神学論争と統一原理の世界シリーズ01


 

プロローグ01

まだ「統一原理」を知らない方へ

本書で紹介する「統一原理」とは、何を隠そう、世界基督教統一神霊協会(統一教会)の教義のことである。「統一教会だって? ああ、そういえば数年前に人気タレントが合同結婚式に参加したときに騒がれた、あの宗教か(注1)」と思う人もいるだろうし、また某プロ野球チームの監督の家族が入信しているらしいと一部マスコミで騒がれ、同監督の進退問題にまで発展した事件は記憶に新しいだろう(注2)。

マスコミが騒ぐ宗教

これらマスコミ報道に共通していることは、その取り上げ方がいわゆるスキャンダルや芸能ネタ、あるいは社会問題など、宗教団体の周辺部分で起こっている雑多な事柄に関するセンセーショナルなものでしかないということだ。しかし、宗教は別にスキャンダルを起こすために存在しているわけではないはずである。それらの周辺的な事柄よりもずっと重要なことは、その宗教がどんなことを教え、何を目指しているのかであるのだが、マスコミはそれについてはほとんど何も報道しないのが現状である。

あなたもひょっとしたら、統一教会にまつわる事件のことは知っていても、その教義について説明しろといわれたら口を閉ざしてしまうのではないだろうか? 試しに周りの人に「統一教会とはどういう宗教?」と聞いてみればよい。「アダムとエバがどうしたこうしたとか、メシヤがどうのこうのと言ってたから、どうやらキリスト教の一派らしいぜ。だけど一部のキリスト教会からは異端といわれてるんだって」というぐらいの答えが返って来れば、まずまずの認識といったところ。

これはマスコミで騒がれる他の宗教についても同じことである。近年マスコミで取り上げられた宗教としては、創価学会、エホバの証人、幸福の科学、オウム真理教、ワールド・メイト、法の華三法行(注3)、そして統一教会などが代表的だが、その取り上げ方のほとんどが「その異常な実態に迫る」といったたぐいのもので、それらの宗教がよって立つ世界観全体に関する報道はほとんどない。よしんば教義の問題に触れたとしても、エホバの証人は輸血を拒否する、といった具合に、宗教の本質である世界観全体の脈絡から切り放された「異常性」だけが抽出されているに過ぎない。このようなマスコミの傾向は統一教会の合同結婚式の報道に関しても同じである。

統一教会の分かりにくさの理由

しかし、統一教会の「分かりにくさ」の理由は何もこれがすべてではない。第一に、宗教の内面世界というものは、その信仰を共有していない人にとっては基本的に理解し難いものであるためであり、第二には、統一教会が日本人にはなじみの薄いキリスト教の伝統に根ざしているためであろう。もともと日本人には平均的に理解され難いキリスト教の、そのまた「異端」と呼ばれているわけだから、何かとても異質な世界に住んでいる人たちのように思えるのである。ところが実際に統一教会の人に会ってみると、これが実に普通のまじめな日本人なので、「こりゃ一体どうしたことか?」と思うのである。

よくテレビにはキリスト教の牧師だとか聖書学者だとか名乗る人々が登場して、統一教会は異端だと力説するが、そのことの意味を普通の日本人に理解しろといっても、それは難しい相談だ。せいぜい単なる「レッテル張り」を鵜呑みにする程度が関の山というもの。なぜならば統一教会がキリスト教の異端であることを理解させるためには、その前にキリスト教における正統信仰とは何かということを、まず理解させなければならないからだ。日本人に正しくキリスト教を伝える――今まで、これほどに莫大なエネルギーを費やしながらも実を結ばなかった宗教事業があっただろうか?

彼らのような、統一教会から「反対牧師」と呼ばれている人々の中には、これを実に地道にやっている人もいる。「反対牧師」というのは統一教会を異端視して、その信者を統一教会から脱会させる活動を精力的に行っている牧師たちのことだが、彼らは、統一教会に入会した自分の息子・娘を脱会させたいと思っている父兄に対して、徹底的にキリスト教の教育をする。それは息子・娘たちは間違った教えに洗脳されているのだから、そこから救済する唯一の道は、「正しいキリスト教」をまず両親が身につけ、それを子供に伝えるしかないと考えているためだ。そのために両親は、キリスト教の正統信仰についての長くて難解な勉強会に参加しなければならない。そして「統一原理」がなぜ異端なのかを頭にたたき込むのだ。

正しいキリスト教ってなに?

