書評:大学のカルト対策(26)<6.シンポジウムを終えて③>


 大畑昇氏による第二部の6番目の記事「6.シンポジウムを終えて」の三回目です。先回は、「三 北海道大学におけるカルト問題相談の模擬事例」の最初の二つを扱いましたが、今回は残りの二つを検証します。結論から言えば、残りの二つは信教の自由に対する侵害の疑いがより濃厚なケースです。これらはいずれも、本人の意思を無視して、家族からの依頼に基づいて学生を特定宗教から脱会させようと大学当局が積極的に働きかけたケースです。

3. 「夏休みで実家に帰ってきた娘が、カルトらしきサークルの合宿に参加して、家には帰らず、札幌にすぐに帰ってしまった。親からの忠告を無視する娘を説得して欲しい」と学生支援課に電話があった学部女子学生の母親

   このケースに対する対応としては、当該学生と3名の教員(カルト対策室員、初年次クラス担任、所属学部学生委員)の四者面談を早急に設定したこと、母親は遠隔地に住んでいることと、気が動転していたため学生と一緒の面談は無理と判断したことなどが説明され、最終的には半年間にわたる5回の四者面談を通して当該学生はカルトとの関係を絶ち、家族との信頼関係も回復できたと説明されています。

 この対応の問題点を指摘してみましょう。第一の問題は、学生本人が希望しているわけではないのに、「娘を説得して欲しい」という親の願いに答えて、大学が「脱会」を目標にして当該学生を呼び出し、5回にわたる四者面談を行っている点です。この文章からは、女子学生が未成年であったか成人していたかは定かでありません。もし女子学生が未成年であれば、親には親権がありますから、穏当な方法で子供を説得しようとする権利はあるでしょう。しかし、それはあくまでも「親子の問題」であって、大学が親の代わりに学生を特定宗教から離脱するように説得するなどいうことは、過剰で不当な介入です。親子の問題はあくまで親子の話し合いに任せるべきであるにかかわらず、大学が「脱会屋」の役割を演じてしまっているのは、行き過ぎとしか言いようがありません。もし女子学生が成人していれば、親にしても大学にしても、彼女の宗教的自己決定権を侵害していることになります。彼女には、誰にも干渉されず、自分の宗教を自分で選ぶ権利があるからです。

 しかも、北海道大学は国立大学であるので、宗教的な事柄に関しては中立を保たなければなりません。特定宗教を抑圧し、別の宗教を促進するような働きをすれば、それは政教分離の原則に反することになります。この四者面談では、クラス担任が学生に「内村鑑三の無教会派」を紹介したという記述があります。(p.243)北海道大学は内村鑑三と関わりが深いので、一般教養として内村鑑三や無教会派の話をすること自体には違法性はありません。しかし、特定のキリスト教信仰を持つ学生に対して、「その団体はおかしなカルトだから、無教会派の集会に参加してみなさい」とアドバイスしたのであれば、それは結果的に特定宗教を抑圧し、別の宗教を促進することになるため、憲法違反となります。無教会派は宗教法人化されていないので「特定宗教」と言えないと反論するかもしれませんが、法人化されているかどうかが問題ではなく、信仰の内容を考え直すように学生に勧めること自体が、国立大学の守るべき「宗教的中立性」を逸脱していることになるのです。

4. 「卒論指導中の学生が、最近、顔を見せなくなった。他の学生に聞いてみると、カルト組織らしき集会に出ているとのこと。どう指導したらよいか?」と学部教務員に相談した専門学部指導教員

 

  これは、信教の自由に対する侵害の疑いが極めて濃厚な、4つの中で最も問題のある対応の事例です。以下に詳しく説明しましょう。

 北大のカルト対策室は、当該学生を説得するための四者面談の段取りをするにあたって、学部指導教員に対して「最初はこちらから当該学生を呼び出して話を聞くことにします。ついては、当該学生のメールアドレスを教えてください。なお、最初はこの件について先生はまだ知らないことにしておいてください。」と指導しています。そして、カルト対策室員が「学生相談室の学生支援活動に協力してもらいたい」と当該学生を呼び出し、「実はあなたがカルト団体と思しき集会に参加しているらしいという噂が学生相談室に寄せられたのですが、事実ですか?」と話を切り出すのです。(p.245)

 ここでも目的と正体を秘匿して学生を呼び出しています。最初から「私はカルト対策室員で、カルトの問題で話し合いたい」と言えば相手が来ないからというのが理由なのでしょう。しかしこれは、「カルトの勧誘はなぜ不当なのか」の理由として、彼らが再三再四批判している手法なのです。結局、彼らも「インフォームド・コンセント」などは守っておらず、彼らが「カルト」と批判する団体と同じ手法を使って脱会説得を行っているのです。

 この学生は、「摂理」の集会に参加していたようです。大学側の対応は、「できるだけ早く関係を絶ったほうが良いことと、当該学生が他の学生や高校生を『摂理』の集会に誘った場合は、北大で禁止しているカルト団体勧誘行為とみなし懲戒処分の対象となるので注意するように警告しました。」(p.246)と記載されています。

 そもそも、この学生の指導教員が心配したのは卒論がきちんとまとめられるのかという問題であり、もし「カルト」の集会に参加していて進まないなら、卒論が無事に終えられるように就学指導が必要だというのが基本的な大学の立場であるはずです。にもかかわらず、ここでの指導の内容は卒論に対する取り組みではなく、信仰そのものを問題にし、脱会を勧めているのです。この時点で大学当局による信教の自由の侵害に当たります。

