マーガレット・シンガーの非科学的主張、法廷からも排除


 

 

米国心理学会の有志による法廷助言書がどんなことを言ったかというと、原告たちは「私たちは強制的に説得されて、自由意思を奪われんだ」というふうに主張して、マーガレット・シンガーらは「その通りだ」ということで、論陣を張ったわけですね。しかしこの「強制的説得理論」というのは、科学的学界では認められていない理論であると。

そもそも、「自由意思が奪われた」という主張自体が非科学的だと。この自由意志に対する影響力というのは、実際には科学的に測定不能であって、「自由意志が剥奪されたんだ」ということを証明するのは不可能であると。だからこれ自体が非科学的であると、切り捨てております。

じゃあこの「強制的説得理論」の「強制」という概念は、実はこれ測定可能であると。「強制的」とはどうやって測定されるかというと、特定の刺激に対して大多数の人が同じ反応を示せば、これは「強制的な刺激」だと言うことができる。分かりやすい例で言うと、銃で脅して命令したら大多数の人が従いますね。これは、この刺激は「強制的だ」と言える。しかし、道端の乞食が物乞いしているときに、それによってお金を与える人は非常に少ないですね。ですから、乞食が「お金をめぐんでください」と頼むのは、強制ではない。ほとんどの人が、お金をあげないからということになります。

このように、特定の刺激に対してどのくらいの人がそれに同調したかによって、強制であるかどうかということを測れるとすれば、はたして統一教会の伝道は「強制的」と言えるのかを、データに基づいて分析するとどうなるかというと、こうなるわけです。

この表は、アイリーン・バーカーというイギリスの学者とギャランターというアメリカの学者がそれぞれ別々に、統一教会の伝道過程において、どのぐらいの人が去って、どのぐらいの人が残っていくのかというデータを出したものです。これは1979年のロンドンにおける調査で、1017名を対象としております。例えばツーデイズ、2日修に参加した人を100人としましょう。その2日修の最後までいた人は85人だった。そこからさらに7日修に出た人は30人だった。7日修の最後までいた人は25人だった。そこからさらに、次の21日修に参加した人は18人で、21日修を全うした人は15人だった。そして21日修を終えて統一教会に入りますということを合意した人は13人だったけれども、実際に入会した人は10人だった。その10人は1年後には7人に減って、2年後には5人に減って、1983年1月1日には4人に減っていたということでありますから、このように修練の過程でボロボロボロボロ人が落ちていくと。

つまり、96%の人は統一教会の伝道に対して「ノー」と言うことができたということなんですね。これのどこが「強制的」なのかということです。私たちの伝道の実感からしてもこれは極めて合ってますよね。で、ギャランターがやったのは、これは104人ともっと小さな人数でありますけど、だいたい同じぐらいの数値が出ているということですね。つまり、伝道の確率というのはこのぐらい。人の心を無理やり強制的に変えさせて伝道することなんか、できないじゃないですか。ですから「マインドコントロール」とういのはできないということはこういうデータからも明らかだ、ということになるわけです。

一方、この裁判にはアメリカのNCCという団体、これは“National Council of Churches”と言いまして、米国キリスト教会協議会という、キリスト教の団体の集まりです。これは宗教の立場から、「マインドコントロール理論」を認めてしまうと、それはすべての宗教の伝道活動に当てはまってしまうから、そんなことは許せないという「法廷助言書」を出しました。すなわち、統一教会に対する「洗脳」の非難は、ほとんどの宗教をも非難する結果となるだんと。

「マインドコントロール理論」によれば、統一教会は「社会的・物理的環境のコントロール」を行うことによって、人の心を操作しているんだというわけですね。しかし、入門者を通常の文化から引き離して、宗教的事柄に精神を集中させる行為は、宗教において一般的なんだと。僧院もそうだし、修道院もそうだし、クリスチャン・スクールとかキャンプ集会などで、ごくごく普通に行われていることですよと。

「特別な無情報状態の存在」によって、外からの情報を入れないでコントロールしてるんだということに対しては、歴史的に多くの宗教の篤信者たちはこの世から隠遁しようとし、物質や外的世界の誘惑を避けて神を求めてきたんだと。そして、カトリック教会は数世紀にわたって、信者が読んではいけない禁書リストというのを作って、情報をコントロールしてきたんだと。そんなことを言ったらすべて当てはまってしまいますよ、という反論をしました。

統一教会は家族との接触を断って、無力感に陥れて、コントロールしているんだという批判に対して、なんとNCCはこの聖句を引用いたしました。イエス様のみ言葉:「地上に平和をもたらすためにわたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。そして家の者が、その人の敵となるであろう。わたしよりも父または母を愛する者は、私にふさわしくない」(マタイ10:34~37)。イエス様自身が家族と絶って、家族を捨てて私に付き従ってきなさいと聖書の中で言っているじゃないかと。これがダメだったら、イエス様が「マインドコントロール」していることになりますよね、ということでありますね。

そして「一連の報酬、罰則、経験による組織化と操作」によって、人の心をコントロールしてるんだと言うんでありますが、罪に対する自覚と懺悔、そして回心による新しい生活様式の受け入れは宗教全般に当てはまるんだと。救済の約束と天罰の脅威も、信仰者の生活を規制する様々な戒律も、すべての宗教に普遍的に当てはまるんだということで、統一教会で教えているさまざまな教えとか戒めというものは、普通の宗教のものとまったく変わりがない、したがってこれを認めてしまえば、すべての宗教が「洗脳」もしくは「マインドコントロール」してることになってしまう、ということになるんですね。

さらに、「組織批判ができない閉鎖された論理システム」ということに関しては、カトリックには、「教皇無謬説」というのがあるんだと。カトリックの正式な教義の中にはですね、ローマ教皇は、信仰上の問題に関しては過ちを犯さないという正式な教義があるんですね。これはもう結局、批判できないということで、これは「閉鎖システム」なので、カトリック教会への回心は無効なのか、ということになってしまう。そして、教会の上下構造に従順に従うことは、古来よりキリスト教徒の美徳として教えられてきたのであって、統一教会に固有のものではないと。

これらの法廷助言書によりまして、マーガレット・シンガーとリチャード・オフシェは1988年まで少なくとも37の裁判で元カルト信者が教団を訴える際に助言を行ったんでありますが、1990年になって米国政府は、彼らの見解が学会の共通した見解を反映していないという理由で、彼らを法廷助言者から外して、法廷で発言できなくなってしまいました。このように正式に「マインドコントロール理論」というのはアメリカの法廷からも排除されたということなんですね。

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