アイリーン・バーカー『ムーニーの成り立ち』日本語訳29


第3章  統一教会の信条(6)

入会する可能性のある人々は以下のように告げられる。誰もが理想の状態に到達することを目指しているいるが、私たちは神から離れてしまったので、神の元へ帰る方法を示してくれる誰かを必要としている。イエスは新しい愛の基準をもたらしたが、完全には受け入れられなかった。洗礼ヨハネは自分の地位を十分に利用してイエスを支援しなかった。もし彼がイエスと一体となっていれば、イエスの言葉はもっと注意深く耳を傾けられたかもしれない。もちろん、イエスは周囲の社会に対して破壊的な影響力だった。彼の弟子たちは家族との問題を抱えていた。彼らは適切な時に家に帰らないで、彼らがすべきことだと家族がみなすことをせずに、イエスのみ言を聞いていたからだ。しかし、あらゆる努力にもかかわらず、イエスはその使命を完遂する前に殺され、人々はいまなお苦悩している。もし真の指導者の見本を見いだしさえすれば、私たちは新時代を築く機会を持てるかもしれない。いまは歴史的に重大な時だ。もし我々が世界を救うための正しい道を見いださなければ、世界は完全に破壊されてしまうかもしれないのである。

伝統的な正統的キリスト教会は私たちに価値体系を提供してくれてはいるが、それ自体では十分でない、とゲストは告げられる。多くの疑問が解明されていないし、進むべき道を示していない。宗教的な人々はしばしば、マルクス主義の唯物論的脅威に対抗するのに十分な強さをもっていない。マルクス主義は、数百万の人命を犠牲にした。マルクス主義は、力は銃の中にあると教えている。彼らは神の愛よりむしろ戦いを求める。もし私たちがマルクス主義よりも力強い価値体系をもっていれば、より短期間に、流血を見ないで、マルクス主義以上のことを成し遂げることができる。(講義のこの部分やその他多くの部分で、聴衆の中のムーニーたちの先導によって、歓声や拍手が起こることがある。)マルクス主義のよい理想――例えば、平等や公平な配分の理想――は、神の理想である。しかしサタンは、マルクス主義の唯物思想を通して人々が真の価値をもっているということを認識させないようにしている。しかし、この世界で最も重要な力は経済的現実ではなく意識である、と信じるようゲストは促される。物質的現実と霊的現実は一緒に解釈されるべきである。正しい真の意識があれば、私たちは世界の問題を解決することができる。例えば、もし私たち全員が毎週三日断食をするとすれば――もし毎日六億のアメリカ人の食事が「他の所へ行く」とすれば、私たちは苦しいはずがない。私たちは自分の犠牲から喜びを得るはずだ。私たちに必要なのは、ただそうすることを決意し、飢餓と貧困という問題を取り除く行為を始めるための、心情と意識だけである。エデンの園は空虚なユートピアの神話である必要はないのだ。

誰もが結果を欲しがるが、そのためには働く必要がある、とゲストは告げられる。私たちは庭造りの知識と愛が必要であり、また仲間の庭師たちが必要である。(訳注:前の段落に「エデンの園」<Garden of Eden>が出てくるため、天国建設の作業を庭造り<Gardening>に例えている)私たちは世界全体に模範となることのできる協調性のある個人で構成される国連をつくる必要がある――共通の理想によって一体となったユニークな個人の集まりが組み合わさって。あらゆる人種で構成された米国は、そのような模範を提供することができるだろう。米国は、ヨーロッパの腐敗から逃れて平和な神の王国を建設するために命を懸けたピューリタンたちによって建国された。しかし、ピューリタンの理想は、新参者が原住民のインディアンに対して偏狭であり、黒人を奴隷として使ったために失敗した。アメリカの罪は南北戦争の流血によってその代価が支払われた。英国にもチャンスがあった。しかし、英国は世界中を搾取したので、いま自らのまいた種を刈り取っているのである。

