「作られた」被害者たちによる「青春を返せ」裁判


次に、陳述書に簡単に触れておく。通常、脱会の際に物理的な拘束があったことや、第三者の介入があったことは、反対尋問によって初めて正直に証言することが多い。しかし、中には陳述書で脱会の経緯を詳細に説明し、本人の意思に反して拘束されたことや、「監禁」であると感じていたことを記載しているケースもある。その代表的な例が、平成11年5月6日作成の、K.Mさんの陳述書である。

陳述書の本文は非常に長いので、ここでは彼女の陳述書から重要な事実のみを列挙することにする。

  • 1992年4月6日、彼女は両親と親族に騙されて、札幌市内の見知らぬアパートに車で連れてこられた。
  • 彼女はその時、これは「監禁」だと悟ったので恐怖を感じ、パニック状態になった。
  • 彼女は車のシートにしがみついていたが、降ろされてマンションの入口まで連れていかれた。
  • 彼女は抵抗し、逃げようとしたが、皆に押さえ付けられた。
  • 彼女は助けを求めたが、誰も反応しなかった。
  • 彼女は恐ろしい圧迫感と、「監禁」されたことに対する怒りで気が狂いそうだった。
  • 彼女は、とにかく今日は帰らなければいけないと言ったが、駄目だと言われた。
  • やりかけの仕事も気になったので電話連絡だけでもさせてほしいと言っても駄目だった。
  • 家族の態度は強硬で、家族といえどもこうまで自由を奪う権利があるのかと、怒りが込み上げた。
  • 彼女は、人間扱いされていないと思い、怒りを感じた。
  • 次の日の午後、反対派牧師がやって来て、はこぶね教会の大久保ですと自己紹介した

(以上、陳述書p.231-236から要点を抜粋)

物理的拘束の存在は、法廷でも認定されている。平成15年3月14日の札幌高裁判決は、「被控訴人らはいずれも控訴人を脱会(棄教)した者であり、脱会に至るまでの過程において親族らによる身体の自由の拘束等を受けた者も多く、このような拘束等は、当該被控訴人らとの関係においてそれ自体が違法となる(正当行為として許容されない。)可能性がある」[1]と述べている。しかしながら判決文は、これらは被控訴人とその親族との間で解決されるべき問題であり、こうした事実は青春を返せ裁判の判決には影響を与えないと述べている。

 

原告らの証言において、パスカル・ズィヴィ氏や大久保牧師は第三者であり、原告の親族ではない。このような第三者の介入と、原告らと彼らの「話し合い」について論じてみよう。

物理的な拘束があったか否かに関わらず、すべての原告は脱会に当たって家族以外の第三者の介入があったことを認めている。原告の一部はこうした第三者が統一教会を批判したり、棄教を迫ったりしたことはないと主張しているが、多くの原告が拘束されている現場にこうした第三者が現れて話をし、その後に棄教を決意していることから、客観的に見て第三者による説得が棄教にいたる上で重要な役割を果たしたことは明らかである。

原告21人の証言に登場する第三者の名前と回数は以下のとおりである。

パスカル

16回

田口民也

2回

大久保牧師

2回

戸田実津男

1回

星川牧師

1回

寺田牧師

1回

山本牧師

1回

日本基督教団の牧師

1回

キリスト教の牧師

1回

 

まず、パスカルという名前の圧倒的な多さが特筆される。ここに出てくるパスカルとは、札幌市在住の「マインド・コントロール研究所」所長のパスカル・ズィヴィ(Pascal Zivi)のことである。彼の著書『マインド・コントロールからの脱出』(恒友出版:1995年)の著者紹介によると、彼は札幌のアジア聖書学校に学んだフランス出身のクリスチャンで、現在は日本イエス・キリスト教団羊が丘教会のメンバーと記されている。彼は21人中16人の脱会に関わっており、札幌の「青春を返せ」訴訟と彼の「救出カウンセリング」の間には、強い関連性が認められる。その他の第三者も、ほとんどが牧師やキリスト教関係の人物である。

それでは、原告たちは「救出カウンセラー」と呼ばれるこうした第三者と、どのような話をしたのであろうか? 21人中4名の証言は、第三者の介入を認めながらも、具体的にどのような会話をしたのかを証言の中では明らかにしていない。残りの17名が証言した会話の内容を簡潔にまとめて列挙すると、以下のようになる。

①    日本キリスト教団の教義の説明。(日本キリスト教団の牧師)

②    聖書を見ながら、統一教会の教義の間違いについて説明をされた(星川牧師、田口民也)

③    堕落論など、原理の矛盾点を指摘された。「お金が文鮮明の私利私欲のために使われている」と言われた(パスカル)

④    原理講論と聖書の違い、原理講論の間違い。(パスカル)

⑤    パスカルによる聖書と原理講論の比較。田口民也による、統一教会に関するスキャンダル。(パスカル、田口民也)

⑥    原理講論の聖書の引用の仕方が間違っている。(パスカル)

⑦    原理の間違いについて。(戸田実津男)

⑧    統一原理の間違いについて。(パスカル)

⑨    聖書について。(パスカル)

⑩    原理講論の聖書引用がでたらめだということ。(パスカル)

⑪    歴史の同時性など、原理講論の矛盾点について。(大久保牧師)

⑫    聖書と原理講論の違いについて。(パスカル)

⑬    陽陰の二性性相など、原理講論の矛盾点。(パスカル)

⑭    歴史の同時性など、原理講論の間違いについて。(寺田、大久保、山本という牧師)

