アイリーン・バーカー『ムーニーの成り立ち』日本語訳31


第4章  ムーニーと出会う(1)

統一教会が新会員になりそうな人々と接触し関係を継続していく方法は、時と場所によってかなり異なっていた(そしていまなお異なっている)、ということを強調するのは重要である。ロフランドによって描写されたような(注1)、1960年代初期のアメリカにおける実践は、ヨーロッパの一部においても存続している。だが一般的に言って、会員数が増加してそのタイプが変化したことと、この運動がより成功した地域(とくに日本、次いでカリフォルニア)での経験によって、第2章で示唆したように、新会員獲得に対してより組織的に整理されたアプローチがとられるようになった(注2)。

極めて突然に起こる回心であっても、孤立した状態で起こるのではない。われわれは、潜在的な新会員が回心のプロセスの一環として標準的に通過しなければならないいくつかの「ハードル」あるいは段階を識別することができる――ただし個人によっては飛び越えていく段階もあるが。まず第一に、恐らく個人のムーニーによって、最初の接触がなされなければならない。次に、回心する可能性のある人はより一般的な形で統一運動と触れてみないかと説得される。通常は食事をしたり(アルコールではない)飲物を飲んだり、おしゃべりをしようとセンターに誘われるのである。これに次いで、この運動の信条や目的をもっと学ぶために週末(あるいは2日間)の修練会に参加するよう求められるだろう。2日間の修練会を無事終えると、ゲストは7日間の修練会に進むよう勧められ、さらには21日間のコースを勧められるだろう。21日間のコースを修了した者は、普通は専従の(あるいはホームチャーチの)会員になるように勧められるだろう。

こうした各段階で、統一教会の視点からは「廃棄物」(訳注:イギリスでは会社の従業員数などの自然減少を“wasetage=廃棄物”と言うことがあり、必ずしも侮蔑的な意味はない)と見なされる人が高い割合で出てくる。驚くことではないが、ゲストが「統一教会のキャリア」を進んでゆくにつれて、廃棄物の割合は減少していく。私が研究を始めた当初に仮定したのは、この「廃棄」と「選択」の進行は平行しており、ムーニーになるための様々な段階を通過していくにしたがって、人数を減少させていくこのグループは、一般の人々とムーニーとを区別するある共通の特徴を次第に強く示すようになっていくだろうということであった。例えば、もし私がムーニーたちは中流階級の(または)カトリックの家庭の出身者であり、精神障害の経歴をもった人々であり、統一教会と出会ったときに家庭から離れていた人々に大きく偏っていることを発見したとすれば、修練会に参加した人々はこうした特徴を、ムーニー自身よりもより弱く示すであろうし、全住民と比べればより強く示すだろうと期待できるであろう。しかし、この仮説をテストしてみると、私はある興味深い点で間違っていたことを発見しなければならなかった。

 

最初の接触

ムーニーが最初に接触する相手は主に異性である傾向がある、という証拠を見いだすことはできなかった。1979年にロンドンの修練会に参加した1000人については、同性のムーニーに勧誘された人の割合は異性のムーニーに勧誘された人の割合と全く等しかった。カリフォルニアでも――ここではその相対頻度を評価する手段が私にはなかったものの――「霊の親」(注3)が同性であるムーニーを私は数多く見いだした。

最初の接触はさまざまな形態をとり得るが、主な三つの「タイプ」に分けることができる。初めに、家庭から遠く離れている人々がいて、簡潔に表現するために、彼らを「旅行者」と呼ぶことにする。次に「偶然者」がおり、彼らは普通の日常生活の中でたまたま見知らぬムーニーに出会った人々である。最後に「個人的縁故者」がおり、彼らはすでに運動の会員となっている友人や親類から接触された人々である。