しかしいま、アメリカが神の祝福を受けている、という主張がなされる。アメリカには国力があり、世界に奉仕するためにそれらを使うことによって、自国の価値を証明しなければならない。ケネディ大統領がアメリカの青年たちに対して、平和部隊によって世界に奉仕するよう呼びかけたとき、彼は何が必要かを理解していた。我々は神の部隊をつくる必要がある。オークランドのムーニーたちは、ベイエリアはそのようなプロジェクトを始めるのにとりわけ適していると宣言する。サンフランシスコできょう新聞の第一面に現れることは、あす他の新聞に現れる。運動はサンフランシスコから言論の自由運動の発祥の地であるカリフォルニア州全体に広がり、それからアメリカ全土に、そして全世界へと広がることができる。一人の義人は一つの市を変えることができ、千人の義人は千の市を変えることができる。どの国家においても希望はその若者にある。もし我々が自分自身を変えることができれば、我々は国家を、そして最終的には世界を変えることができる。我々に必用なのは、それを実践することだけだ!

入会する可能性のある人々は、私たちは自分の責任を受け入れなければならない、と告げられる。神がすべてを決定すると言う有神論者は、神が私たちの助けを必要としているということを否定する。しかし、もし神が奇跡によって世界を変えたいのであれば、神はとっくの昔に世界を復帰していただろう、と議論は続く。すべては人類によって決まると言う無神論者は、人類を孤立無援にしてしまう。我々は神の理想が何であり、神が地上に天国をもたらすのを助けるうえで、我々にどのような役割を果たすことができるかを理解しなければならない。神は復帰のみ業の大部分に責任をもっておられるが、それにもかかわらず、人間の小さな役割は非常に重要であり、人間は全力を尽くして貢献しなければならない。

ゲストは以下のように告げられる。被造物のすべては神の法則性と美と愛を反映しており、すべての存在の中でそれらを最もよく反映しているのが人間である。神の言葉が受肉したのは、(大部分のクリスチャンが信じているように)イエスだけではなく、「全」人類なのだ。神はご自身の愛に応えることのできる愛の対象を必要としておられるが、我々が神に応えない限りご自身ではどうすることもできない。神は我々の助けを必要としているのだ。真実で実践的な基準を見いだして、神が我々を「通して」働かれるようにするのが我々個人の責任である。我々は、事態が難しくなっても闘いをあきらめない、神が信頼できる人々にならねばならない。もし私たちが失敗すれば、そのとき、自然法則に従って大惨事が起こるだろう。地上に神の天国を復帰するのは時間がかかるだろうし、私たちが持っているすべてのものを奪うであろう。しかし、それを避ければ私たちにとって、世界全体にとって、そして神にとって、悲劇と失敗だけが選択肢となるのである。私たちには大いなる新時代のための大きな心と心情が必要だ。献身と責任が必要だ。私たちは共に働き、挑戦に応じなければならない。いま我々に必用なのは、始めることだ!

「もし我々が建設の作業に取り掛からなければ、必ず破滅がやって来るだろう。だから我々は団結しなければならない。さもなければ独りで絞首刑になるであろう。

いまは大いなる希望の時である。我々は暗闇に取り囲まれていると感じている。しかし、またはっきりと光を見ることができる。人々に光と命を与える唯一の道は、我々自身が生きた者となることにだけだ。ただ真実の関係によってのみ、我々が誰であるかを認識することによってのみ、歴史の動きを理解することによってのみ、我々は歴史的現実を我々の生涯において生じさせることができるのだ。その挑戦は、その任務は、我々のものである。我々がやらねばならないことは、それが我々の労力と、エネルギーと、献身と、信仰を必要としていることを認識するだけである。しかし、それは挑戦である。我々の目標と意図は純粋だ。途中で間違いを犯すかもしれないが、我々を止めるものは何もない。我々がやらねばならないことは、天国はさらに近づいていると認識することだけだ。もし我々が手を組み、天国を建設すれば、すべては成し遂げられる。明るい心で、生き生きと、喜びながら、我々はすべてのことを成し遂げることができるのだ。」(注29)

(注29)ダースト『人類の目的』の結論部分。

 

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