監禁状態を認めていた「青春を返せ」裁判の原告たち


私は、札幌における「青春を返せ」裁判を例に挙げて論ずることにする。いわゆる青春を返せ裁判は札幌において始まり、原告たちは、統一教会の信徒らが行っていた伝道活動を違法行為であると主張し、統一教会で失われた青春の数年間に対する損害賠償を請求した。札幌地裁における審理は1987年3月から2001年6月まで14年3カ月という長期間にわたる裁判であった。原告は最終的には21名となり、全員が女性である。

 

結果は、2001年に一審判決で原告の元信者らが勝訴し、2003年3月に控訴審(札幌高裁)で統一教会の控訴が棄却され、同年10月に最高裁が統一教会の上告を棄却したことにより、元信者らの勝訴が確定している。裁判所が認めた損害賠償の額は、請求額のおよそ三分の一であった。ちなみに、「青春を返せ」裁判は必ずしも原告側が勝訴しているわけではない。原告側は、1998年の名古屋地裁判決、1999年の岡山地裁判決、2001年の神戸地裁判決において敗訴している。

 

それでは、これらの元統一教会信者たちが教会を離れた時の状況について分析してみよう。札幌「青春を返せ」の原告が教会を離れるようになった状況は、統一教会の代理人である弁護士が、原告らに対して行った反対尋問によって明らかになった。21名の原告の証言は、以下の4つのカテゴリーに分類することができ、その人数と比率は以下のとおりである。

この円グラフにおいて、青は、証言において「監禁」されたことを認めている者を示している。21人中8名が文字通り監禁されたことを認めた。赤は、「監禁」という表現は認めていないが、部屋には内側から鍵がかけられており、部屋から自由に出入りできなかったことを認めた者を示している。8名がこのように証言している。黄緑色は、軟禁状態にあったと証言している者を示している。この表でいう軟禁とは、鍵は掛けられていなかったものの、常に誰かが見張っていて逃げ出せる状態ではなかったことを指している。2人がそのように証言している。最後に、紫色は監禁という言葉を否定し、出入りの制限はなかったと証言している者たちである。3人がこのように証言した。物理的な拘束が事実上あったことを認める証言が全体の75%を超えていることは特筆に値する。また、全体の86%の原告が、何らかの意味で拘束された状態で脱会を決意したことになる。

カテゴリー: 「青春を返せ」裁判と日本における強制改宗の関係について パーマリンク