⑮    原理の間違いや矛盾について。(パスカル)

⑯    聖書の勉強と、統一教会に対する批判(パスカル)

⑰    原理講論と聖書の違いや、統一教会の本の間違いなど。「文鮮明師はメシヤではない」ことが分かった。(パスカル)

この「脱会カウンセリング」の目的はいったい何であろうか? これらの証言によれば、脱会カウンセリングの内容は、極めて神学的・教義的な事柄である。基本的にはプロテスタントのキリスト教の立場から、聖書を真理の基準として、統一教会の教理である「統一原理」またはその解説書である「原理講論」が聖書と矛盾する内容であること、聖書の引用の仕方がでたらめであること、多くの間違いや矛盾を抱えていることなどを説明しながら、信じるに値しないものであると説得する。つまり、「棄教」を目的とした説得であることは明らかである。

 

多くの原告らが、監禁または拘束された状況下で、自らの信じる宗教の教理の間違いや矛盾を長期にわたって突き付けられている。そして、ひとたび信仰が破壊されると、自らの意思によって選択した信仰そのものや、自らの意思で行った活動に対する評価が180度変わり、「騙されていた」「マインド・コントロールされていた」などと主張しながら、教会を相手取って損賠賠償請求訴訟を起こすに至ったのである。

結論として、札幌「青春を返せ」裁判の原告たちの裁判調書や陳述書をもとに、以下のことが立証された。

①   統一教会を訴えた元信者たちの大部分(少なくとも75%)が、教会を脱会する際に家族から物理的な拘束を受けていた。

②   物理的な拘束があったか否かに関わらず、すべての原告が脱会を決意するにあたって、「脱会カウンセラー」と呼ばれる第三者の介入があった。

③   「脱会カウンセラー」から聞かされた内容は神学的・教義的な事柄であり、統一教会に対する信仰を棄てさせることが「脱会カウンセラー」の目的であった。

このことが意味しているのは、統一教会の反社会性を証明するものと主張されている「青春を返せ」裁判が、自発的な脱会者たちによって起こされた訴訟ではなく、物理的な拘束下で信仰を棄てた、作られた被害者たちがほとんどを占める原告団によって起こされた訴訟であるということだ。

その脱会の過程にはキリスト教牧師や、パスカル・ズィヴィのような信者が関わっている。こうした「脱会カウンセラー」と札幌「青春を返せ」裁判を担当していた郷路征記弁護士の間には何らかの協力関係があるに違いない。したがって、これら一連の「救出活動」と訴訟は、統一教会の社会的評判を落とし、窮地に追い込むための戦略の一環であったとみなされるべきである。

したがって、統一教会の主張する「拉致監禁」は、あくまでも「保護説得」あるいは「救出」であり、反社会的団体である統一教会に入ってしまった子供を両親が心配するあまり、やみにやまれず取った行動であるとの主張は、物事の順序を逆転させている。なぜなら、拉致監禁・強制改宗の歴史は、「青春を返せ」裁判の歴史よりもはるかに長いからである。拉致監禁・強制改宗は1966年に始まったが、「青春を返せ」裁判が始まったのは1987年である。

また、両親の「心配」も自発的に生じたものではなく、しばしば反対牧師にアプローチされた結果として生じたものである。本論では、私はパスカル・ズィヴィにのみ言及したが、それは彼が札幌で活発に活動していたからである。ほかにも多くの「脱会カウンセラー」が日本中に存在し、その他の都市においても、彼らの信仰破壊活動と「青春を返せ」訴訟の間には同種の協力関係がみられるであろう。

拉致監禁がなければ、「青春を返せ」裁判はなかった。拉致監禁による強制改宗によって、「統一教会は反社会的団体である」であるという社会的評価が戦略的に作り出され、それがさらに新たな拉致監禁の被害者を生み出すという、悪循環が繰り返されてきたのである。

 


[1] ここでは、控訴人は統一教会を指し、被控訴人は原告の元信者らを指す。

 

付録:21日の原告の証言に基づく、脱会カウンセラーと名前と拘束期間

No.

原告

脱会カウンセラーの名前

拘束期間

「監禁」という表現を認めた者

1

K. Y.

日本基督教団の牧師

言及なし

2

H. A.

星川牧師、田口民也

2週間

3

W.N.

パスカル

1-2 週間

4

O.R.

パスカル

7 日間

5

Y. C

パスカル

10日間

6

Y. Y.

パスカル

言及なし

7

T. N.

パスカル

言及なし

8

K. S.

戸田実津男

10日から2週間

「監禁」という表現は認めていないが、部屋には鍵がかけられており、出入りが自由でなかったことを認めた者

9

M. N.

パスカル

3 週間

10

Y. N.

田口民也とパスカル

1ヶ月

11

T. T.

キリスト教牧師とパスカル

8 日間

12

F. H.

パスカル

言及なし

13

U. T.

パスカル

1週間

14

K. M.

大久保

1ヶ月

15

T. E.

パスカル

言及なし

16

O. T.

パスカル

言及なし

軟禁状態であったことを認めた者

17

T. M.

寺田、大久保、山本

言及なし

18

S. M.

パスカル

言及なし

監禁という言葉を否定し、出入りの制限はなかったと証言している者

19

K. H

パスカル

なし

20

O. M.

パスカル

なし

21

H. J.

パスカル

なし

 

 

カテゴリー: 「青春を返せ」裁判と日本における強制改宗の関係について パーマリンク