旅行者は、まもなく大学生活を開始または終了する前の余暇を過ごしているかもしれないし、すでに就職できる資格はあってもまだ身を落ち着かせる気がないのかもしれないし、あるいは定職についてはいるが休暇中に冒険や興味あることを探し求めているかもしれない。旅行者は通常背中にナップサックを背負っているため見分けがつきやすく、どこででもアプローチされる。もっとも一般的な勧誘場所はサンフランシスコのバス停やフィッシャーマンズ・ワーフ地区だが、ロンドンのヴィクトリア駅のボートトレイン・ターミナルなどでも誘われる。ムーニーは最初、「あら、迷子になったようですね。お助けしましょうか?」とか、「ハーイ、どこから来たの? ・・・ワー! それじゃいとこのボーイフレンド(妹のルームメイト、母方の祖母)と同じ、パサデナ(パタゴニア、プリマス・イングランド)なんだ!」などと挨拶することから始める。さらに言葉を交わしているうちに、その旅行者はきっとその親切な見知らぬ人が自分とかなりの共通点を持っていることを発見するようになり、夕食を一緒にして同じような仲間に会わないかと誘われるだろう。はっきりしたプランを持っていない旅行者は、同意するかもしれない。

旅行者は最初に統一教会に出会うときには家から離れているとはいえ、必ずしも「移動中」ではない。彼らはオペア・ガール(訳注:主に外国語の勉強を目的として、家事手伝いをしながら外国の家庭に住まわせてもらう制度を利用している女子)だったり、語学学校や大学の学生だったりするが、ナップサックを背負っている旅行者と同様に、家庭や友人たちから離れている傾向にあり、その結果として、友好的に近づいてくる見知らぬ人に対してとりわけオープンであると思われる。

「偶然者」は会員になりそうな人々の中では飛びぬけて大きな集団である。旅行者と同様に、こうした人々は通常は街頭で会員(募金集めの活動をしている会員の場合もある)からアプローチされ、言葉を交わし、運動についてもっと学ぶようセンターに招かれる。しかしここでも、旅行者の場合と同様に、「偶然者」は大学のキャンパス、レストラン、人々が集まっているクラブやホールなどのような、その他の公共の場所でアプローチされることもある――恐らくそこに集まった人々は、回心しそうな人々を既に引きつけているような主題(霊的な覚醒など)についての議論を聞きに来ているであろう。自分の家で最初にアプローチされた人の割合は比較的少なかったが、1978年末の「ホームチャーチ」運動(第2章、第9章を参照)の導入以来、その割合は増加している。少数ながら、統一教会の広告を見たり、文書を読んだりした後に自分から接触する人もいるであろう。教会主催の大会、コンサート、講義などに偶然現れる人もいる。

街頭や公共の場所で最初に接触された人と、自宅でアプローチされた人とを比較すると、興味あるパターンが出現する。(簡潔さのために、私が彼らをそれぞれ「街頭者」と「家庭者」というやや不細工な言葉で区別することをお許し願いたい。)すでに示唆したように、家庭者の実数は街頭者よりもはるかに少ないものの、家庭者が継続して修練会に行き最終的に運動に参加する割合は、街頭者や縁故者よりも高い。家庭者の方が、修練会に参加しようと決めるまでに、教会の活動について街頭者よりも多くのことを知っており、初期の段階で厳しい選別が行われているからであると考えることは可能である。しかしながら、早めに離教(入教して数週間以内で離教)する割合が最も高いのもまた家庭者であることが明らかになった。このことが示唆しているのは、幾人かの家庭者はムーニーの「霊の親」と強い関係を形成し、その人は一対一の関係では互いに共有できる何かを燃え上がらせることができたかもしれないが、それが必ずしも教会員になるまで持続するとは限らないということである。

<写真キャプション>

ニューヨークでの路上講義(4章97ページ)

ニューヨークでの路上講義(4章97ページ)

ロンドンでのテーブルを用いた伝道活動(4章98ページ上)

ロンドンでのテーブルを用いた伝道活動(4章98ページ上)

戸別訪問伝道(4章98ページ下)

戸別訪問伝道(4章98ページ下)

 ロンドンのアルバート・ホールでの大会に通行人を招待(4章99ページ)


ロンドンのアルバート・ホールでの大会に通行人を招待(4章99ページ)

 

(注1)ジョン・ロフランド『終末論を説くカルト:回心と改宗と信仰維持の研究』改訂版、ニューヨーク、アービントン、1977年。
(注2)阿部正寿(編)「教会指導者のマニュアル」世界基督教統一神霊協会、1980年(もともとは日本で1977年に編集された)、周藤健「120日修練会マニュアル」未出版の複写物、ニューヨーク、世界基督教統一神霊協会、1975年は、会員になりそうな人の伝道方法について指示を含んでいる。
(注3)ムーニーの「霊の親」とは、(通常)最初にその人を運動に招いた人物である。

 

 

 

 

 

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