ところが実際にはその「正しいキリスト教」というものが理解できない、あるいは受け入れられないということで、音を上げてしまう父兄が多いのだそうだ。これらの両親は、わが子かわいさに必死になるからこそ、キリスト教を理解しようと努めるのであろう。しかし、もしそうでなければ、キリスト教というものに対して興味すら示さないのではないだろうか?

さらに加えて言えば、これらの反対牧師たちが主張する「正しいキリスト教」というのも、実は各牧師ごとに異なっている。だから統一教会がなぜ異端なのかという理由も、当然各牧師ごとに異なっている。そしてその批判の内容も、極めて学問的価値の低い「揚げ足取り」に過ぎないもので、「統一原理」が言わんとするところを本当に理解しようとする姿勢は全く見られない。

日本語で読める文献に限っていえば、私が今までに出合ったキリスト教による「統一原理」批判の中で、唯一まじめな神学的批判だと評価できたのは、上智大学神学会が発行している雑誌『カトリック研究』第47号(1985年6月)に掲載された、ペトロ・ネメシェギ氏による「統一教会の教説についての考察」ぐらいであり、その他のものはほとんど学問的価値のないものだった。だから、もしあなたが統一教会を批判している人々の文献を通して統一教会の教義を正しく知ろうと思ったとしても、そこから得られるのは「断片的な歪んだ描写」だけなのである。キリスト教に対する基本的な理解がなければ、それはいっそう困難であることはいうまでもない。

したがって、もしあなたが「統一原理」の内容を知りたければ、それを直接自分の目で見て、自分の耳で聞くしかないという結論になる。しかし実際には、それとても簡単なことではない。統一教会の正式な教理解説書である『原理講論』は約600ページと膨大なうえに、決して読みやすい本とはいえない。全体を一読して、その壮大な体系を頭の中に入れることができる人がいたとしたら、その人はよほどの天才だ。

正直なところ私も最初はチンプンカンプンだった。その全体像を理解するにはやはり長い時間がかかるし、一つひとつの概念も、かみ砕いた例えで説明されなければピンと来ない。「統一原理」の内容解説がビデオ化されたり、多くの副読本が発行されたりしているのもこのためなのだ。

しかしそんなに長い時間をかけてまで勉強する暇はないし、キリスト教のこともよく知らないという人の為に、本書は書かれた。私が米国の統一神学校(Unification Theological Semonary)で学んだキリスト教神学の知識をもとに(注4)、伝統的なキリスト教と「統一原理」がどのように違っており、また「統一原理」は何を主張しているのかを、ポイントを絞って分かりやすく解説したつもりだ。

ちなみに、統一神学校というのは、必ずしも統一教会の教義のみを教えているところではない。そこでは、一般のキリスト教の神学校で教えられているような聖書学、組織神学、キリスト教会史、哲学、心理学、宗教教育学などを幅広く学ぶことができる。さらに教授たちの中には、カトリック、プロテスタント、ギリシア正教、その他実にバラエティーに富んだ宗教的背景をもつ人々が含まれていて、文化や宗教の壁を超えた深い交わりが体験できるところである。

なお、本書は基本的にテーマごとに一節ずつが独立した内容になっているので、興味のあるところからつまみ食いして読んでもらってかまわない。また本書はあなたを伝道しようという意図で書かれたものではなく、キリスト教との比較において「統一原理」を紹介しようとするものに過ぎないから、気軽な気持ちで読んでもらってかまわない。それをどう評価するかは、あなた次第なのである。

 

<以下の注は原著にはなく、2014年の時点で解説のために加筆したものである>

(注1)1992年にソウルで行われた3万双合同結婚式に、桜田淳子や山崎浩子が参加したことを指している。原著が出版された1997年の時点では、まだ「数年前」の出来事と言うことができた。
(注2)日本ハム・ファイターズの上田利治監督のことである。1996年9月10日、前日夜に週刊現代から家族の入信問題を取材されたという上田監督が、首位オリックスとの直接対決の試合前、心労を理由に休養を申し入れ、シーズン終了まで休養するに至るという「事件」が起こった。
(注3)「法の華三法行」は、教祖の福永法源以下、幹部が詐欺罪で摘発されたことにより2001年に崩壊しており、現在は存在しない。
(注4)筆者は米国の統一神学校に1991年から1995年まで在籍し、神学修士号(Master of Divinity)を取得して卒業している。当時はニューヨーク州ベリータウンに緑豊かなキャンパスがあったが、現在はニューヨーク市の43番街に規模を縮小して移転したと聞いている。

著者が在籍していたころの統一神学校(UTS)

著者が在籍していたころの統一神学校(UTS)

 

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