 しかも、「北大で禁止しているカルト団体勧誘行為」とは、一体いかなる根拠に基づいて言っているのでしょうか? 北大の規則の中に「カルト団体」とは何であり、いかなる勧誘行為を行った場合に懲戒処分になるのかが明文化されているのでしょうか? もしそうでないなら、この言葉は学生に対する根拠なき威嚇としか言いようがありません。

 カルト対策室員の指導にもかかわらず、当該学生はすぐに「摂理」関係者と関係を絶つ様子がなかったようです。そこで、「他の学生からも当該学生が『摂理』の集会に参加しているという情報が入った場合は、安全配慮義務の観点から、保護者に連絡し、指導教員と一緒の四者面談を行うことになると伝えました。」(p.246-7)と書かれています。

 ここでも親への連絡のハードルは極めて低く設定されています。ここで「保護者」という表現がなされていますが、そもそも未成年者か成年被後見人でない限りは「保護者」はいないはずです。この学生は卒論に取り組んでいることから大学4年生であり、成人しているはずです。大学で学んでいるのですから、判断能力が不十分であるという根拠もないはずです。独立した意思を持つ成人を、子供あるいは無能力者扱いしていることは問題であり、人権感覚を疑います。ここでも問題にされているのは信仰そのものであり、「安全配慮義務」と言いながらも、学生は「摂理」集会に参加しているだけで、具体的な危険の存在が全く立証されていません。それでも大学は執拗に介入するのです。

 その後の展開ですが、当該学生との面談後に、親に連絡して四者面談がセットされてしまいます。親が札幌に来る理由として、「親から本人にカルト団体との関係を問いただすと、本人が四者面談を拒否する可能性があるので、本人にはカルト団体のことは触れずに、指導教員から成績のことで相談があると言われたと説明するように」(p.247)と学生相談室から親に説明させると書かれています。驚くべきことに、子供に対して目的を秘匿するように大学が親に指導しているのです。平気で「嘘」と「騙し」を推奨しています。これらはすべて、「不実表示」に該当します。

 結局、母親が一週間札幌に滞在して四者面談に出席することになります。大まかな流れを整理すると次のようになります。

第一日:「集会に参加しながら卒論完成は無理」と、摂理関係者とは関係を絶つように説得。

しかし、当該学生はカルト関係者と関係を絶つことには同意しなかった。面談終了後に母親から説得するように依頼。

第二日:母親がカルト関係者と関係を絶つように説得したが、本人が同意しなかったので、いったん実家に戻り父親とも話し合うことを提案。しかし、当該学生は「実家には絶対に帰らない」と強い意志表示をした。

第三日:今度は当該学生から「摂理の集会には参加しないので実家には帰らない」と言い出した。学生がカルト関係者に会って相談している疑いあり。学生がその場で携帯電話をかけて、「もう集会に参加しません」と「摂理」関係者に対して宣言。母親も電話に出て、「もう集会に誘うのはやめてください」と伝える。大学関係者も電話に出て、「摂理」関係者に警告。相手は「分かりました」と行って電話を切る。(このやり取りの背景として、この学生は親や大学に内緒で「摂理」のリーダーと相談し、事態の収集を図るためにここは一旦やめたことにして、密かに信仰を続けるという「対策指導」を受けた可能性が推察されます。)

・四者面談後は、週一回の実家への連絡、月一回のカルト対策室員との面談を約束させた。

・3回目(3ヵ月後)のカルト対策室員との面談時に、研究が忙しいことを理由に本人から面談中止の要望がきた。

・当該学部の相談室カウンセラーと月一回の面談を継続することに変更した。

・3回目(3ヵ月後)に、カウンセラーとの面談も本人の希望により中断された。

 結局、本当にカルト団体と関係を絶ったという確信がないままに「対策」は終了します。おそらく、この学生は大学の「指導」に付き合いながら信仰を守り続け、「偽装脱会」によってなんとか乗り切ったのでしょう。「摂理」には賛同する気持ちはありませんが、一人の信仰者として大学の迫害に耐え抜いた事例であると言えるかもしれません。

 総括すると、これは卒論に関する指導というよりも、親を巻き込んだ脱会説得であり、信教の自由に対するあからさまで執拗な侵害行為であると言えます。学生は「摂理」の集会に参加しただけで、何も問題を起こしていないからです。

 

 今回がこのシリーズの最終回になりますので、大学のカルト対策の問題点を整理しておきましょう。

  1. 大学のカルト対策は、「学生の思想・信条には関与しません」と言いながらも、実質的に思想・信条の自由を侵害している。
  2. 「学生としての本分」や「安全配慮義務」を建前としつつも、実際には学業に問題がなく、具体的な危険がなくても、「恐れ」という名のもとに干渉する。
  3. 実際には、学生自身が「カルトの被害」を訴えて相談する件数は極めて少ない。大学側が学生の不安を煽ることによって相談件数を増やし、それを「クレーム」や「被害」と解釈して取り締まる。
  4. 現在の事実確認よりも、過去の事例を優先して「違法性」や「危険性」を一方的に決め付けて取り締まる。

 

<今回で、26回にわたるシリーズ「書評:大学のカルト対策」は終了します>

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