書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』129


 櫻井義秀氏と中西尋子氏の共著である『統一教会:日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会、2010年)の書評の第129回目である。

「第Ⅱ部 入信・回心・脱会 第七章 統一教会信者の信仰史」

 元統一教会信者の信仰史の具体的な事例分析の中で、第125回から「五 壮婦(主婦)の信者 家族との葛藤が信仰のバネに」に入った。今回は元信者Hの事例の5回目である。Hが脱会カウンセラーと家族の説得によって信仰を棄てた後の家族関係について、少し突っ込んだ考察を行いたい。

 前回述べたように、Hの脱会説得を行った夫の本来の目的は、妻を統一教会から引き離して家族を元の状態に戻すことであったが、現実には反統一教会側の視点からの「ハッピーエンド」とはならなかった。Hは、自分は家族と別れることになるだろうと覚悟を決めてカウンセリングを終了し、その後しばらく家族と別居した後に、離婚と自己破産の道を選択したのである。(p.375-7)結局、統一教会を脱会しても家族が元の状態に戻ることはなかったのであるが、そうなった原因について今回はさらに深く分析したい。

 まず、「12年間という歳月は長すぎた。自分は家族と別れることになるだろうと覚悟を決めてカウンセリングを終了した。」(p.375)という記述から、Hは信仰を棄てた直後から、家族と一緒に暮らすつもりはなかったことが分かる。「Hはしばらく家族と一緒に過ごしたが、自分を見つめ直すということで一時別居し、自分で食べていけるようにパートをしながら資格を取ることにした」(p.375)「Hは夫に助けられて脱会したが、12年の溝を家族と埋めるために辛い日々を送ることになる。」(p.376)などの記述から、ごく短期間は家族として一緒に過ごしながらやり直す努力をした時期もあったのかもしれないが、それも長くは続かなかった。これらの事実から分かることは、家族との間の溝は埋めがたく、家族と一緒にいては自分を見つめることができず、経済的にも家族には依存したくないとHが望んでいたということだ。要するにHは家族と一緒にいることを苦痛に感じたのである。それはHの側の家族に対する負債感もあったかもしれないが、櫻井氏の記述からは、脱会後の家族の心理状態も大きな要因であったことが伺える。

 「脱会させるまでということで必死に活動してきた家族は、妻が脱会した後にある種気が抜けた状態になる。そして、自分達の苦労を知って知らずか、妻・母・嫁であるHが簡単に元のさやに収まってしまうことへのいらだちも出てくる。」「青年信者は親の庇護のもとで家族との関係を再構築できるが、壮婦の場合、葛藤していた家族に自分の居場所をもう一度作り出してもらうのは容易ならざるわざである。親にとっては音信不通の子供が戻ってくるのは喜び以外の何ものでもない。しかし、実生活において、相当の期間、葛藤していた配偶者とより戻す過程は、喜びである反面、これまでの鬱積した怒り、不満が交錯する心理状態にもなる。現実の家族へ戻ることは難しい。」(p.376-7)これらの記述から、Hが家族と一緒に住むことに苦痛を感じたのは、不満やいらだちが交錯する一種異様な心理状態にある家族と一緒に暮らすストレスに耐えがたかったからであると推察することは容易である。

 櫻井氏は青年信者の場合には信仰を棄てて親の元に帰ってくれば親は喜び、家族との関係を再構築できるが、夫婦の場合にはそれが難しいという対比を行っているが、実は問題はそれほどシンプルではない。現実には、信仰を棄てて戻ってきた子供に親が苛立ちや不満を感じたり、逆に子供が親との生活に苦痛を感じることはよくあるのである。

 普通に考えても、多大なる時間と労力とお金をかけて子供を統一教会から取り戻した親が、その犠牲的な行為に対する感謝の念を子供に対して要求するのは自然であろう。そして今度こそまっとうな人生を歩んで恩返しして欲しいと願うのも当然である。しかし、子供の立場からすれば、それは自分が頼んだことではなく、親の意思で一方的にやったことだし、いまは自分をどう立て直すかで精一杯なので、親の期待に応える余裕などないと思っているのである。「やった脱会した」ということで、安心して親が「恩返し」を期待すれば、それは傷ついた子供にとってはプレッシャーでしかない。そして統一教会を脱会した後でも、子供は親が真に自分のことを理解しているとは感じていないのである。一方で親の方は、いつまでも立ち直らない子供に苛立ちを感じたり、「感謝の念が足りない」という不満を抱いたりするのである。

 統一教会に反対する牧師や脱会請負人らは、親に対して「統一教会が子供を奪ったので、そこから取り返せば元の家族に戻れる」と説得して、拉致監禁を伴う強制棄教を教唆してきた。しかし、子供が信仰を棄てて親元に戻れば家族が元通りになるというのは幻想であり、実際には脱会後に親子関係が悪くなったり、親と一緒に住むことを子供が拒否することは多い。その第一の理由は、拉致監禁を受けた子供のトラウマである。たとえ信仰を棄てたとしても、自分を暴力的な方法で屈服させた親に対する恨みは残るのである。このことは、ルポライターの米本和広氏の記述や、精神科医の池本桂子氏の論文「宗教からの強制脱会プログラムによりPTSDを呈した1症例」(『臨床精神医学』2000年10月号)に詳しい。自己決定権を剥奪されることによる心の傷が残るということだ。

