アイリーン・バーカー『ムーニーの成り立ち』日本語訳81


第10章 結論(3)

目標
1. 基本的なビジョンは、宗教的である。最初は世俗的な言語で表現されているカリフォルニアにおいてさえ、目標は第一に神の目標であり、それは神の王国を地上に復帰することであるとみなされている。

2. 焦点は、「現世」対「来世」(注5)である。それが社会を変革し、神権政治(注6)の確立を望んでいるという特殊な意味において、統一教会は政治的な運動でもある。霊的な世界を復帰することは統一神学において重要ではあるが、これは実体世界の復帰を通じてのみ成就できるものである。イエスは霊的救いをもたらすことはできたが、肉的救いをもたらすことはできなかった(注7)。目標は、「地上」天国の建設である。

3. 「他者」対「自己」の指向性:ムーニーはそれぞれが自己の完成を意図しているけれども、統一教会の目標は主として他者に善を施すことにある。自分自身の自己実現を促進することよりも、社会全体のため、特に神のためなのである。この点で統一教会は、主に会員個人あるいは患者の個人的な成長や自己覚醒の促進を目指している運動(例えば、サイエントロジー、シナノン〈訳注:麻薬中毒者の更正施設〉、est、人間性回復運動〈Human Potential Movement〉など)(注8)とは異なっている。

4. 絶対的価値観:地上天国が実現されるときには、相対主義の不確実性は消えさり、絶対的で、完全で、永遠なる真理が知られるであろう。

5. 理想家庭:社会の基本単位は、神を中心とした家庭になるであろう。そこでは男性と女性は、調和的な授受作用によってお互いを補完し、原罪を持たずに生まれ子女を持つであろう。

6. 漠然とした最終状態:地上天国が実現されたらどのような状態になるのかを正確にわれわれに教えてくれる明確な青写真はない(注9)。

手段
1. 手段は神によって与えられる。神が天国を復帰する最善の方法を知っていると信じられている。神の協助者たちは、神の原理に従って行動し、神の選んだメシヤに従わなければならない。あるいは、一連の認可の経路を通じて「アベル」または「主体」の立場にいる人々に従わなければならない。

2. 個人の責任:目標は、男女がそれぞれに与えられた役割を果たすときにのみ達成される。復帰に対する人間の責任分担5%を果たすために、100%の努力をしなければならない(注10)。そうしなければ、神の業は無駄に終わるであろう。

3. それはグループの努力でなければならない。各個人は自分の役割を果たさなければならないが、それは統一運動の一部としてなされなければならない。天国は、個々人が自分のことを何の調整もなくやったとしても達成できない、と主張されている。運動の強さは、全体として行動することにある。

4. 規律は不可欠である。権威に対して従順である必要性は、上記項目の1番と3番から導き出される。良心を抑圧することはいかなる時にも悪いことであるが、個人が何でも分かっているのではないと認めることが必要である。神が導くことのできる立場に自分自身を置かなければならない。彼は、自分の動機や態度を浄めるために、(一時的に)貧困、純潔、従順を受け入れなければならない。そしてそれは、富の有益な利用、理想的な結婚、および率直な意見の交換などがすべて、この世的な利己心に基づくものではなく、神を中心としたものであるような、「復帰された」一連の価値観を世界にもたらすためである。

5. 蕩減条件:一般的に言うと、仕事がより困難で、より不快なものであるほど、自分自身の(あるいは他者の)過去の悪事に対してより大きな蕩減条件を支払うことになり、また天国の復帰に対して積み重ねられてきた障害の克服により大きく貢献することになる(注11)。課題が大きいほど、犠牲が大きいほど、そして自分自身を投入すればするほど、より多くのことを達成できるようになる。

6. 「内的」と「外的」の両方の使命が全うされなければならない。
a. 内的には、各個人は自分の霊人体を成長させなければならない。これは祈祷や断食などの「条件」を通じて、「統一原理」の学習や理解を通じて、神の前に謙虚になりサタンや悪霊を自分の思考に侵入させないようにすることなどを通じて行われる。内的な進歩をその個人が評価することは困難である。個人は自分自身が適切な姿勢を取っていると感じるかもしれないが、それが傲慢であり、実際にはサタンの業であるという可能性は常にあるのである。
b. 外的が意味するものはさまざまな形態をとるが、ほとんどの場合、それらは非常に明確に定義された目標を達成することからなる仕事(例えば、資金集めや新会員の獲得など)である。そして各ムーニーの成功や失敗は共に可視的であり定量化可能である。同時に、外的な手段を追求することは、個人の霊的(内的)な訓練の一部であると見られている。

7. 緊急性:時間の要素は非常に重要である。もし神側がある一定の(必ずしも明確ではないが、明らかに有限な)期間内に勝利しなければ(注12)、その時サタンは勝利を主張することができるだろうし、世界は、もし存在し続けるなら、現在よりもさらにひどい状況におかれるだろう。

(注5)M・ウエーバー「宗教社会学」、エフライム・フィシュコフ訳、ロンドン、メチューエン、1963年、第40章を参照せよ。
(注6)文鮮明「伝統の道」全3巻、ニューヨーク、世界基督教統一神霊協会、1980年、第1巻31ページ;「マスター・スピークス」:「修練会の重要性」(第3回ディレクター会議)、p.12;世界基督教統一神霊協会『文鮮明師と統一教会会員に関する、韓米関係の調査についての1978年10月31日付の報告書に対する、我々の回答』ニューヨーク、世界基督教統一神霊協会、1979年、p.39-42。
(注7)郭錠煥『概説統一原理:レベル4』ニューヨーク、世界基督教統一神霊協会、1980年、p.169。
(注8)以下を参照せよ。R・ワリス「完全なる自由への道:サイエントロジーの社会学的分析」ロンドン、ハインマン、1976年;R・オフシェ「シナノン:人々のビジネス」、C・ Y・グロックとR・ベラ(編)『新しい宗教意識』、バークレー、カリフォルニア大学出版、1976年に掲載;S・チプトン「60年代からの救済:回心と文化的変化の道徳的意味」バークレー、ロサンゼルス、ロンドン、カリフォルニア大学出版、1982年;D・ストーン「人間性回復運動」、グロックとベラ『新しい宗教意識』に掲載。
(注9)以下のものを見てみるとよい。文「伝統の道」第1巻、天国に関する節(p.311以下)、および「マスター・スピークス」「文鮮明師・・・について語る」に掲載されているさまざまな説教。例えば、1975年1月1日、1977年1月1日、1977年4月17日、1978年1月1日、1978年3月26日、1979年1月1日、1980年1月1日、1981年1月1日、1981年12月20日など。
(注10)郭『概説統一原理』 pp.89-90
(注11)同上、p.106
(注12)同上、第8章、第14章を参照。また文師の多数の説教を見よ。

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