<第二部 3.学生相談の立場から②>(21)


平野学氏による第二部の三番目の記事「3.学生相談の立場から」二回目です。

 
平野氏は自分自身が関わった事例を説明する際に、「10年余りの経験では、統一協会が圧倒的に多い」(p.193)と述べた上で、A君の事例を紹介しています。

 

「A君は理系の三年生。その両親から、息子からある団体の父兄会に出てほしいと言われたが、一連の言動を見ると怪しいと感じて相談に来たケースでした。統一協会の父母会でした。親御さんは新幹線でいらっしゃるような距離でしたが、かなり入り込んでいることがわかりました。そこで地元の牧師さんを紹介して、さまざまな学びをされました。私の方はその後、月一回の電話で様子をフォローしました。その後、大学院修士二年までかかりましたが、親御さん自身、脱カルトの関係者と交流する中で、本人ともいろいろと工夫して関わるものの、もう一つという状況で、結局、他の牧師さんの力もかりて最終的にはなんどか滑り込みセーフという感じで脱会を果たされました。ともかく、ちょっとした最初の勧誘でひっかかって、そのあと大学三年生から大学院までいろんなことがありましたが、脱会まで四年間かかりました。」(p.193-194)

 

この記述からは、親が平野氏のところに相談に行くと、反対牧師や日本脱カルト協会を紹介され、それが両親による本人の脱会説得へとつながって行く、という流れがあることが分かります。すなわち、大学の学生相談が、特定教団に反対して脱会説得を行うような特定団体や個人を斡旋する窓口としての機能を果たしているこということです。

 

こうした行為は国立大学であれば、政教分離の原則に反するために完全にアウトです。慶応大学は私立大学であるために、政教分離の原則に従う必要がないため、両親にキリスト教の特定教派の牧師を紹介しても違法にはならないでしょうが、もしその牧師の指導する説得方法が拉致監禁を伴う強制的なものであった場合には、大学が違法行為を行う団体や個人を斡旋したという非難を免れないでしょう。実は、A君の次に紹介されているBさんの事例には、その可能性があります。

 

「摂理にいたBさんは、やはり家族との関係が悪いところで、逆に居心地の良さの中で入信してしまったケースです。親が弁護士さんたちと相談して保護説得が用いられたケースでしたが、脱会したものの、何かと精神的に不安定、ということもあり、いろんなご縁で私の方でフォローする形になりました。しかし、面接中にフラッシュバックが生じる等、大変なことがいろいろありました。そして本人だけではなく、親御さんも同席したり別々にしたり、心療内科を紹介したりしながら、何とか復学にこぎつけたケースでした。」(p.194)

 

統一教会信者に対する脱会説得のケースでは、実態が物理的拘束を伴う「拉致監禁」であったとしても、それを行う首謀者は「拉致監禁」という言葉を使うことを敢えて避け、「保護説得」という表現をします。こうしたパターンが「摂理」の信者にも当てはまる可能性は十分にあります。統一教会信者に対する「拉致監禁」による脱会説得が最初に行われたのは1960年代ですが、そこで確立された手法がエホバの証人など他の「カルト視」される教団の信者の脱会説得にも導入されたことが分かっています。同じ方法が「摂理」の信者に使われたとしても何の不思議もありません。したがって、ここで言っている「保護説得」は、実際には「拉致監禁」である可能性が高いのです。

 

その証拠として、Bさんが脱会後に精神的に不安定になっていることと、面接中にフラッシュバックを起こしている点を挙げることができます。特にフラッシュバックは、拉致監禁されたことによるトラウマが引き起こすPTSDの典型的な症状です。親子を別々にしてケアーしなければならなった理由は、親によって監禁されたことがトラウマとなり、親が同席する状態ではそのことを思い出してフラッシュパックを起こしたり、本音で話せないなどの事情があったと推察できます。少なくとも、心療内科を紹介しなければならないほどの後遺症を、この「保護説得」は残したことになります。

 

平野氏の文章からは、Bさんの親に弁護士や保護説得を行う専門家(牧師等)を彼自身が紹介したかどうかは不明です。「いろんなご縁で」という曖昧な表現をしているからです。大学の紹介なしに、親が独自に弁護士や脱会カウンセラーに相談して「保護説得」を行い、その後遺症の問題で臨床心理士の平野氏に相談に来たというケースであれば、平野氏には後遺症に対する責任はないでしょう。しかし、その弁護士や脱会カウンセラーを平野氏自身が紹介していたのが「いろんなご縁」の意味だとすれば、彼の責任は重大です。たとえ、平野氏自身が紹介した事例でなかったとしても、後遺症を残すような「保護説得」を行う脱会カウンセラーや、彼らを紹介するような弁護士はブラックリストに載せ、そうしたところには相談に行かないようアドバイスするのが臨床心理士としての倫理ではないでしょうか。

 

平野氏は、以下のように「関わりのレベルを分類」しています。
A群:情報提供主体のもの(面接室主体)
B群:支持的カウンセリング:本人をしっかりサポートしていく(面接室主体)
C群:家族への面接の工夫
D群:外部にリファーしつつ、フォロー
E群:うまくいかずに中断した

 

彼はここで改めて、「一連のケースを踏まえて思うことですが、やはり統一協会が圧倒的に多かったです。・・・かなり入り込んでいるものになると親の会や宗教者を紹介して連携する必要があります。」(p.195)と述べています。

 

繰り返しになりますが、これが国立大学なら「宗教者の紹介」をした時点で政教分離の原則に抵触するので即アウトです。たとえ私立大学といえども、信仰という極めて個人的な事柄に関して、本人の意思を確認したり了承を取ったりすることなしに、初めから脱会を目標に関わり、家族に学外の専門家を紹介したりして介入するのは、信教の自由の侵害に当たることは明白です。こうした「魔女狩り」的な学生相談のあり方は、大学による人権侵害の事例として広く社会に訴えていく必要があるでしょう。

 

魔女狩りの発想は、「魔女に取り憑かれた人は、自分ではそれを自覚できないし、自分の力では魔女を追い出せない。だから本人の意思に反して隔離したり、悪魔祓いをしたり、必要ならば処刑もしなければならない」というものです。こうした発想が多くの悲劇を起こしました。これが精神医学に置き換えられると、「精神病の患者は、自分ではそれを自覚できないし、自分では病気を治せない。だから本人の意思に反して入院させたり、薬物治療を行ったり、必要ならば社会から隔離しなければならない」となります。これも一歩間違えば重大な人権侵害を引き起こします。これがカルトに置き換えられると、「カルトの信者はマインド・コントロールされている自覚がないし、自分では脱会できない。だから本人の意思に反して保護したり、脱会説得を行ったなり、必要ならば物理的に隔離しなければならない」となります。これも同じ仕組みで人権侵害を引き起こします。

 

大学のしていることは、まさに現代の魔女狩りにほかなりません。

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