『マインド・コントロールの恐怖』の問題点


 

 

日本において、「マインドコントロール理論」を広めた人の一人として、スティーヴン・ハッサンという人を挙げることができます。『マインド・コントロールの恐怖』(恒友出版)という本を書きましたね。これが1993年に山崎浩子さんが統一教会を脱会した事件で、「私はマインドコントロールされてました」と記者会見で言うことによって、日本国民に広く知られるようになったわけです。

 
これを浅見定雄が翻訳して日本語で出すことによって、かなり広まった。じゃあ、スティーヴン・ハッサンのオリジナルなのかというと実はそうではなくて、基本は先ほど紹介したマーガレット・シンガーが言ってることとほぼ同じであります。

 
じゃあ、この『マインド・コントロールの恐怖』の中には、その本の理論にはどんな問題点があるのか。いろいろあるんですけれども、私は究極のハッサンの問題点は、「カルト」と「マインドコントロール」の循環論法というところにあると思っております。

 
これを簡単にお話しますと、彼は大前提として、「私はカルトというものが奇妙だから、変な教えを信じているから責めてるんじゃないんだ。どんな奇妙な教えであろうと、それを信じる信教の自由は尊重するんだ。しかしなぜカルトに反対するのかというと、なぜカルトが悪なのかというと、マインドコントロールを行って、人の正常な判断力を奪って入信させているから、それは悪なんだ」という前提で議論を始めますね。

 
しかし途中で彼は、「いや、マインドコントロール自体は実は善でも悪でもないんだ」と言い出すわけです。なぜでしょうか。それは、「カルト」から信者を脱会させるときに、自分も同じような心理操作をやらないと脱会させられないわけですね。ですから、情報をコントロールして、環境をコントロールして、「カルト」からの情報をカットして、自分で閉じ込めて説得するというのは、一種の「マインドコントロール」の手法なわけですよ。

 
ということは、実はマインド・コントロール自体は善でも悪でもないというのは、それは私もやっているから、マインド・コントロール自体は善でも悪でもないということになる。結局なにか。目的が善なら「善なるマインド・コントロール」なんだと。目的が悪なら「悪なるマインド・コントロール」なんだと。私は善なる目的でやっているからいいんだというんですね。

 
ここから何が出てくるかというと、「マインド・コントロール」が悪となるのは、それを行なう主体である「カルト」が悪だから、「マインド・コントロール」は悪になるのだと、ここで論理がすり替わっているんですね。もともとなんと言っていたのかというと、カルトが悪なのは、それはマインド・コントロールを行っているからと言ってたはずなんです。だから、ここでグルグルグルグル回っているということになるんですね。つまり、「カルト」と「マインド・コントロール」が互いに互いを定義し合うような状態に陥ってしまっている。これがスティーヴン・ハッサンの論理の非常におかしな点だということになります。

 
さて、最初に出てきた西田公昭でありますけれども、彼は日本で最も本格的に「マインド・コントロール」を研究している学者であるということで、『マインド・コントロールとは何か』(紀伊国屋書店 1995)という本を書いております。まあ、「ビリーフ・システム」なんていう、ちょっと分かりにくい理論を使って、この理論を構築しているわけでありますが、彼の問題点を簡単にまとめるとこういうことになります。

 
彼の専門はもともと実験心理学なんですね。実験室で色々な心理調査をやったその結果を、そのまま現実の社会過程に適用しているということです。しかし、現実の社会というのは極めて複雑なものでありまして、実験室の知見を適用した説明がそのまま有効である保証はなにもないわけです。でも、実験室でこうだから現実社会でもこうであるはずだという論理を展開している。これがまず第一の欠陥ですね。これは多くの人に批判されています。

 
次に、西田公昭の基本的な主張は、「統一教会に代表されるようなカルトは、現代心理学のテクニックを悪用して人を勧誘しているんだ」。これが中心的な主張なんですね。じゃあこのテクニックの中身は何かというと、これは要するに優秀なセールスマンが多用する方法であったり、プロパガンダの常套手段なんだというわけですね。だとすれば、これは日常のどこにでも転がっている合法的な手法であるわけで、それを非難する理由はどこにもないということになってしまいます。

