シリーズ「人類はどのようにして信教の自由を勝ち取ったか?」第6回


アメリカの場合

「政教分離」とは、一つの国家の中に様々な宗教を内包する近代国家において、政権が特定の宗教と結びつかないように定められた原則であるが、一口に「政教分離」と言っても実は二つのタイプがある。ブルジョワジーが王権と教会が密着した旧体制を打倒したフランス革命がもたらしたフランス型の政教分離は、宗教に対して敵対的な感情をはらんでいる。一方、イギリスからの独立を目指す独立革命の遂行と、新しい国家の建設にあたって諸宗教の併存が不可欠だったアメリカにおける政教分離は、あくまで諸宗教を平等かつ公平に扱うことを主眼においた、宗教に対して友好的な政教分離なのである。

周知のようにアメリカはイギリスをはじめとするヨーロッパ諸国を中心に、世界各国からの移民によって形成された「移民の国」であり、「人種のるつぼ」といわれている。こうした歴史的・文化的に大きく異なった背景を有するエスニック集団が、アメリカの歴史を形成してきたと言える。彼らの多くはヨーロッパで国家権力と結びついた教会から迫害を受け、信教の自由を求めてアメリカに移住して来た非国教的セクトの信者たちであった。

彼らが新天地にやって来たとき、そこには国王も国教もなく、彼らは自らの信仰に従って入植地に自律的な信仰の共同体を形成することができた。宗教社会学的用語で表現すれば、これによってアメリカでは「チャーチ型」ではなく「デノミネーション型」教団が特徴的に展開されることとなった。すなわち、信徒の関与度の高い各教派が、平等に競合しつつ伝道する自発的集団として活動しているのである。しかしアメリカにおいても初めから政教分離と信教の自由が存在したわけではなく、植民地ごとの差こそあれ、ヨーロッパの旧体制の残滓を残していた。これが連邦の形成の過程の中で、現在の方向に向かって進んできたのである。

アメリカの「大覚醒」の様子

アメリカの「大覚醒」の様子

アメリカの独立は、大覚醒運動などの熱烈なキリスト教信仰のただ中で成し遂げられた。信教の自由が保証されたことと、わずか半世紀の間に8倍に膨れ上がったバブテスト教会を初めとして、各教派が旺盛な伝道活動を展開した結果、多数の教派に分かたれた宗教的多元性が出現した。この様な多くの教派を平等かつ公平に扱うため、アメリカでは憲法修正第一条で「政教分離」の原則がうたわれ、ヨーロッパの多くの国でみられる国教制は否定されている。

デノミネーション型の教会の第一の特徴は、自分達の教派が唯一の真理を独占していると主張しないことである。これによって各教派の平和的共存が可能となる。これはお互いの妥協による共存という意味ではなく、激しい伝道の競争をして、その勝敗は人々の判断にまかせようという考え方であり、ある意味では自由経済の市場原理を宗教の世界に持ち込んだ考え方である。

彼らはアメリカ的な多元主義を、「宗教のフリー・マーケット」と呼んで、自由経済と同様に宗教にも競争が存在することによって、教会の宣教努力が刺激され、それが人々の宗教性の向上につながっていると考えている。すなわち宗教選択の自由が存在することにより、独占的な宗教にありがちな信仰の形骸化を防ぐことができ、それは宗教にとっても社会全体にとってもプラスであるという。

このことを教会に所属している人の割合や、礼拝出席率などを数年にわたって調査することによって社会学的に裏付けようとしたのが、ロジャー・フィンケとロドニー・スタークによる「ザ・チャーチング・オブ・アメリカ」という本である。彼らは1776〜1980年までのアメリカ人の教会所属率を調査しており、それによればアメリカ人の教会所属率は独立前夜には17%、南北戦争の初めには37%、1906年には51%、1980年には62%と増えており、アメリカ人はどんどん宗教的になっていると報告している。

デノミネーション型の教会の第二の特徴は、教会の果たすべき社会的機能が大幅に軽減されていることである。教会は礼拝と教派内の青少年の倫理的な教育のほかには、さしたる社会的機能を負担しない。しかしこれは教会が政治的・社会的に無力となったという意味ではない。むしろその逆であるとさえ言えるのである。

彼らは政教分離は宗教にとって結果的にプラスであったと評価している。かつては宗教と社会のシステムは一体不可分であったために、宗教は社会が抱える問題を批判すればそのまま自己批判につながるため、自由に批判精神を発揮することはできなかった。しかし社会全体に対する重苦しい責任から解放された宗教は、預言者的な立場に立って、社会の良心としてラディカルな体制批判をすることができるようになったために、より健全で活発な状態になったと見ているのである。

アメリカの「メガ・チャーチ」

アメリカの「メガ・チャーチ」

事実アメリカにおいてはキリスト教各派を母体とした自発的な市民団体が多数出現した。それは聖書学習会や人道主義的な援助活動にとどまらず、奴隷解放運動や堕胎反対運動など、政治的な分野においても自分たちの信念に則って積極的な活動を展開したのである。彼らは民衆レベルからの運動によって、自らの信ずる福音によるキリスト教国家を作り上げようという、熱烈な願望に燃える人々であった。

さらに、アメリカにおける政教分離は政府が世俗化されているという意味ではない。ロバート・N・ベラーが「アメリカの市民宗教」の中で指摘しているように、アメリカにはピルグリム・ファーザーズの建国神話に支えられた共通のキリスト教的規範体系が存在し、大統領の就任演説は極めて宗教的色彩を持っていると言われている。そのような意味においてアメリカの政府・および法制度は、多くの宗教を平等に扱うために特定の宗教と結びつくことを禁じてはいるが、宗教そのものの価値は十分に認識している。

1ドル札に記された「In God We Trust」の文字

1ドル札に記された「In God We Trust」の文字

また統治の実際からみても、国家と宗教とが密接に関係してしる例が少なくない。例えば、大統領の就任宣誓の際の聖書に手を置く慣行、連邦・州議会、法廷における付属チャプレンの祈祷、軍隊、刑務所、病院及び軍官学校に配属されている「専属牧師」チャプレンの存在、国際会議でのキリスト教の祈祷による開始、貨幣にある「我、神を信ず」なる文字、国旗に対する忠誠宣誓中の「神の下での一つの国家」なる言葉等、枚挙にいとまがない。

アメリカの「市民宗教」を象徴する歌「God Bless America」

アメリカの「市民宗教」を象徴する歌「God Bless America」

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