 一方、監禁を受けた子供の予後が良くないことは、それを行った本人たちも気付いていたため、できるだけ子供の心を傷付けないように説得方法の改善を試みてきたことも分かっている。このことは、高木総平・内野悌司(編)『現代のエスプリ No.490 カルト―心理臨床の視点から 2008年5月号』で述べられているが、その概要は以下のようなものである。

 元来、カルト問題は牧師などの宗教家が担当してきた。家族の願いはカルトからの脱会だったので、カウンセリングの主要な目的は脱会だった。しかし、その中で脱会さえすれば問題が解決するわけではなく、脱会後にもさまざまな問題を引きずることが分かってきた。そこで1990年代の後半から、宗教者が脱会させた後のアフターフォローとして、臨床心理士やカウンセラーがカルト脱会者の心の問題を扱うようになってきた。

 前掲の『現代のエスプリ』の中で、脱会説得を行ってきた反対牧師の一人である豊田通信氏は、「特に『保護説得』の最中の出来事については、私の能力が足らないばかりに、どれほど多く彼らを傷つけたかを直視せざるを得なかった。…最近の私は、カウンセラーの倫理に関する本にはまっている。倫理違反だと指摘される具体的な事例と正答を読んで、それを自分の現場に当てはめてみると、かつての『保護説得』であれば違反の大パレード、最近模索している手法でもなお課題を残していると思う。」と率直に述べている。

 同じく脱会説得を行ってきた杉本誠牧師も、2007年10月19日に全国霊感商法対策弁護士連絡会の主催で行われた全国集会での講演で、脱会させた後の被害者の精神的ケアが非常に重要である理由として、「救出されることによって『心に傷を受けていく人もいる』のは事実だ。」「脱会させた後、家族はバラバラ、親子関係は滅茶苦茶になるなど悲惨なケースも多々ある。」(『キリスト新聞』ウェブサイトに記事掲載)と率直に述べている。やっていた側が言うのだから、これは事実なのであろう。

 脱会後の家族関係の難しさは、物理的な拘束を伴わない説得においても同様であり、このことは渡邊太氏の論文「カルト信者の救出:統一教会脱会者の『安住しえない境地』」の中で掘り下げた分析が行われている。渡邊氏の論文は、家族の説得によって信仰を棄てた元信者たちが、脱会後にさまざまな心理的苦悩やコミュニケーションの困難に直面することに着目し、統一教会信者の救出活動を事例として、このポスト・カルト問題と救出カウンセリングのコミュニケーション・パターンとの関連を明らかにしたものだ。

 渡邊氏によれば、脱会者の苦悩は「自己の存在の根本的な安定性が失われること」によるもので、それは救出カウンセリングの現場においてR・D・レインが指摘するような、人を「安住しえない境地」に置くコミュニケーション・パターンが繰り返されるためであるという。それでは、R・D・レインが指摘する「安住しえない境地」とはどのような意味なのであろうか?

 人はアイデンティティについての確かな感覚を得るために、他者の存在を必要とするとレインはいう。他者から確認されないようなアイデンティティは、まったく不安定なものである。そのとき私は私の中の世界に安住することもできないし、他者の世界のなかに身を置く場所を見つけることもできなくなる。このような、どこにも身を置くことができない宙ぶらりんの状態を指して、レインは「安住しえない境地」といった。渡邊氏は救出カウンセリングのコミュニケーション・パターンは、人を「安住しえない境地」に置くタイプのものであり、それは具体的には「無効化」と「属性付与」、そして「自発的であれ!」という命令が組み合わされたものであるという。

 「無効化」とは、ある人の意志を無効なものと見なすことによって実際にその効力を奪うことである。「無効化」は「属性付与」とセツトで用いられる。マインド・コントロールされた統一教会信者は自分で自分の意志がわからない状態になっていると想定する救出カウンセリングは、まさにこのような「無効化」と「属性付与」のコミュニケーションに一致するというのである。要するに、「お前は自分の意志で信じているんじゃない」と無効化され、「おまえは統一教会に入って悪いことをするような子どもではなかったはずだ」と、親が子供の属性を一方的に決めつけるということである。

 マインド・コントロールから目覚めよという親の訴えは、「ちゃんと自分の頭で考えろ」という命令である。この「自発的であれ!」という命令はパラドツクスになる。命令を実行しようとすると命令に反することになり、したがうことができない。このような命令が出されると、そのコミュニケ―ションは病的になるという。

 渡邊太氏は、こうしたコミュニケーション・パターンによって作られた「安住しえない境地」から逃れるには、家族から離れるしか方法がないと結論する。たとえ親子であっても、このように脱会後の関係は櫻井氏の言うようには簡単ではない。夫婦の場合にはそれ以上に難しいというのはあり得ることだが、その主たる原因は脱会カウンセリングの病的なコミュニケーション・パターンが、元信者を「安住しえない境地」に追いやり、それを引き起こしている家族と一緒にいることに苦痛を感じるからである。

カテゴリー: 書評:櫻井義秀・中西尋子著『統一教会』 パーマリンク