 
で、彼の研究というのは、基本的に大きな欠陥があります。それは、情報源が偏向しているという方法論的な欠陥ですね。彼は実は、強制改宗を受けた元信者から集めた情報のみを元に研究をしているんですね。ということは、拉致監禁されて教会を離れた人を反対牧師などに紹介してもらって、それにアンケートをしたりインタビューをしたりして理論を構築しているということになるわけですよ。ということは、彼らはその途中で「あんたはマインドコントロールされていたんだよ」ということを徹底的に教え込まれた人たちだけを対象にインタビューしてやっているということは、そういう結論しか出てこざるを得ない。そして教会に対してネガティブな感情を持っている人だけをインタビューしているので、基本的にネガティブ・バイアスがかかっているということになります。

 
そして社会心理学者を自称する者ならば絶対に避けて通れないはずの数値的なデータによる裏づけが全く欠如しているという欠陥があります。西田は自説を補強するために、さまざまな実験データを引っ張り出してはいるけれども、そのほとんどが宗教とは直接関係のないセールスの事例ばかりであり、肝心の彼が「破壊的カルト」と呼ぶ宗教団体の説得術がどのくらい効果的であるかを、数値に基づいて検証したデータは一つもない。

 
つまり彼は、アイリーン・バーカーのようにちゃんと統一教会の伝道課程を実地に調査して研究したわけではないわけですね。だからちゃんとしたデータは取っていないということになります。じゃあ、イギリスにおけるアイリーン・バーカーの研究のように、日本においてもそういうきちっとした調査はないのかというと、あれほど精密で大掛かりな調査はありませんが、実はあるんです。

 
これは、塩谷政憲という当時国士館大学の教授だった人が研究している内容で、実は相当昔ですね。1974年の春に原理研究会が主催する3泊4日の修練会に彼は自ら参加して、そのときの体験を「原理研究会の修練会について」という論文で報告しているんですね。彼はこういうことを言っています。「決定的なことは、研修生は修練会に強制的に拉致されてきたのではなく、本人の自由意思によって参加したのであり、中途で退場することも可能だったということである。したがって、洗脳させたのではなく、自らの意思で選んだのである。人間をそうやすやすと洗脳することはできない」と断言しております。

 
そしてデータ的にも、修練会に参加した15名のうち、次の7日間の修練会への参加に応じたのは男子2名に過ぎなかった、約13%だった。「したがって、洗脳を思想の強制的な画一化と定義すれば、筆者が体験したところの修練会は、洗脳よりも選抜することの方に結果したといえよう」「参加者15名の反応は人それぞれだったのであり、ひややかな観察者もいれば、自分なりの判断でもって修練会をとらえた人もいたし、また次の修練会に参加することを表明しないまでも、その三日間の体験を有意義だと感じた人もいた」。

 
すなわち統一教会、この場合は原理研究会ですけれども、その修練会に対する反応というのは、みんな同じじゃなくて、人それぞれなんだと。実際に見た人はそれが分かるということですね。

 
じゃあ、もっと広範なデータはないのかということで、私が昔、統一教会の伝道部にあるデータを取ってもらったところですね、1984年から1993年までの一部地域のデータを分析するとこうなります。この間にコース決定した人が36,913。すごい数ですね。そのうち、2日修に行った人が39.0%、4日修に行った人が22.4%、最終的に献身的なメンバーになった人は3.5%しかいませんでした。これはアイリーン・バーカーの出した4%という数字に極めて近い。そういう意味で伝道の確率というのはどこでも大体同じようなものであり、このデータによれば、修練の過程において大部分の者が去っていることがわかり、統一教会の伝道方法は基本的に対象者の意思決定を強制する過程ではなく、教義を受け入れる者を選抜する過程であるという結論を出すのが妥当であると言える。こういうデータからすると、「マインドコントロール」などということはあり得ないということが分かるわけですね。

 
さて、こうしたことは、いろいろな文献を読めば、統一教会の主張ではなくて、客観的な外の学者が言っている主張ということで、かなり詳細に述べられております。ここに例を挙げておきますね。塩谷政憲の論文は、実際に原理研究会の修練会を参与観察して、統一教会について深く研究した論文としては大変価値があるものだと思います。あとは、プレゼンの中でご紹介した渡邊太と渡邊学、渡邊というのが二人おりますけれども、その論文がございます。この渡邊学さんの論文は、インターネット上で入手することができます。(当サイト右サイドバー内の「関連リンク」にも掲載しています)

 

どうもご清聴ありがとうございました。

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