を完全に剥奪し、投獄、殺傷などあらゆる虐政を尽くした」(211ページ)。そして「五百年にわたって韓民族は、預言書『鄭鑑録』の影響によって、メシヤに対する強い希望を抱いてきた」(211~12ページ)。このように『原理講論』の結論、すなわち世界中で数千人の人々を興奮させ、畏怖させてきた結論は、メシヤが1917年から1930年の間のある時に、韓国に生まれたというものなのである。

公式に出版された『原理講論』は、メシヤが誰であるか告げていない。『レベル4』は単なる戒めで終わっている。「謙遜に本心の声に耳を傾け、メシヤの知らせを探し求めよう。心を落ち着かせ、新しい時代を知らせる希望に対して注意を払おう」(214ページ)。しかしながら、疑いなく圧倒的大多数のムーニーの心の中では、文鮮明がメシヤなのである。「良いリーダーになる方法:人々を入会させ、入居させるための説得」という見出しの、120日修練会の最後に受ける講義において、運動の主要講師の一人は、その受講者たちに対して、「人々は、お父様(文)がメシヤだということを理解できるまで入居することはできない」と指導している。(注19)

実際には、文がメシヤかどうか確信がないまま統一教会のセンターに入居する入会者が若干いる(文が運動の指導者だということさえも知らずに入居する者も少数いる)。しかし、アンケートにおいて私がおよそ四百人のムーニーに対して、文師がメシヤだということを初めに受け入れたのはどの時点だったかを尋ねた際、半数近くが(メシヤが今地上にいるという)「結論」を聞いてすぐに、それを信じたと言った。加えてさらに三分の一が、運動に入会するまでに信じたと言った。(訳注:要するに全体の6分の5〈83%〉が入会するまでに文師がメシヤであることを受け入れているという意味である)今なお確信が持てないと言ったのは、1パーセント以下(三人)であった。(明らかに意図的に入れられた)その質問に答えなかった少数のムーニー(4パーセント)がいたが、文がメシヤでないと信じていると言った者は一人もいなかった。

『原理講論』に加えて、メンバー間にのみ配布するよう意図されている、さらなる教えの主要部分がある。これは大部分が文のスピーチを書き起こしたものから成っており(注20)、この中で、文が自分自身について再臨のメシヤの役割をもっていると語っていることは極めて明らかである。

「私はその使命のために生まれたのです。『原理講論』はまだ私の個人路程について明らかにしていません。・・・私の過去の悲しい生涯はすべてあなた方のためだったのであり、私は六千年の歴史を経て、六千年歴史の結実としてここにいるのです。ですから、時が終末に近づけば近づくほど、霊界が私についての真実を認めなければならないのです。」(注21)

16年後に彼は自分自身を「先生」、「お父様」と呼んで、フランス教会のメンバーたちに次のように語った。

「私たちは彼を『先生』と呼びますが、彼はどのような人物であり、何を成したのでしょうか? 彼は世界を救済して天国を建設するために働いているのです。最も簡潔に言えることは、彼が神のみ旨を成就しつつある人物だということです。」(注22)

「神はアダムとエバを完成させるためだけに六千年かかったのですが、お父様はご自身の生涯路程を通して、21年間で蕩減条件を立てたのです。彼は個人、家庭、氏族、国家、そして世界の完成を成し遂げました。もちろんすべてが完全に成就されたのではありませんが、条件が既に立てられ、いまや時間の問題なのです。」(注23)

 

(注19)周藤「120日修練会マニュアル」400ページ。
(注20)「マスター・スピークス」「文鮮明師が語る…」、文鮮明『新しい希望』ワシントンDC、世界基督教統一神霊協会、1973年。『伝統』三巻、ニューヨーク、世界基督教統一神霊協会、1980年、その他、世界基督教統一神霊協会の出版物。D・S・C・キム『希望の日の回想』第一部:1972-1974年、第二部:1974-1975年、テリータウン、ニューヨーク、世界基督教統一神霊協会、1974年、1975年。『季刊誌・祝福』『原理的生活』『トゥデイズ・ワールド』など、その他多くの世界基督教統一神霊協会出版物。
(注21)「再臨主についてマスター・スピークス」4ページ。
(注22)『トゥデイズ・ワールド』1981年8月号、3ページ。
(注23)同書、6ページ。
※訳者注:訳者もアメリカのベルベディア等で文鮮明師の説教を逐次通訳を交えて聞いたことが何度もあるが、その逐次通訳をそのまま聞き起こして文章にすると不思議な感じになる。文鮮明師自身は韓国語で「私は~」と第一人称で語っているが、通訳者はそれを敢えてそのまま第一人称で訳さずに、「お父様は~」「彼は~」と第三人称で訳すのである。その訳文をそのまま読むと、文師がまるで自分のことを第三人称で語っているかのように勘違いすることがある。そこで、このフランスでのスピーチを第一人称に変換して訳すと、以下のようになり、より文師の肉声に近づくと思われる。ただし、正確には韓国語の音声からの翻訳が必要であることは言うまでもない。

「あなたがたは私を『先生』と呼びますが、私はどのような人物であり、何を成したのでしょうか? 私は世界を救済して天国を建設するために働いているのです。最も簡潔に言えることは、私が神のみ旨を成就しつつある人物だということです。」(注22)
「神はアダムとエバを完成させるためだけに六千年かかったのですが、私は自らの生涯路程を通して、21年間で蕩減条件を立てたのです。私は個人、家庭、氏族、国家、そして世界の完成を成し遂げました。もちろんすべてが完全に成就されたのではありませんが、条件が既に立てられ、いまや時間の問題なのです。」(注23)

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